自分は性格が悪いな。
つくづく感じている事だ。
どんな時それを感じるか?と聞かれれば黙ってしまうけれど。性格が悪いことをステータスだと思っているわけは無いので はっきり文章に起こせないことに 少しばかり安堵した。
時折この 自分は性格が悪い に悩み、私は人に相談する。すると大抵「本当に性格が悪い人はそれに気づかないよ」と返されて行き詰まる。完全にここで話が終わり、ああまたこれかってなる。
思いっきり頷いて貰えたら楽なのに、どうして新しい価値観をぶつけて来るのか? ああこういうところも性格悪いのかな。本心であるなら仕方ないって気持ちも多少あるけれど それは多少に過ぎなくて、正直 それ求めてないが!が感情の大多数を占める。9.7割。
少し脱線するが、自分から問いを投げかけておいて 言われたい答えが決まっていることが結構ある。というか大体そう。
なんて言うんだろう。例えば「元気ない?大丈夫?」と聞かれ、「A.大丈夫だよ!」「B.ちょっとね…」の選択肢があるとする。
そこで 乙女ゲーであればどっちを選んだとて ただ物語の結末が変わるだけなのだけど、私の場合「Aを選んで欲しかったのに!なんでBやねん!おかしいやろ!ここはAを選ぶとこやろ!」ってなる。
初めから答えが決まっているのであれば聞くな!それはそうだけれど、自分の出した結論にもっと自信をつけたくて聞いてしまう。複数の選択肢がある中で、相手が 私の導き出した答えを選んでくれた場合、それは自分が間違ってないって証明になるので それを望んでしまう。
数ヶ月前、知り合いから 「貴方は私に意見を求めてくる割に それを受け入れず、大体逆を選ぶよね」と言われた。その時から 人に相談する時は その人の意見を完全に反映させなければならない といった強迫観念が生まれ、出来るだけ自己完結をさせるようになった。
この文章を打っていて、いま、突然全部消して無いものにしたくなっちゃった。そんな嫌悪感に駆られた。自分が自分のことを良く思っていないことは数年前に気づいているが、自分は性格が悪い!と感じる所以として これも原因としてあるのかもしれない。自己嫌悪。自己嫌悪が私を狂わせている。諸悪の根源は、自己嫌悪。自己嫌悪を責めたとて責められているのは自分。負のループ、やめらんないね………
例えば見方を変えた場合 私は別にそこまででは無いのかもしれない。性格が悪い人はきっと人によく思われたいだろう。わたしはこんな文章を晒している時点で性格が悪くないのかもしれない。少なくとも、猫は被っていない。猫かぶりを性格が悪いに当てはめるのは私の価値観過ぎるかも(ママタルト檜原さんの放つ「お前の世界すぎるって!」というツッコミを思い出し、今ちょっとニコニコしています)だし、猫かぶりを批判することで自分を守ろうとしている点で見たら性格が悪い。
以前、私が電車で座っている時 前に小さい子が立っているのに 疲労困憊を理由に席を譲らなかった。その時も自己嫌悪でダメになり、帰り道歩きながら辛くなった。私は、性格の悪さを自覚する度に結構HPが減る。しかしその治し方が分からない。つらい。
そもそも 性格が悪い ってなんなんだよ。さっきから 性格が悪い って打ちすぎてゲシュタルト崩壊を起こしかけているし、なにかの隠語なんじゃないか?私は 性格が悪い という言葉で どこかに何らかのSOSを出しているのではないか?誰か宛ての私信なのか? なんて、自分で産み出した文章に対して疑念を抱き始めている。
この際Googleに頼ろう。性格が悪い でネット検索してみたが、その特徴はいまいち自分に当てはまるか微妙だった。半分当てはまるし 半分当てはまらない。これ、皆そうなんじゃないか?バーナム効果ってやつじゃないのか? 人は皆良い部分だけではなく、ただ その良い部分を自分で見つけられない私が 悪い部分が見えやすくなっているだけなのかもしれない。ポジティブな人間はきっと 自分のここが好きだ!ウェーイ!しかないんだろう。知らんけど。類は友を呼ぶので わたしにポジティブな友達はおらん。だから、知らん。
ダメだ。結論が出ない。
まあ 性格は悪いけど顔はかわいいからいいや とか、思ってみるか。それじゃあもっとやばいか? 性格の悪さすらかわいいに昇華しちゃえたらいいのに。性格の悪さを丸呑みできる可愛さがあればよかったのに。なんて無理やりそれっぽい文章にして話を終わらせようとしちゃっている。でも、かわいいってどんなこともオブラートに出来るから。実際。もっと無敵のかわいいを私が身につければ性格で悩むことなんてなくなるのかもしれない。真理だ。真理だ!と確定してしまおう。性格の悪さと自己否定は比例すると導けたそれだけでも今日の脳内は収支プラスである。