父親あってこその自分。
今現在、私は障害者事業立ち上げのために
看護師のアルバイト。
昨年4月から専業主婦から1人で
原木しいたけ農家に起業。
女性支援構築中です。
今、自分でnoteを書きながら
一度にいろいろやりすぎていると
笑っています。
まっ!けれど、今楽しみながら生きてる~!って
感じて幸せなので良きとしましょう(^ ^)
私は今、女性支援構築にあたり
人生棚卸しをしている最中です。
去年、専業主婦から
2度目の起業であることもあり
自己理解を進めてはいるものの、
3月初旬までは、なっかなか自己肯定感が
上がらない。
私なんてまだまだ。
もっとやれば出来る!
頑張らないと評価されないし、自分の価値が
上がっていかないと頭の中が
坂を登るジェットコースター状態でした。
その状態のタイミングで、
自分がやりたい講座を受講し、
人生棚卸しをすることが出来ました。
noteでも少しずつ綴ってはいるので、
お時間あるときに、読んで頂けると
嬉しいです。
私の0歳~現在までを時系列で
振り返るんですが、気づいたことがあります。
私は、父親に認めてもらいたかった。
一言でも、大好きだよ。
ギューッとハグしてくれたらよかったのに。
父親と子どものときに、友達のように
たわいもない話で笑い合いたかった。
私の父は、無口でThe 日本男性という感じ。
仕事人間で、有給も子どものために取らない。
泣いてる我が子には、うるさいから黙れという。
ご飯の団欒は、父親の機嫌が悪いと
静かに食べてすぐに部屋にいけ。
父は、写真に映るのが嫌いだから
映らないし、撮るなと言う。
成績がどんなに良くても、子どもを褒めない。
我が子に関心がない。
そんな父でした。
私は、長女なので、親戚の叔母から
私の幼少期の話を聞くと
泣くと怒られ、おねしょをしたら
土下座をさせられていたとのこと。
(今はまったく覚えてませんが・・・)
いつしかそんな父を私は怖い。
何を話していいか分からない。
お父さんと話すぐらいなら、母と話そう。
と、ずっと父親との関係に
向き合って来なかったんですよね。
そんな父とも向き合わないといけなくなることが
起きます。
/
母が48歳で脳梗塞で倒れる。
\
父親は、仕事人間だったので
家事、育児、家庭、全て母親がやっていました。
母が、後遺症を患い、
倒れてから借金があったことも分かり
家族の喪失感は、今思うと
映画館が上映する前の無音で真っ暗な感じです。
もうどうしたらいいか分からない。
私もその頃、看護師やりながら
補整下着代理店を経営。
実家の居心地が悪すぎて、
その頃の彼と半同棲状態でした。
家族バラバラだったけれど、
母の病気がキッカケで父親と対話するように
なりました。
父は、母のことが大好きで
仕事から帰るとまず「お母さんは?」と
ただいまという前に、母の存在を確認するほど。
今思うと、
そんな父も私は好きだったんだな~と。
私も両親のようなどんなことがあっても
愛し合っている夫婦でいたいと
感じた瞬間でもありました。
病気で倒れた母が、借金も残し、
身体障害者1級の後遺症もあるけれど
母や私たちのために、弱音も吐かず
今日まで生きてくれていることに
私は、感謝しかないと感じました。
父も年齢とともに角がとれて
今は、孫に笑いかけ、私とも
たわいもない話をする関係です。
自分の人生棚卸しすることで
俯瞰して見つめることが出来、
今、心がすごく平穏な気持ちです。
棚卸ししている最中は、泣きながら
ノートに書いていましたけどね。笑
父親との関係が、今の私を作ってくれた
土台でもあるのかと感じ、
少し父に会いたくなりましたね。(^ ^)
今月末に実家に帰る予定なので、
面と向かって育ててくれてありがとう!と
結婚式以来言ってないけれど
ちょっと言ってみようかな~と
思います。(照れますけどね。汗)
過去を変えることが出来ない。
未来は、自分次第で変えることが出来る。
と大好きな人と話していたら
過去を変えることが出来ないけれど、
今の自分次第で捉え方も変わりますよね。と
言ってもらったとき、
確かにーーーーー!
と、腹に落ちた瞬間でした。
人生棚卸しする前は、父親のせい。
家族のせい。環境のせい。
全部、誰かのせいにしてきた自分がいたけれど、
今はそんな自分も愛おしい。
成長したね!私。と褒めてあげたいです。
生まれ変わっても自分になりたいと
思えた人生棚卸しは、
私のやったことが良いと思う
おすすめの1つです。
今日も最後まで読んで頂き、
ありがとうございます!
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