無理たてホヤホヤ

あ!だめかもしれない〜と思った時の落ち方って本当に急勾配で、今電車でそれになっているんですけど、唯一救いがあるとすれば今日ライブがあるということで、今日が土曜日で本当に良かった

隣の人も、反対隣の人も私の事を嫌っているんじゃないか、私が原因で怒っているんじゃないかと思ってしまっています
でも謝る理由も分からないし 私が何をしてしまったかは分からないのでただ焦ることしか出来ず電車で肩身の狭い思いをしています。肩身の狭い思い なんて一方的になにかやられてるような言い方をしたけど、それは私の捉え方が湾曲しているだけだと分かっている

全部自分の思い過ごしであることは分かっていながら、謝罪だけが打開策なのだと断定するもう1人の自分が居る

私には、暴れ狂う自分とそれを客観視できる自分がいるのです
これは高校生のとき 保健室で自身について話したとき 先生から あまりにも自己分析に長けている と指摘(指摘って言葉が正確かは分からない)されて知りました。
人から言われたことは信じることができます。その言葉が虚構であったとて「○○さんに言われた」という事実は存在しているから それは自惚れにならないので。その人に責任転嫁できるので

私は気持ちが落ちると、思考停止ではなく思考が止まらなくなります。だから今noteに殴り書きをしています。朝の10:00に深夜のような文章を書いています
鳥が鳴いている声すら中傷されているように感じます。ぶっ壊れているという思い込みが自身を回復させるので、なるべく自分は変わり者だ 他者とは違う まともではない と言い聞かせることでこのモードに対する理解を深め、それなら仕方ないね(笑)という得体の知れない寛容の部分に自分を収納します。小さすぎる押し入れに 絶対に入らないだろってサイズのデカすぎる羽毛布団を押し込んでいる感覚です。それはそれは入らないです

隣に座っている人間が立って電車を降りていくのは至って普通のことであるはずなのに、私が悪かったのかもしれないという自責の念に駆られます。そんなわけはないのにね。あまりにも自己中心的な思考がそうさせているんだと思います。アイドルに向いている。私はアイドルに向いている。なぜかというと、人とは違うから、向いている。大丈夫。大丈夫。すごい。こういう なんていうの、思考の転換というかね、マジカルバナナみたいなことがずっと頭の中で起きています私。だから一分前に考えていたことはもう忘れているんだよね。それは忘れやすいとかではなく次々運ばれてくる思考の上書きのスピードが早すぎるのです

なんか言語化したら落ち着いたので今日もライブ頑張ります。もうすぐ下北沢に着きます