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2023-02-06: ボトルメールと法解釈

ヘッダ画像は8年くらい前に須磨海岸でみつけたカキの貝殻。

当時私は仕事の都合で関西に住んでいて、駆け出し登山家くらいのモチベーションで結構方々へ登山に赴いていた。これは須磨アルプスを登る前に海岸を散策していて撮った写真。

九十九里浜なんか行くとハマグリやサルボウガイの貝殻がいっぱい落ちてるが、カキって結構レアよな。裸足で歩く海水浴場にカキの貝殻落ちてるのちょっと怖いが。

砂浜を歩いていると、マテガイの穴をつい探してしまう。砂浜に塩持って訪れることなどまず無いし、マテガイ取ってもしょうがないので潮干狩りはしないのだが。

新潟の砂浜にはクルミがたくさん落ちていて驚いた。
なんでも、山から河川を経由して汽水に集まり砂浜に打ち上げられるらしい。砂浜に打ち上がってるものって、なぜか外洋から来るという先入観があって、やや脳がバグる。


私は小学生のとき、現・茨城県神栖市に住んでいて、波崎海水浴場が身近だった。もう20年近く前の話だ。えっ、20年? こわ……意味がわからん。

そういう町で小学生などやっていると、校外清掃活動として砂浜の掃除に動員されたりする。授業が潰れるので、私としてはこのような校外活動は嬉しかった。

当時、波崎の砂浜には外洋のゴミから弱ったクジラまで、様々なものが漂着していた。そのなかで印象的なのが、海外からのボトルメールだ。どう森みたいに、マジのボトルメールが砂浜に打ち上げられていた。
文面は英語だったらしく、小学校の先生が翻訳して曰く、仕事を探しているのでこれを読んだ人は連絡して欲しい、とのことであった。

当時はふーん、と納得したが、よくよく考えてみると職探しのためにボトルメールを海に流すだろうか? やけっぱちの戯れか、冗談か、あるいは先生は本当は、別の文章を読んでいたのではないか。
ボトルメールは、差し出し主には申し訳ないが分別の上、廃棄した。今となっては、真相は藪の中、ならぬ灰の中、である。


同性婚に関する憲法論について、石埼学教授のツイートが反響を呼んでいる。

上記主張およびその主張背景説明に対し、Twitterでは賛否以外にも石埼教授の主張は同性愛者に対する差別であるという声が上がっている。それにともない、教授への過激な暴言なども認められる。
例によってTwitterの悪いところが出ている形だ。

私は法学にまったく疎くて、こういった主張には知的な面でついていくのが大変だ。こういう場合、とりあえず「私はなんもわからん」として、ひとつひとつ調べたり(このとき、自分がどんな情報源を利用しているかに対しては自覚的に検証できるはずなので注意しておく)考え事をしていく。

曽我部真裕教授が本件について言及されていた。
婚姻制度というものが設計主義(ハイエクの造語。任意の社会目的を達成する社会設計が可能という考え方)的な背景によって準備されたものではないので、同性婚のみならず異性婚も制度としては盤石でないんだよね、という話。

曽我部先生曰く、現行法制定時点における婚姻制度への国家スタンスとして、結婚する当事者の利益(幸福追求)と独立に、社会秩序維持的な関心があったのは確からしいと。
ゆえに伝統的には同性婚と異成婚は区別でき、憲法は(現状)人口増産に寄与できない同性婚を保障しないという通説、法解釈がある。
ただ、2023年において同性婚と婚姻制度の問題は種々の理由から世論的に切実化しており、制度更新も現実的に検討されるべきだと。

曽我部先生の解説わかりやすいな。この私が「わかりやすく分かってしまうこと」には常に警戒しないといけない(わかったつもりになっちゃう、ってこと)のだけど。これは大変大事。自分を専門家だと錯誤するから。

私は石埼先生のツイートを読んで、「国家が保護すべき利益」の有無が婚姻制度の目的要件として必要十分条件なのだろうか? という点がよくわからなかった。
曽我部先生は、それもあるし、婚姻当事者間や子の利益の問題もあるよ、とおっしゃっている。
こういう話を読みたかったのに、口撃的ツイートが石埼先生に結構飛んでて、自然先生もそれらへの対応に終始する形となり残念であった。

曽我部先生が上記ツイートツリーの最後におっしゃっているが、任意の他者の主張、というか他者に対して、ベースとなる尊敬の念を私は常に持ちたい。
本当はここで「我々は」という主語を使いたくなるが、私はこの点においては注意深く主語を選んでいる。選ばざるをえない。

実生活では、「なーに言ってやがるあんチクショウ」と他者の主張やスタンスに対して思うことが、多寡はあれど、誰しもあると思う。
それは全然いいんだけど、そう思えるのは、他者がそもそも存在してくれているからだ。他者が不在の世界では、私は私の声しか聞くことができない。

他者の言葉はときに耳障りでけたたましいが、私以外の音がこの世界にあることを、一旦は尊敬の念で受け入れる。その上で、批判的見解があるなら理性的に展開し、対話を試みることだ。
最後には、「ありがとうございました」と握手できるように。


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