方言女子、というラウンジ
こんばんは。
とてもとても久しぶりに文章を書きます。僕です。
前回noteを書いたのは8ヶ月前らしい。8ヶ月前のことなんてちっとも覚えちゃいないですね。それまで色々とありましたが、今日は割愛。
本題に。
先日、六本木にある美術館へ用事があった帰り。
とある看板が目についた。
「方言女子」
気どりながらも少し間抜けなフォントで書かれた金色の文字が強烈に飛び込んできて、思わずその場でGoogle検索。
どうやら、地方出身の女の子がキャストとして働いているラウンジらしい。
HPには北海道から沖縄まで、地方出身の女の子の写真とその子の地元のオススメが書いてあった。偶然にも僕の地元出身の娘が2人もいて、少し気になって見てみる。
ベタな地元名物を、今どき誰も使わないようなマシマシ方言で紹介していた。
ちょっと想像通りで悔しい。
1人は自分と同い年で、色々と不毛な詮索をしてしまう。
なんで上京したのかな?なんて思ってみたり。
別に嫌悪感を抱いたわけではないが、東京という場所を改めて思い知った瞬間だった。
この街ではなんでも売り物になるのだ。
そしてなんでもお金で買えてしまう。
美味しい食べ物も、高級なブランド品も、
それから、ウブな18歳のセックスも、女子大生との疑似恋愛だって。
別に田舎に行きゃあ「方言を話すべっぴんさん」なんて無料でいくらでも歩いているが、それをお金を払えば東京にいたまま体験できる。
なんだろう、僕は別にそこで働いている女の子のことなんて微塵も知らないが、複雑な心中だった。
別に搾取されているわけではないが、
お金と引き換えに自分の若さや体を商品棚に差し出すという事実は
あまりにもグロい。
彼女らを否定しているのではなく、
そんな社会があまりに歪んでいると、思う。
昔、ホテルの20階で綺麗な夜景を見下ろしながらチョコを食べていた時のことを思い出した。
アフリカで知らないこどもが詰んだ豆をはるばる日本に持ってきて、
チョコを作ってはわざわざ20階まで運んできて、
石炭を燃やして光らせる街の明かりを眺めながら僕はそのチョコを食べているのだ。
なんて歪んだ世界なんだろうとハッとした。
同時に、その歪みに対する罪悪感を優越感が上回っていることにも気がついた。
「深く考えたら負け」の社会だな、と思った。
みんな気づいているのに気づいていないふり。