しめきり
モノを書いて飯を喰っています。
そう言えるようになりたくて今日も草鞋を履き替える。
9時半から18時半までは会社員として仕事をして、家に帰って来てからは時給はおろかギャランティさえ夢想の彼方であるにも関わらずPCを開きキーボードを打つ。
何故なら、締め切りがあるからだ。こんな僕にも。
小学校に上がった頃からかその前からだったかは忘れたけれど、だいたいそれくらいの頃から映画が好きになった。自認している初めての劇場観賞作品は『ジュラシック・パーク』。作品のクライマックス、パークのエントランスで繰り広げられるTレックスとラプトルの死闘を眺めながら、「ああ、これが街のど真ん中で起こったら楽しいだろうな」と子供ながらに想像して、家に帰ってからランドセルの中に眠っていた『じゆうちょう』に後の展開を書きなぐった。海を渡り東京に上陸したTレックスが東京タワーをなぎ倒し国会議事堂を踏みつぶし、挙句の果てには口から火を噴く。完全にゴジラやガメラとごっちゃになっていた。
その後、数年の時を経て公開されたジュラシック・パークの続編『ロストワールド/ジュラシック・パーク』のラスト30分を劇場で目の当たりにした時に度肝を抜かれた。
島から密輸されたTレックスが夜のサンディエゴで暴れ回っている。逃げ惑う人々を捕食している。丘の上に立ち咆哮している。かつて自分の頭の中に流れた映像が確かに目の前に在った。
妄想が現実になる。
当時の自分には妄想という言葉も現実という言葉も知らなかっただろうけど、頭の中で描いた事は何かを何とかすれば何かしらの形には成り得るのだということを実感として知った。確か小学4年生とか5年生の頃の出来事だ。
中学生、とりわけその初期の頃はキングカズに触発されてサッカー選手を夢見ていた。意気揚々とサッカー部に入るも周りとの格の違いを痛感し呆気なく玉砕。松坂や上原がかっこよくて野球部にも入ってみたがこちらも頓挫。投手から放たれる球が怖くてバッターボックスにも入れない有様だ、続くわけがない。潔く帰宅部になった。誰よりも早く家に帰った。何なら家を出たものの学校には行きたくなくて踵を返したこともある。帰宅部の中ではエース格だろう。家ではひたすらダビングしたドラマや映画を見まくった。ガキの頃からエンドロールまでしっかりと見る性格だった。
そのうちに気付いたのが、自分の好きなドラマや映画は決まって或る人間の名前が出て来るという事。レストランのてんやわんやを描いた話も、独特な語り口の刑事が事件を解決する話も、深夜のラジオドラマ収録現場を舞台にした映画も、何やら一人の男が作っているらしい。
三谷幸喜とな何者だろう?肩書を見れば脚本家とある。
脚本家とは何者だろう?脚本を書く人の事である。
脚本とは何だ?映画やドラマの筋が書かれた本である。
要は頭で思い描いた事を現実にする仕事だ。
丘の上に立つTレックスが吼えた。
決めた!脚本家になろう!
脚本家になる為にはコンクールに作品を出して受賞するのが筋道だという。
とりあえず書いた。
高校の授業中に先生の目を盗んで書き、片道90分かかる大学への道すがらに書き、バイトの休憩中に書き、初めて一人住まいをした狭いアパートの一室でも、恋人との旅行先でも、祖母の葬儀場の控室でも、とにかく書いた。そしてコンクールに出し続けた。
コンクールに出す本は、一度出してしまえば二度と書き直す事は出来ない。
締切は必須であり、一分一秒でも締切を過ぎた物は選考対象には入らない。
一つのコンクールには少なくとも100本程度、多いと2000本近い脚本が集まる。
そこから選ばれるのは一作か二作、場合によっては受賞者なしという事だって大いに有り得る。
獲れば天国、落ちれば現状維持。電気代だって喫茶店のコーヒー代だって誰も払ってはくれない。全てが未来の自分への先行投資。額面を見れば損しかない。
しかし楽しい。
特に締切直前の独特な状態が好きだ。
タイムリミットはすぐそこまで来ているというのに楽しくて仕方がない。
おそらくタイムリミットがすぐそこまで来ているからなんだろう。
怖いものなど何もない、自分は天才だ。
何故なら俺が今書いている本は日本映画史に刻まれて然るべき空前絶後の傑作なのだから。
こんな楽しい事があるのだから、他には何も要らないさ!と思う事さえある。
いやはや、締切、おそるべし。
よくよく考えてみれば、日常は締切に溢れている。
支払い期日、納期の期限、朝はこの電車に乗らなければ間に合わないとか、何時何時までにこの資料を纏めておかないといけないとか、あの食材は明日中に使い切らないと腐ってしまうだろうとか。夏休みの宿題に代表される様に、締切直前になるとだいたい人は本気を出すものだ。
そんなこんなで今日も草鞋を履き替え、次のコンクールに提出する本の執筆を進めている。締切は来年の二月頃。まだまだ余裕はあるのだけれど、その余裕にかまけていると足元を掬われるので少しずつでも書く。
そんな毎日を送っていた或る日の朝に電話が鳴った。父からだった。
「母親がお腹の激痛で病院に運ばれた」らしい。
とりあえずその日は入院となり、翌日に検査結果を聞かされた。
ステージ4の膵臓癌だった。
肺と腸にも転移が見られるらしく、事態はなかなか深刻だった。
医者からは「もって半年、早ければ数か月、稀に数年生きる人間もいる」と言われた。
項垂れる父を横目に母は気丈だった。
そして抗がん剤や化学療法を用いずに余生を全うしたいと言った。
いかにも母らしい。
とにかく感情表現が豊かな人で、笑う時も怒る時も泣く時も常に全力の人。
「苦しんで病室の天井を見詰めたまま逝くのは御免だ!」
その通りだ。
『ジュラシック・パーク』を観ている時、隣の席には母がいた。
『ロストワールド/ジュラシック・パーク』の時も隣の席には母がいた。
古畑任三郎も、王様のレストランも、ラジオの時間も母が教えてくれた。
ダビングしてくれていたのは父だったけど。
キングカズに憧れてストライカーになりたいと言っていた自分に、
川口能活押しの母は「ゴールキーパーやりなさいよ!」と頻りに言っていた。
思えば、自分が初めて映画に触れたのはVHSに収められた『バック・トゥ・ザ・フューチャーⅡ』であり、それを見せてくれたのも母だった。以来、「一番好きな映画は何ですか?」という世界で一番答え難い質問の答えはとりあえず「バック・トゥ・ザ・フューチャーですかねえ」になった。
最近は父とよく二人で映画に出掛けていたそうだ。
ハマった作品はDVDを買って何度も観返す。最近だと『シン・ゴジラ』と『ボヘミアン・ラプソディ』はデッキが記憶するんじゃないかと思うほど観ていたと思う。
逆にハマらなかった作品の事はこれでもかとこき下ろしていた。
そんな母だ。
もともと本の虫だった母は、ここ一年ほどで小説を書き始めていた。
自分の人生を振り返る、伝記のような物語だった。
驚くほどの速さで一作目を書き終えて、最近は二作目の執筆に入った所だと言っていた。
「書いている時が一番楽しい」
そう言っていた矢先の出来事だったにも関わらず、母は言った。
「私は人生の締切を与えられたのよ」
その通りだと思う。
締切直前の景色がどれだけ楽しいか、母も分かっているのだろう。
そして、頭で思い浮かべた事は何かを何とかすればなにかしらの形になるということも。
「未来は白紙だ、君達がこれから作るんだ」
とは、彼の有名な博士の言葉。
原稿を進めなければならない冬の入口。
少しだけ寄り道をしてみたくなった。
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