旅の終わりと旅の始まり
朝、いつものように犬たちがソワソワし出すと僕の目も覚める。
カチャカチャと爪が床に当たる音が聞こえる。
この音はドンだ。10年近く共に暮らしていると、足音でどの犬かわかる。
散歩に行こうとドアを開けると、昨日とはまるで違う冷たい風が通り抜けた。
慌ててパーカーを着込み、外に出る。
秋がやってきたのだ。
目の前の牧草地も2番草を終え、今年の牧草シーズンも終わりを迎えた。
新しい季節の到来は、いつも喜びに満ちている。
夏の間から、コアコアと聞きなれない声が家の周りで聞こえていた。
それがチゴハヤブサという猛禽類だと知るのは、もう夏も終わる頃のことだった。
いつも散歩に行くと電線に止まっていて、ドンが下を通り過ぎる前に飛んでいってしまう。
本当に頻繁に会うので、この近くに巣があるんだなと思ってそれ以上踏み込むことはしなかった。
僕がここで生活しているのと同じように、彼らにも生活があって、それらは決して交わる必要はない。
ただいるとわかるだけで、僕はいつも豊かな気持ちになれる。
ある日のこと、いつもの散歩ルートの帰り道に、今日はチゴハヤブサが2羽いる。どうやら夫婦のようだ。
僕が近くを通るとやたらと警戒している様子だ。
今日はなんだか騒がしいな。そう思ってふとチゴハヤブサが止まった木に目をやると、そこには巣立ちを迎えそうな雛が2羽と小さな巣があった。
「ここが家だったのか。ごめんごめん。すぐ離れるよ。」
そう謝ってその日はすぐにその場を離れた。
それからというもの、僕は少しずつその巣を気にするようになっていた。
朝散歩に出かけると、コアコアと鳴き声がする。
あぁ今日も元気に鳴いているなとその声を聞くのが毎朝の日課となっていた。
雛たちはもう十分大人の姿をしていて、旅立ちの日は近いようだった。
親たちも子育ての最後の仕上げとも言わんばかりに、とても神経質になっていた。
カラスや鳶など、他の鳥が少しでも彼らの巣に近づくと親鳥は大声で鳴きながら飛び立ち、小さな体で大きな猛禽たちにも果敢にアタックしていた。
ただ通り過ぎただけのカラスも、親鳥に囲まれてアタックされていた。
我が子の旅立ちの前に、最後まで懸命に子供たちを守ろうとしている彼らの姿に、僕はすっかり惚れ込んでしまった。
ある日の夕方、いつも通り犬たちの散歩に出ているといつものようにチゴハヤブサたちが鳴いていた。
心なしかいつもより声が多い気がする。そう思って巣の方に目をやると4羽でまとまって飛んでいた。
おそらく子供たちと飛ぶ訓練をしていたのだろう。
美しい夕陽に照らされて、4羽のハヤブサ達はその中に溶けるように消えていってしまった。
誰にも見られない自然の物語を覗けた気がして、僕は彼らが見えなくなった後もしばらくそこから離れることができなかった。
その2日後から、親鳥は姿を現さなくなった。
それは子供たちの独り立ちを意味していた。
自分の姿と重ねずにはいられなかった。
これから彼らは人間社会よりも遥かに危険で辛い世界へと旅立っていく。
自分で餌をとり、敵と戦い、家族を作り、また子を育てていく。
自分で自分の生きる場所を作っていく。
そんな彼らの姿を思うと、心から励ましたくなるし、僕もまた彼らの生き方から自分が励まされているような気持ちだった。
同時期に、すぐ近くの川ではサクラマスや鮭の遡上が始まっていた。
毎年この時期に見られる彼らの遡上もまた、本当に感動する。
海に出て、数%という確率の中で生き残り、人間の仕掛けた網にもかからず、そして最後に母川回帰と呼ばれる生まれた川に戻ってその生涯を終える。
なんと美しい輝きなんだろうと思う。
鮭に詳しい友人に聞くと、鮭たちは海から川に入った瞬間から一切の食事を摂らないという。
「なんでかは分からないんですけどね、食べ物が目の前にあっても食べないんですよ」
慈しむように遡上する鮭を見つめながら友人は言った。
命を繋ぐために、文字通り自分の全てを出し切って命を全うする鮭たちの姿は、自らの生き方を照らし合わせずにはいられない。
僕は彼らのような覚悟を持って生きられているだろうか。
彼らのような信念を持って生きられているだろうか。
全ての自然が、彼らの生き方が、そう僕に問いかけてきているようだった。
ふと目をやると、川の流れが滞留している場所に1匹の鮭が死んでいた。
遡上でいくつもの石に削られたお腹、雄同士が戦い、ボロボロになってしまった顔や背中。
その姿は彼の生き方そのものであり、とても美しかった。
人間社会や文明に、少しも呑まれずに生を全うできてよかったと思う。
卵として産み落とされた瞬間から、ヤマメやカワガラスなどの敵から狙われ、稚魚の間も、さらには海に出てからもたくさんの敵の中で逞しく生き延びてきた鮭たち。人間の仕掛けた罠や網にもかからず、何万分の1の確率で
遡上をしてきた彼らに敬意を表さずにはいられなかった。
彼の命はここで終わり、また子供たちへと受け継がれていく。
来年の春にはここで育まれた命がまた一斉に海へと旅立っていく。
全ては繋がっている。
1匹の旅を終えた鮭の横に1輪の梅花藻が静かに咲いていた。
旅の始まりと終わり。
チゴハヤブサはここから旅立ち、鮭はここで旅を終える。
命は、生命はいつも循環している。
そのことに無自覚なのは、僕たち人間だけなのかもしれない。
自然は美しい。命は廻る。
何度も聞いて使い古されたその言葉たちが、重みを持って自分の中を巡っていったのがわかる。
当たり前に知っている命の循環や命の輝き、その当たり前をきちんと目の前で見て、感じることが僕にとってはいつも驚きに満ちていた。
そして自分はまだ何も知らないのだと、いつも思い知らされるのだった。
これからもここで、命の廻りを感じながら生きていきたい。
毎年やってくるそれぞれの季節に思いを馳せながら、僕も彼らのように自分の旅を続けたい。
この地を見つめながら。
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