ごめんね<ありがとうの数

今日も多くの記事の中から、辿り着いて頂きありがとうございます。

私は、20代看護師からネットワークビジネスである
補整下着代理店経営に転職。
最年少支店長に就任し、20~70代女性を人の純粋な本質を
見抜き、売上ではなく、一人ひとりに寄り添い経営者に育成した
アラフォーママです。
現在は、原木椎茸農家をやりながら、自分に満足していない女性が
話すことで勇気と希望が持てるコミュニティを構築中です。

noteでは、インスタに投稿した内容を細かく記したり、
人生の棚卸などゆるーく綴っていきます。

最後まで読んで頂けると、嬉しいです。

今日は、昨日母の病院の送迎をしたときの気づきを
お話ししますね。

私の母は15年前(私が23歳、母48歳)に脳梗塞で倒れました。
後遺症に右半身麻痺と失語があります。
失語の種類もいろいろあるのですが、母の失語は相手の会話は理解できるが
自発的に言葉を発することが出来ないのです。
ありがとう。ごめんね。2~3歳ほどの発語レベルだと感じます。

昨日母の送迎するにあたり、15年前の記憶が走馬灯のように
押し寄せてきました。
心のざわつきがひどく、送迎の前日に一人で涙を流したほどです。

なぜそんなにざわつき泣いたのかと、内省すると
母が倒れたのが、予期せぬ出来事であり心の準備が出来ないまま
健康な体から、寝たきり状態になったショックが大きかったですね。

23歳の私は、看護師から代理店経営に転職し1年。
下着の売り上げだけでは生計が成り立たないので、副業として
下着の仕事をやっていました。
自分としては、本業を下着の仕事にしたいために必死な時でした。

母も協力してくれていたけれど、日頃の仕事と家事、
妹の習い事送迎、自分を犠牲にして働いていました。

あの頃の私は感謝という言葉を母に言っていたのだろうか。
やってくれることが当たり前。自分のことは自分でしているんだから
いいでしょ。みたいな強気な自分もいました。

けれど、母が倒れて家の空気がガラッと変わりました。
お金の管理、掃除、洗濯、妹の送迎、食事、書類管理など
すべてどうしたらいいんだ?と困惑。
父もほぼ母に家のことはお任せだったので、威厳のある父が
青ざめて言葉がでない顔をみた瞬間、母の存在は偉大だったと
確信しました。

私は申し訳ない気持ちと心からのありがとうと
言えなかった後悔がずっとあったんですよね~。

母は母で、病気になって私たちにごめんねという。
母にごめんねと言われるたびに、私は泣いていました。
今まで大声で怒ったり、笑い声をあげていた母が
病気でできなくなった。
自分一人の力で生きていくことが出来ない苦しみとの葛藤。
あの頃の母は、げっそりやせてしまい、ごめんねの
一言しか発しなかった。

けれど、
謝るよりありがとうに変えよう。
ありがとうは魔法の言葉と聞くように
自分が言っても、聴いても心地が良い。

ごめんねの数よりありがとうの数を増やそう。

昨日の母は、ごめんね。ありがとう。と言っていました。

謝ることはしていないし、ありがとうのが私は好き。
だからありがとうと言おうと車での会話。
母は照れくさそうに、ありがとうとまた言っていました。

ごめんなさいって言葉も必要な場合もある。

けれどありがとうの感謝の言葉って、心と身体が軽くなるほどの
パワーがあると思うんですよね。
怒りながらありがとうって言わないですしね。笑

ありがとうって旦那さん、子ども、両親に面と向かっていうのは
恥ずかしいかもしれない。

ありがとうの一言が言いたかった人に言えなかった後悔よりも
自分がその瞬間感じた感謝は、必ず伝えることを
母から教えてもらいました。

お母さん、生んでくれてありがとう。
どんな姿でも生きててくれて、ありがとう。

昨日改めて、口から伝えることで
心が解放され、今の幸せを嚙み締めました。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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