toybee『REVIVAL』ライナーノーツ
ニューアルバムリリース直前にして。前作「REVIVAL」について、音楽ライターの三浦智文氏に書いていただいたライナーノーツをここに残しておこうと思う。本当に素晴らしい文章をいただいて、音楽家冥利に尽きる思いだった。
改めて、toybeeが作ってきた作品に込められた想いを振り返り、ニューアルバム「LOOKBACK TO THE FUTURE」を読み解くガイドマップにしてもらいたい。
以下、三浦氏によるライナーノーツである。
UNDERLANDの長いトンネルを抜けるとROCKY MOUNTAINであった。思わず見上げてしまうほどの大きな山だ。だが、そこに悲壮感はなかった。むしろ、ようやくスタート地点に立つことができたという高揚感でいっぱいに満たされていた。蒼天は深く澄み渡り、荒涼とした大地には時折砂まじりの乾いた風が吹いてくる。この岩壁を乗り越えてやる。たとえ壁からずり落ちたって、体中すりむいたって構わない。とにかく乗り越えてやる――。toybeeの1stミニアルバム『REVIVAL』のアートワークの後ろ姿からは、そうした強い決意が感じられるのだった――。
2010年から約10年もの間、前身のロックバンドBOYS END SWING GIRLでジェンガのように積み上げてきたピース。ところが2020年に差し掛り、悲劇が襲った。コロナウイルスという歴史上稀にみる天災は、その最も重要な場所を抜き取ってしまったのだ。バランスを失った"積み木の塔"はバラバラと崩れてしまう。だが、崩れたものは残ったままだった。冨塚大地(Vo./Gt.)と鍔本隼(Gt.)は再びピースを拾い集め、全く新しい色のペンキでカラフルに塗り始めた。そして、解散ライブから10日後の2021年8月1日、toybeeは産声を上げる。"新生児"ではなく、"再生児"としてもう一度生まれ変わるということ。この大いなる挑戦の幕開けとしてリリースされた、1stフルアルバム『THE EARLY TOYBEE』で冨塚は<ポンと出の新参者?いや誇らしく/胸張れよアラサールーキー!>(「あほんだらいふ」)と、あくまでも高らかに歌い上げるのだった。
コロナ禍真っ只中で生まれたtoybeeは、世間に渦巻く一定の制約の中での音楽活動を余儀なくされた。ライブハウスの人数制限、声出し禁止、ソーシャル・ディスタンス――。制約は彼らだけに限ったことではないが、いわゆる"再生児"のもっとも重要な時期を過ごす彼らにとっては、大きなハンディキャップともいえる由々しき事態であった。そこで冨塚は、これまでとは違ったスタイルでリスナーとインタラクティブな関係性を築こうと、バンド活動と並行して"とみといびー"名義でYouTubeの動画投稿をスタートする。これまで弾き語りや楽曲制作の裏側のみならず、自身のルーツとなったディスクレビューやアニメ作品のミュージシャン目線での解説など、枠にとらわれない様々な試みを行ってきた。その甲斐あってtoybeeは、これまでのようなライブハウスやCDショップをきっかけに彼らの音楽を聴き始めたリスナーのみならず、YouTubeによるリスナー層を獲得し始める。この新しいリスナーの形は、彼らの大きな武器であり、特徴でもあるといえるだろう。活動開始から2年を迎えようかという6月には、これまでサポートメンバーとしてバンドに参加していた藤盛太一(Ba.)が正式加入。そして、2023年7月20日、満を持して新宿LOFTにてワンマンライブを開催する。メンバーを新たにした再生児toybeeは今、急速なスピードで成長を遂げている。
さて、これをお読みになっている方は普段どのように音楽を聴いているだろうか。「別にこれといったものはなく、アニメや映画で気になった主題歌や挿入歌を聴くくらい」という人。あるいは「さまざまな時代やジャンルのアーティストを聴き、ライブにも足しげく通う"音楽オタク"」という人もいるかもしれない。リスナーの数だけ千差万別の楽しみ方が存在しているが、『REVIVAL』においてtoybeeは、ある一定の啓蒙をしようとしているような気概を感じる。啓蒙は「一般の人々の無知を切りひらき、正しい知識を与えること」を意味するが、とは言ってもtoybeeの啓蒙は語義よりも限りなくフランクである。ロックは楽しい、世界にはこんなにもサイコーな音楽がまだ沢山ある――。ロック草創期の1950年代から1990年代、オルタナティヴ・ロック全盛期までのレジェンドたちのリバイバルからは、自分たちの音楽のみならず音楽自体を聴くことを楽しんでほしいという純粋なメッセージさえ感じられる。それはサウンドだけではない。消費構造の早まった現在において、丁寧で緻密な構造を持った歌詞もまたリバイバルな作法であるといえるだろう。君たちはロックンロールを知っているか――。『REVIVAL』はいわば、全人類に向けたロックの入門盤といってもいい。拙文はそんな"入門盤"の理解を手助けする、GUIDE MAPとなれば幸いである。
1. 惑星ダブリス
イントロのサウンドからは、赤茶色の砂漠の風景を呼び起こさせる。どこまでも続く地平線、ひび割れた土の上を歩いているイメージ。冒頭の<不恰好なフォームで/火星を泳いでる>で、どうやら火星であることが判明する。このユニバースの地球は既に文明が失われてしまったようだ。「惑星ダブリス」に登場する一人の人物は、火星をさまよいながら、かつての故郷に対してメッセージを送信し続けている。メッセージが返ってくる可能性は、あるいは天文学的確率かもしれないが、"火星人"はそれをやめない。誰ともコミュニケーションを取れられない、完全に隔絶された状況になったとき、多くの人は計り得ない孤独感と恐怖感にさいなまれ、やがて発狂するだろう。『アベンジャーズ/エンドゲーム』でアイアンマンも、漂流する宇宙船で壊れかけのヘルメットにメッセージを残し続け、『インターステラー』で惑星探索に飛び立った乗組員も、辺境の地から地球に届くかどうか確証のない信号を送り続けた。そう、これは孤独に対する抵抗ではなく、自らを保つ術としての行いなのである。そして結論する。<もはや孤独を乗りこなせ>と――。こうした状況は現実と不可分ではなかった。コロナ禍のもたらした"ステイ・ホーム"は、漂流宇宙船の疑似的な体験であった。聴き手も作り手も誰もがその乗組員となり、長い間旅をせざるを得なくなった。あの頃の空気、記憶――。作曲した冨塚は見事にSF的な世界とブレンドしながら昇華させた。実感を持ったフィクション作品である。
2. Super lmagination
ここのオマージュ、分かってくれ!と言わんばかりの強い主張が曲から伝わってくる。というのも、中盤、The Rolling Stonesの代表曲「Satisfaction」のリフが引用され、歌詞の方も<I can get (No) Satisfaction?>とメロディーもそのまま歌い上げられるのだ。タイトルもまた面白い。引用元のように"Imagination"と一単語にするのではなく、頭に"Super"とつけたことで気取った感じはなく少し幼くポップ響きをもたらしているのが何とも絶妙である。同じく1960年代のクラシック・ロックのオマージュを取り入れた作品に、PUFFYの「これが私の生きる道」があるが、作曲者の奥田民生はパッチ・ワークをするかのごとくThe Beatlesを踏襲し、"完全なる模倣"を試みていた。他方「Super lmagination」はそうではない。toybeeはあくまでも2020年代のサウンドをもって引用する。特にビート・アプローチに関しては、エレクトロ・ポップのそれである。それによって"懐かしい"という感情は限りなく排され、フレーズの良さだけを純粋に感じさせるような効果が生み出されている。Arctic MonkeysやThe Strokesのキャリア初期にみられるガレージ・ロック・リバイバルのムーブメントとは少し違う。むしろ、様々なジャンルを軽々と越境するThe 1975的な視点に近いといった方がいいだろうか。かつての文化が複製を繰り返し、新たな形になっていくのは、あるいは"ミーム的"であるともいえる。<歌うのは俺らのオリジナルです>――。クラシックに埋没しすぎないバランス感覚を含めて"今"の作品であるといえよう。
3. ワンタイムラヴァー
冒頭、お馴染みのフレーズに思わずニヤリとしてしまう。この引用元はチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」であるが、おそらく『バック・トゥ・ザ・フューチャー』での挿入歌としての使用が、最もポピュラーではないだろうか。1955年にタイムスリップした主人公マーティ・マクフライはプロム(学生のダンスパーティー)で、指を負傷したギタリストの代わりに"のバンドでギターを演奏し、そのアンコールでこの曲が演奏される――。この楽曲の舞台もあのシーンで描かれるようなプロムを彷彿させる。<終わんない夜を踊れナイト>、<キザなあいつはダンサー>は青春真っ只中のティーンたちが、音楽に合わせて踊る姿が目に浮かぶ。健全なプロムに不健全な"アルコール"は学園モノには付き物だが「ワンタイムラヴァー」でももちろん<大人のフリで/咽ているんだジンバック>というフレーズが登場している。こういう場所でハメを外して、背伸びする若者の機微が端的に表されている。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的なのはその歌詞だけではない。Aメロでの1960年代のロックンロールの音像から、サビに入った途端、タイムスリップしたかのように景色が2023年に変わる。このギャップにも注目したい。ちなみに、ギターソロの終盤にはThe Beatlesの「Day Tripper」のリフ、The Rolling Stonesの「Satisfaction」のリフ、そして極めつけはThe Venturesのギタリスト、ドン・ウィルソンの代名詞である"テケテケテケテケ……"というクロマチック・ラン奏法と、オマージュの応酬が詰め込まれており、その辺りも聴きどころだ。
4. 風知らぬひと
1990年代、イギリスで勃興したブリット・ポップからの影響を色濃く感じる。そのムーブメントの代表格にOasisがいるが「風知らぬひと」はまさにそのリバイバルといったところだろうか。特にギターソロはその影響を決定づけるものになっている。歌詞に関しては何といっても、<名前も知らぬ あのひとよ>というフレーズが印象的だ。助詞や単語をわずかに変化させながら繰り返し使われるこの一節。冨塚はまずこのフレーズが浮かび上がってから楽曲の制作に取り掛かったという。ポッドキャストのインタビューでは平安時代の"垣間見"がそのフレーズが醸し出す世界とうまく噛み合うことに気がつき、楽曲のテーマにしたと語る。<わたしを一口啄んで/優しくしては飛び立つの>と<羽を折って 夢を忘れるように/齧りかけの恋を むさぼった>の部分は、同じ場所にとどまらない存在のメタファーとして鳥がモチーフとして使われているといえるだろう。ただ、その背景を知らない状態で聴いたときに、メタファーではなく、そのまま"人ならぬ存在"としての視点を感じた。無機物と有機物、あるいは存在しないものと現世に実在するもの。いうなれば、童話『幸福な王子』のような世界だ。自我を持った王子像とツバメのような関係性――。含みと余白を持たせた抽象詩は、聴き手にどこまでもゆだねるような楽曲のように思える。また、全編を通じて主体をはっきりと明示しない構成は、当時の古典作品をオマージュしているかのようでもある。その意味でいえば、千年の時を越えたリバイバルであるともいえるだろうか。
5. フロムアンダーランド
どんな物語にも、その程度に違いはあっても、浮き沈みのプロセスというのが必ず存在している。「フロムアンダーランド」は『REVIVAL』という物語のカタルシスがピークに達したところで、力強くかき鳴らされる。楽曲に登場するキャラクターは孤独だ。<だから僕はまた 穴を掘ってる>。自分の存在をかき消そうとひたすらにアンダーランド(地下世界)のトンネルを掘り続けている。冨塚の生み出す作品に、未だかつてここまで後ろめたさの滲むようなものはあっただろうか。新型コロナウイルスという世界規模の疫病は、間違いなく地球上の全アーティストの制作に影響をもたらした。冨塚の場合はどうであったか。BOYS END SWING GIRLの解散、そして、toybeeとしての再始動――。冨塚はコロナ禍における激動を経験した自身について「一度死んで再び蘇える存在である」と形容した。この楽曲ではそうした自身の内的な変化が見事に反映されているような印象を強く受ける。<だから僕はまだ穴を掘ってる/いつかあなたと 出会えるように>。この一節は映画でいえば、中盤の転換点だ。これまでトンネルを掘り進めてきたベクトルは突如として上向きにシフトをし始める。地上を目指すそのスピードは重力と反比例するように上がっていく。終盤、冨塚と鍔本によるギターソロの掛け合いは、地上を出た喜びをわかちあうように鳴り響く。とはいえまだ、ゴールに来たわけではない。本作のアートワークのように高い岩山がそこにはそびえ立っていた。これは、toybeeのスタート、はじまりの歌だ。
6. Teenage Black
誰もが持つ、思い出したくない過去や失敗――。いつしか人はそれを"黒歴史"と呼び始めた。この言葉が比較的広義に使われるのに対し、「Teenage Black」という言葉の響きがもたらすのは、より狭義な、青くて苦い10代のあの頃の記憶そのものである。<拝啓15の君へ ロックンロールが唯一神>という冒頭の一節は、アンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」を彷彿させる。だが大きく異なるのはその宛先。15歳、未来の自分に向けて手紙を書くのではなく、30を目前に控えた冨塚がかつての自分に宛てて手紙を書くように歌う。そこには大人として俯瞰した目線があった。メロコア・ビートとシンプルなコードでかき鳴らされるパンク・ロックには、BOYS END SWING GIRLの頃のような若さに起因する希望はもはや感じられない。toybeeの冨塚はどこまでも現実主義になっている。中でも<どれだけの歓びを 重ねても/俺の地獄は消せないぜ>というフレーズは強烈だ。結局のところ自分にとってのコンプレックスやマイナスな側面というのは、歓びや悲しみをいくら重ねたところで消すことは出来ない。そのまま受け入れて、生きていかなければならないのだ、と冨塚は高らかに歌いきる。だが、そこに後ろめたさはなかった。<恥の多い生涯を送って参りました>と、太宰治の『人間失格』的な引用をサラッと紛れ込ませるユーモアを欠くことも忘れない。あくまでも軽やかさが充満している。かつての青春に別れを告げ、30代、新たな青春をつかみ取りに行く――。「Teenage Black」は、その高らかな宣言でもあるのだ。
7. シーラカンスと文学
本に読みふけっていると突然、文字の間を一匹のシーラカンスが泳いでいるのが見えた。これは現実か、それとも幻か。自分の周りには誰もいない。構わずその様子をじっと眺めていると、自分もいつの間にかシーラカンスと同じように海の深い所にいることが分かる。濃紺の海にどんどん沈んでゆく体。聴こえてくる重たく潰れたサウンドにはリバーブがかかり、優しく壊れそうな歌声は何度もリフレインしては遠くへ消え去ってゆく。楽曲を構成する様々な要素が、"深海"のイメージを助長させ、さらなる深淵へといざなってゆく――。文学による体験というのはどこまでも孤独なものだ。本と読み手、一対一のシンプルな関係性がそこにはある。誰にも邪魔されない自分だけの空間を文字から構築できるのが文学である。深海を泳ぐシーラカンスもまた、孤独を象徴する要素であるといえる。"生きた化石"と呼ばれるシーラカンスは1938年、とある学芸員に発見されるまで長い間、その存在を知られることなく生きてきた。「シーラカンスと文学」という一見すると相容れない組み合わせは奇しくも、孤独というテーマにおいて共鳴することになった。<Hello 君は独りで泳ぐ魚/あゝ君は僕だ>と、自分とシーラカンスという存在が同一であるという帰結は、孤独や、そうさせてきた外的な要因に対する自覚とも取れる。そして、それを受け入れられたことで<泳げシーラカンス もう君を縛るものはない/自由に地上を泳いで 苦しくなったら 此処へ帰ってくればいい>と下へ下へと沈みゆくベクトルが上向きに変化する。こうした、内的あるいは外的問題に対して向き合い、受け入れることで新たな一歩を踏み出そうとする視点は、ここまで『REVIVAL』を聴いてくると一貫したものであることに気づく。まさに、エンドロールに相応しい一曲といえるだろう。
■帰結
toybeeはロックンロールの夢を見るか?かつて世界でかき鳴らされていたロックを今もう一度、この手でリバイバルさせる――。先に『REVIVAL』について"ロックの入門書"であると筆者は書いた。楽曲に随所に入りこむオマージュは、ロックの、もっと言えば音楽の素晴らしさを啓蒙しているかのようでもあった。だが、本作を繰り返し聴いているとだんだんと、冨塚自身、ひいてはtoybeeそのもののリバイバルでもあることに気が付く。本作は楽曲ごとに実にさまざまな色で綴られているが、その芯となる部分は終始一貫している。"ロックの入門書"の表紙カバーを外してみると、なんとそこには"孤独からの脱却の物語"が存在していた。そしてこの視点は現在、toybeeのみならず、世界の多くの人々にとって共通する視点であるともいえる。コロナ禍によって埋没していた世界は再び浮上を始め、いつしか景色は開けた――。UNDARLAND(ルビ:地下世界)の長い長い旅路での幾多もの困難を背負ってtoybeeは今、そびえ立つ高いROCKY MOUNTAIN(ルビ:岩山地帯)に挑戦している。とはいえ『REVIVAL』は決して、ミクロで独りよがりな物語ではない。聴くもの誰もがその主人公になり得る、強い実感を持った物語がそこにはあるのだ。
三浦智文