わが子と一緒にいたいけど働きたい 優柔不断な母の30歳からの働き方
今回は、とっても優柔不断な私がたくさん悩んだ末に選んだ働き方について、
後に自分で読んだときに「そういえばこんなこと思ってたなぁ」ってまたいつでも初心に戻れるように、
そして
例えば私と同じように お子さんがいる主婦の方など、働き方について悩んでおられる方って多いと思うので、
ほんの少しでも参考になれば幸いかと思い、
いくつかの記事に分けて 書いていきたいと思います。
働き方を 変えなきゃならなくなった わけ
私は大学卒業後からの約8年間、転職もして3つの職場を経験しましたが、全て正社員として働きました。そして全てが、興味関心があり資格も持っている社会福祉関係のお仕事でした。
3つ目の職場で働くあいだに結婚しむすめが生まれましたが、産休育休も欲しかったので変わらず働きました。
ちなみに言うと、育休復帰後 時短も検討しましたが、あまりに給料が下がるのでフルタイムで働いていました。
保育園の送り迎えや家事もしながらフルタイムで働くことは 体力のない私には相当きつかったですが、元々やりたい仕事で楽しくもあったので、とりあえずはこのまま続たいなぁと思っていました。
しかし、いきなり夫の県外への転勤が決まり、退職しなければなりませんでした。育休復帰後8ヶ月での退職でした。
そして 2023年4月から、実家とも県を跨いだここ広島で、1歳児と自宅で過ごす日々がスタートしました。
私が決めた働き方は
焼き菓子を販売するお店で扶養内パートとして働くことです。
先月6月から、9:00〜16:00(休憩30分)の6.5時間×週3〜4日の契約で、働き始めました。
経験者の募集でしたが、8年以上前の大学でのアルバイト経験もそれとして見てくださり、雇っていただけました。
オーナーさんが面接の時に言っていた「うちは厳しいよ。カフェの仕事は見た目ほど華やかじゃなく、地味な仕事が多いし、カフェでバイトしたいってだけじゃ乗り切れない。」という言葉通り、
久しぶりに日々こんなに怒られながら働いていますが、
奥さんが心を込めて作る素敵な焼き菓子に囲まれて、それらをワクワクしながら選ぶお客さまのお顔が見れて、お菓子を笑顔で受け取っていただけるのが嬉しくて、とっても楽しくお仕事しています。
併せてむすめも6月から新しい保育園に行ってくれています。
なぜ パートで働くことにしたのか
ここまでで なんとなく、私たち世帯は旦那さんのお給料だけでは なかなか生活が立ち行かなさそう、ってことがお分かりかと思います。旦那さんには完全に流れ弾です。ごめん。
さらに、私たち夫婦は2人ともお酒が好きで、今はむすめもまだ小さいので落ち着いていますが 外へもよく飲みに行くので毎月お酒代がとってもかかります。
お酒代って馬鹿にならないですよね。
毎月の生活費もかかるし、ある程度服も音楽も好き、日用品もこだわりたい。
忘れちゃならない保育料も、前年度課税額でみるのでまだまだ高い。
パートやアルバイトだってボーナスももらえる時代かもしれないけど、まだまだそんな仕事先は少ない。
できるだけ不自由なく暮らすには、また正社員の仕事を探した方がお金的には楽だったのかもしれません。
でも、私は社会人になって初めて、パートタイマーという働き方を選択しました。
それは、以下の理由からです。
夫も仕事の環境が変わり、サポートが必要だと思った
夫の転勤の理由は、今まで依頼が無かった地域に、新しい支店を作るため。
夫は営業職です。新天地での飛び込み営業が、たちまちの主な仕事。
今回初めて役職もつき、精神的負担が計り知れないでしょう。
追い討ちをかけて夫は、豪快で男くさいわりに、心がとっても繊細な人。
5月に私が仕事を探していた頃には既に 毎晩仕事に対する弱音を漏らしており、
「サポート」というほど偉そうなことはできませんが、例えば側で聞いてあげること。
夫が仕事に集中できるよう、私は家事や育児手が回せるようにしておくこと。
これは妻としてできることしなきゃな、と危険察知したのでした。
(実際のところは、私も家事育児中心の生活に慣れず、喧嘩ばかりしています、どうしよ。)
今しかない子どもとの時間を大切にしたい
じゃあなんで働くの?と聞かれるかもしれません。
色んなお母さんお父さんがいるとは思いますが、私は、育休と仕事復帰を経て、「子どもとずーっと一緒にいることが お互いにとってあんまり良くないことになるタイプ」だということがわかりました。
ただでさえ保育園の1歳児クラスは狭き門。
私の住む地域も待機児童は決して他人事ではなく、6月7月入園を見送ると、タイミングを逃してしまったら今年度入園できない可能性も出てきます。
引っ越して早々で寂しさもありましたが、仕事探しと保活をスタートしました。
だけど、仕事をしつつも今度は今までよりもっと子どもとの時間も大切にしたい。
週3程度のパートであれば、自分にも負担なくむすめと過ごす時間を持てるのでは、と考えました。
今、むすめには週4程度で保育園に行ってもらい、仕事のほかに1日は自分の時間をもらっています。(保育園にも大感謝。。。)
そのおかげで、フルタイムだったときは週2日の休みも自分の疲れを癒すことを中心に考えがちだったんですが、
今は 子ども向けイベントなどを調べてむすめが喜びそうなところに積極的にお出かけしたり、おうちでゆったり絵本を読んだりできています。
今まで漠然としていた「カフェをしたい」という夢と、自分の将来像を考えた
結果、カフェ開業のために経験を積むには そろそろ動き出した方が良いと思ったんです。
カフェを開業する方の多くが、カフェスクールなどで学ぶか、実際に飲食店でアルバイトをして経験を積むか、しておられます。
私には無収入でスクールに通う選択肢はありませんでした。
できるだけ、自分がイメージするお店に近いところを探し、ぜひ働きたい!と思えるお店に出会うことができたら、働こうと思いました。
そして何より、今まで完全趣味だったお菓子作りを、お客さんに食べてもらえるレベルに近づけなきゃいけないし、パン作りに至っては初心者です。
お菓子もパンも、とにかく焼くことが上達への道だと聞いてます。
月に何度か教室へも通いたいです。
週3〜4で働きながら学びつつ、カフェでお出しするメニューの練習もしていこうと思いました。
「カフェ開業に向かって動く」ことは、自分の将来像を考えるなかで、決意しました。
私が今までしていた社会福祉士のお仕事は、ほんとうにやりがいのあるお仕事でした。大好きなお仕事でした。
転職も経験し、病院のソーシャルワーカー、お年寄りのデイサービスの生活相談員、社会福祉協議会(コミュニティソーシャルワーカーとかも言います)のお仕事をしました。
そこで出会った たくさんの方々のお話に耳を傾け、共感させていただき、その方の生活などについて、一緒に考えさせていただく。
私が何をできたということはなく、いつもいつも、お話を聞かせていただいた相手の方々から学ぶことばかりでした。
でも、子どもが生まれてから、お仕事と私生活との線引きが苦手な私には、ちょっとしんどいお仕事になってきました。
休みの日も、「週明けにはこの相談対応があるから、この調べ物をして…」だったり、仕事のヒントになりそうなことをメモしたり、無意識に事業の計画を立てたり。
これからむすめと一緒に歩むことになる長いキャリア。一度始めると のめり込む私。
会社勤めということも含めて、「また正規で福祉のお仕事をするのは、もうやめよう。」と思いました。
さっきと重なる部分もあるんですが、
まずはむすめが中学生になる10年後くらいの自分を考えたとき。
自分達のカフェに、学校帰りの娘が友達を連れて晩ご飯前のおやつを食べに帰ってくる。
お店に来てくれている地域の方と、挨拶と簡単な会話をする。
地域に見守られて、娘が育っていく。
それに恩返しをするように、カフェを通じて地域のつながりを強めていく。
日々、地域に住む方が より元気に住み続けられるようなカフェづくりに力を尽くす。
お店が軌道に乗ったら、たぶん精神面で今の会社に勤め続けることが健康的でない夫も一緒に事業ができたらいいじゃん。
そんな、自分の将来像と夢を抱きしめて。
現実は しがないパート主婦です。
おわりに
めちゃくちゃ現実的なこと言いますが、
もちろん扶養のことも、めちゃくちゃ調べました。
今まで縁がなかったので、知らないことだらけでした。
ママ向けハローワークへ話を聞きに行ったほか、県のオンラインセミナーで社労士さんの話を聞いたり、もちろん自分でネットで調べたり。
扶養内・外それぞれの場合で、カフェパートのだいたいの時給と所得税住民税・社会保険料も全て国税庁など正規のウェブサイトを渡り歩いてエクセルで表を作って計算し、手取りとそこから固定費を差し引いた場合に残るお金について、シミュレーションをしました(笑)
その結果、扶養内で働くことに決め、週3〜4という基準ができました。
働くことが決まったお店の時給から計算し、現在は住民税のみかかる形で収入を抑える予定にしています。
雇用保険はかけときたかったのが本音ですが。
もしここまで読んでくださった方がおられたら だいぶお疲れだと思うので、
今回調べた扶養のことについては 需要があるかな?と思ったらまた記事にしたいと思います。
この記事をお読みいただいたら、どこが優柔不断なんだ?と、思われるかもしれません。
それについては、私自身もアウトプットしてみて初めて気づきました。
しかし私の場合、「こうする!」と決めてからが優柔不断さの見せどころであって、
「ほんとにこれでよかったのかな…」「やっぱりがっつり働いた方が良かったんじゃ…」と
きりがないことを調べ始め "たらればの世界"に迷い込んで行くので、
今回、この働き方を決めるまでの気持ちを大事にしたい!と思い、書き起こしました。
先日、七夕の日、
むすめとちいさな童謡コンサートへ行きました。
歌ってくださった方は、ほんとうの声楽をされていた方で、
最後にお母さん向けに Amazing grace を歌ってくれました。
私は、あぁ、ダメだな、と思ったけれど、
会場である福祉センターの一室は全然泣く雰囲気じゃなかったけれど、
その方ののびのびとした迫力のある声が身体全体に響き、まるで自分がスピーカーになったような感覚でビブラートに合わせておなかが震えて、
やっぱり理性より先に涙が流れました。
その時は恥ずかしくて涙は隠したけど、
私は自分の、言葉や音や表情や景色などに、自らが溶け込んで過剰に心が動く性質が嫌いじゃないし、
これからは自分も何かを表現して どなたかへお届けできたら素敵だなぁと
より、思ったのでした。
最後までお読みいただき
ほんとうに ほんとうに ありがとうございました。
雨がたくさん降る月曜日、お疲れさまでした。
どうかおうちまで、お気をつけて。