遠野ふるさと村へ行ったこと
日本はどこに行っても同じような風景が広がる
主要道を車で走っていて街中に入れば、同じようなロードサイドの店舗の看板が目に入ってくる。ファストフードやファミレスやドラッグストア、衣料品などのチェーン店。地方都市には必ずイオンやユニクロがある。金太郎飴のように同じ風景、光景が続く。日本はどこも同じだなと。
岩手県内も基本は同じ。ただ市街地を少し外れるといきなり何もない風景になる。川が流れ、その周りは広い広い田園地帯。そして遠くに連なる山々。その山々を超えれば他県に、あるいは三陸の海岸沿いに出る。
一関から遠野に向かって県道14号を北上すると最上川沿いに広大な田園地帯が広がる。遠くの山が見えるが一面の田んぼだらけ。時期的にはほとんど稲刈りが終わっているが、一部まだこれからの田もある。
思わず道路脇に車を止めて、その広い田園地帯を眺めてみる。ここまで田園が続くのはなかなかないかと思ったりもするが、実はディープ埼玉でも川島とかそのへんを走っていると、同じように一面田園地帯、遠くに秩父の連山を目にするような景色もあるかもしれないとふと我に返ったりも。
とするとこの広い田園地帯になんとなく興味を覚えたのは単なる既視感なのかもしれないと思ったりもする。
北海道を一度車で回ったことがあるが、あのときはどうだっただろうか。美瑛あたりから旭川まで二往復くらいしたはずなのだが、記憶は不確かだ。
でも岩手の田園地帯は一興に値するような。
遠野ふるさと村
釜石自動車道路を遠野ICで降りると、周りは山だらけになる。そして田園や丘陵が続く。日本の原風景があると称されるような遠野の風景だ。
そして訪れたのは遠野ふるさと村。
なだらかな丘陵地帯の中の森林に囲まれた8.8ヘクタールの敷地に南部曲がり家と四あれる直角に曲がった形状の古民家が7軒移築され、その周囲には実際に収穫もされる田や馬が放牧される小さな牧場、河童でも出そうな雰囲気の池などがある。野外型の博物館である。
ここには12年前、会社の同僚や得意先のお偉方とのオヤジ旅行で訪れた。そしてけっこう気にいったところで、もう一度来たいと思っていた。ここへ行こうと言ったのが誰だったかは覚えていない。でもそれを提案した人にはなんとなく感謝している。ちょっと独特の雰囲気をもった場所だったし、古民家の中にはふつうに入れる。
古民家が軒を重ねるというと、福島の大内宿を連想する。あそこは実際に人が住んでいる古民家群だが、道に沿って続くその古民家すべて土産物の店舗か飲食店になっている。さながら古民家のアーケードだ。それに比べると遠野ふるさと村はある種商業ズレしていない。土産物や飲食店は入り口のビジターセンターにあるだけだ。
駐車場は道路沿いにある。そして入り口からなだらかな斜面を登ったところにビジターセンターがある。
天気は快晴で雲ひとつない。今回の旅行で一番天気が良かったのがこの日だったが、そういう日に来れたのは幸いだった。
そしてビジターセンターに着くと横に数台分身障者用の駐車スペースがある。なんとなく「言ってよ~」と思ったりもする。緩やかな坂道を登りきったところにそうしたスペースを見つけるとちょっとだけがっかりもする。とりあえず妻の車椅子をビジターセンターの前に残して、自分は駐車場に戻り車を身障者スペースに移動させる。
そしてビジターセンターを通ってふるさと村の中に入る。
遠野ふるさと村はなだらかな丘陵地にある。なので全体的に緩やかな斜面を上るイメージだ。しかもそれぞれの古民家に通じる小径は当然のごとく舗装されていない砂利道である。これが車椅子を押していくとなると、えらく難儀である。砂利道のちょっとした石を前輪が超えることができなかったりする。そのたびに車椅子の前輪を持ち上げて進まなくてならず、いつも以上に力を入れる必要がある。
やや下りでも砂利道の石に前輪が引っかかって止まる。下りのため勢いがついているために、つんのめるような感じになり、それこそ乗っている妻が前に放りだされるような感じになる。一度、やや大きな石にあたって本当に前のめりになって、あわてて妻の身体が腕で抱えるようになったこともあった。そして車椅子のハンドル部分が腹に当たってひどく痛かった。
12年前に訪れたときにはそんな斜面だの砂利道などは、まったく気がつかなかった。普通に上ったり下ったりしていただけだ。健常者であるときにはけっして気づけないバリアが多数あるということは、妻が障害者になりそれを介助するようになって気がついたことだ。かといってこの古民家を集め、日本の原風景を人工的に作り上げたようなこの屋外博物館に、過度なバリアフリーを求めても詮無いことだとは思う。
ここに移築された曲がり家の建築年代は、一番古いものが宝暦12年(1762年)、多いのが明治初期から中期で、250年から150年前後経過しているまさに古民家だ。その室内も高い段差が普通にある。当時は暮らしに多数のバリアは当たり前にあったということだ。そんななかで身体に障害を抱える人々は、限られた空間での生活を強いられていたということ。
郷愁を感じさせる原風景を現出させた遠野ふるさと村、その鄙びた田舎的な風景をそんな生活などしたことがない都会の人間に、疑似的に醸しだされるノスタルジックな郷愁ととも田舎生活を追体験させてくれる。そんな長閑な田舎の砂利道がいきなり苦行となったりもした。
それでもこの遠野ふるさと村は雰囲気もよく、前回来たときに感じた心地よさを十分に感じることができた。小雨続きの今回の旅行のなかでは、一番天気が良かったのがこの日で、そういう時に来れたのお幸いだった。妻もけっこう喜んでいたし、自分的にももしまた機会があれば訪れてみたいと思ったりもした。でもまあ年齢的には次はないかもしれないけれど。
南部曲がり家とは、飛騨の合掌造りと並ぶ日本を代表する民家の形態で。茅葺の民家には長方形の形状の直家(すごや)と居住空間と厩が鍵型になっているなっている曲がり家がある。岩手地方では南部に直家が多く、県北(旧南部所領)には曲がり家が多かったという。曲がり家は人の居住空間と厩がL字型に曲がっていて、居間や台所から常に馬の様子が見ることができるようになっている。いわば馬が一つ屋根の下で、家族の一員として扱われてということだ。曲がり家は例外なく正面を南向きに建てられていて、厩のある曲がった部分は冬の冷たい風を遮る役割を果たしていた。
馬小屋にも馬がいた。しらゆき号という人懐っこい馬で、触らせたあげるよとばかりに近づいきて顔を車椅子の妻のほうになすりつけた。妻も自分もちょっとびっくりしたけれど、とてもフレンドリーな馬だった。
室内にはヤモリがいた。自分はニョロは大嫌いで、目にしたら飛び上がって逃げるくらいだが、ヤモリはまったく大丈夫で普通に触ることもできる。四つ足があるだけでまったく気にならないというのも変だけど、まあそんなものだ。ヤモリは多分小さな虫とかを捕食するので、まさに家守なんだと思ったりもする。
遠野ふるさと村のある種タイムスリップしたような風景は時代劇などの撮影に適しているようで、これまでに様々な映画やテレビドラマのロケ地となっている。いくつかの作品をあげるとこんな感じである。
この中で印象的だったのが「愛しの座敷わらし」だ。父親が古民家に魅せられて田舎暮らしを始めた五人家族の悲喜こもごもを描いたドラマ。古民家に住み始めると、大人には見えない小さな女の子(座敷わらし)が現れる。見えるのは中学生の長女、小学生の長男、そして認知症の始まった祖母だけ。そしていつしか五人家族は座敷わらしと共生し始める。最後、父親が都会に転勤となってマンション暮らしをすることになる。名残惜しくも座敷わらしと別れたはずの家族は、なぜか座敷わらしが一緒についてきたことを知る。
人情味溢れるホームコメディでもともとは萩原浩による小説が原作。けっこう気に入った映画だった。この映画は2012年公開で、ちょうどここを訪れた時期とも重なった。もっとも映画の情報は自分は知らなかったし、DVDで観た時にこのロケ地行ったっけなと思ったりもしたものだ。