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「ぼすけ」という犬の生き方
ぼすけ。
我が家のビーグル犬で今年で8歳を迎えた。
「名前の由来は『ねぼすけ』からですか」とよく聞かれるくらいにはぼけっとしていることが多いぼすけだが、実は名前の由来はポルトガル語の森を意味する「bosque」から取ったのが由来だ。
先代のビーグル犬が緑のイメージが強く、そのイメージを受け継いでもらえたらという願いから日本名としても違和感のない言葉を探していたところ、この言葉に出会い命名した。
今ではすっかりお気に入りの名前となったぼすけだが、彼の性格は本当に面白い。
先日発売された緑書房様発刊の「Wan 2024年7月号」にも書いたが、ぼすけという犬はとにかくマイペースなのだ。
決して自分のペースを乱さず、常に自分のやりたいように生きたいままに生きている。
しかしそれがわがままかというとそうでもない。
我を無理に通そうとしたり、頑固になったりはしない。
きちんとこちらの意思を汲み取って、時には合わせてくれるのだ。
そこがぼすけのすごいところだ。
お客さんが来て、我が家の犬たちはみんなお客さんのところへ走って行っても一人穴掘りを続け、気が向いたら笑顔で近寄っていく。
飽きたらまたすぐに穴掘りや匂い取りに夢中になり、お気に入りの枝を見つけると誰にも見つからないように隅の方でひっそりと齧っている。
ラフィにちょっかいをかけられ、転ばされると本気で怒りラフィに向かっていくが足が短く体が重いぼすけはラフィに敵うはずもなく、いつも転がされている。
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その場では勝てないと思うと、ラフィが寝ている時に顔面にマウンティングをしに行く。あまりに酷いとドンや僕に怒られて、シュンとして寝入ってしまう。
ステイをかけると顔が死に、いかにも嫌そうな顔をする。
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シャンプーをされるとわかると、決して手の届かない薪ストーブの後ろに隠れてやり過ごそうとする。
眠い時には仰向けになって寝て、ご飯になると1番早く近くにやってくる。
夏以外の季節は夜が寒いので、寝る前は僕の布団に必ず入ってくる。
僕が好きで入ってくるのではない。自分が寒いから布団に入ってくる。
本当にぼすけは自分の感情に忠実で嘘をつかない。いや嘘をつけないと言ったほうが正しい。
誤魔化したり、茶化したり、嘘をついたり、そういうことがぼすけにはできないのだ。
散歩に出ると匂い取りに夢中になって、気づくと1人でどこかへ離れて行ってしまい、気がつくと「あれ?みんなは?」と言った顔をする。
いや離れたのはお前じゃないかと突っ込んでも関係ない。
自分が世界の中心にいるのだ。
こう書くとぼすけはどうしようもないように思えるかもしれないが、彼はちゃんと呼べば戻ってくる。
叱るとちゃんとごめんないと言う。
誰かが枝を欲しがれば譲ってやる。
ご飯中に誰かが邪魔をしてきても怒らない。お気に入りのソファの上に誰かが寝ていても自分は別の場所で静かに寝ている。
散歩中に自分だけリードをつけられていても、全く怒らないし不満な顔もしない。
ぼすけはいつも与えられた環境で満足しているのだ。
そしてその中で自由を謳歌している。
僕はそんなぼすけの生き方にいつも憧れている。
決して多くを望まず、今ある環境を精一杯楽しんで、嘘をつかずに日々今を生きている。
冗談ではなく、僕が持つ生き方への憧れそのものなのである。
僕は来客があった時にいつもぼすけを見て「この子みたいに生きられたらどんなに幸せなのだろうと思うんですよ」と言うと多くの人は冗談を言っていると思うみたいで笑われることが多い。
けれど僕は大真面目にそう思っている。
ぼすけのような生き方を人はなかなかできない。
どんなに満足に散歩に行けない日々が続いても、不満が溜まっているかもなと思う日々が続いても、散歩に行こうと言えば全身で喜びを示してくる。
僕ならば「なんだよ何日も構ってくれなかったくせに今更いい顔すんなよ」と拗ねたくもなるのだが、彼は全く過去を引きずらない。
今を生きる天才なのである。
僕はずっと「自由」という言葉に憧れがあった。
僕のこれまでの活動は自由を求める旅だったと言い換えてもいいかもしれない。
環境を変え、仕事を変え、会う人を変え、そうやって僕はより自由を求めていった。
しかしぼすけを見ていてそれが間違いだったと気がついた。
自由は外の世界にはなくて、いつも自分の心の中にしかないものだった。
思えばぼすけはいつも自由だった。
千葉にいた頃も、狭い部屋で暮らしていた時も、僕が不自由を感じていた時も、満足に散歩が行けなかった日々も、彼はいつも自由だった。
それはいつでも彼が今を生き、自分の感情に忠実に生きていたからだった。
彼はずっと自由だ。彼を見ていて、自由とは自分の心の持ちようだということに僕はようやく気がついた。
彼のように、どんな場所でどんなことをしていても、いつも自分の心に忠実であればそれはきっと自由なのだ。
そんな生き方を仔犬の時からずっとしてきたぼすけを僕は心から尊敬しているし、生き方の指針になっている。
もちろんぼすけだけではなく、他の犬達からも学ぶことばかりだ。
いつも言っているけれど、犬育てなんて結局できなくて、どこまで行っても僕は犬の生き方には敵わないし、犬から学ぶことの方が遥かに多いのだ。
彼といると、いつの間にか絡みついている見えない心の鎖が解けていくのを感じる。
そうやって僕はこれからも犬や自然に教えられながら、共に暮らしていくのだと思う。
これからもぼすけとの日々を一緒に笑いながら過ごしていきたい。
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