コロナ禍で思った、ディレクター的責任
普段、東京でテレビやなんやら映像を作っている私ですが、、
ふと思いました。
コロナの規制、厳しいよな、東京。
マスクしてなければ怒られる。でも。
インスタを見たら、関西にいる友はガンガン飲み会。つまり。
東京と関西ではコロナの感覚が違う。。(当たり前ですよね)
でも、それはつまり、東京の人間が作ったコロナに関する注意喚起のニュース、映像はあまり関西の人間には刺さらないんじゃないんじゃないじゃないじゃない?じゃない?
というかもはや、コロナに限らず、自分たちが作った映像って、どこまでの人に刺さってんの?
こう思ったわけです。
ただ、コンプラが過剰になり、コロナによって日本が分断された今、海外はもちろん、日本国内でも映像のガラパゴス化(使い方合ってる?)がどんどん生まれてくるんじゃないかと。
地方ローカル局の時代が来るんじゃないかな、とか。
まあもうキー局とか言ってられない時代ですよね。
時代はネット。配信。
んまあ何が言いたいかというと、
テレビではやりたいことはそろそろできない。
特に全国ネットのキー局はどんどん丸く、広くなっていこうとするはず。
むしろ地方ローカル。もっと見てもらいたいと思ったら配信。
showroomやろう。。。
はい、嘘。嘘。
あざまるでした。