なんでこんなに頑張ってるんだっけ?と思った時に思い出す原点
この前ふとそう思ってしまった。退勤して保育園へお迎えに行く途中。
0歳児は預けられる時間が決まっているのだけど2日連続で数分遅れてしまった。
(そしてちょっと怒られた。肉体的に疲れている時に怒られるとずっしり重い…)
朝から始まり仕事が終わっても気が抜けない…
やっぱりしんどくもなってくる。
前の職場で先輩のママさんが、
「最近仕事手抜いてるよ〜だって帰ってからも子どもたちと戦争みたいでさ、もたないもん。」
と言っていたのをよく覚えている。
その時わたしは一人目の妊娠中で、
家庭の事情だからって手を抜くのは違うんじゃないか、とか
私は絶対そうはなりたくない、とか強く思ったのを覚えている。
少なくとも患者さんと関わる仕事なんだから、手を抜くなんてありえない、と思った。
でもなぜ今その一言をよく思い出すかと言うと
…今、すごくすごくその気持ちが分かるからだ!
一応今のところ手を抜いているつもりは一切ない。
けれど楽したくなる気持ちや、仕事をもう少し楽な気持ちでやって体力を温存したい気持ちが分かりすぎるのだ。
そんな気持ちになった夕方には原点に帰ってみる
本当に疲れて、適当に仕事やっちゃおうかなって気持ちが顔を出してきて、考えていたら自然にどうしてこの仕事をしているかを考えていた。
子どもの頃、近所に整体師の女性の先生がいて、小学校の高学年くらいから何かあると通っていた。
捻挫をしたり、部活をやり過ぎてしまって少し痛みが出たりしたくらいだったと思うけど、全身を丁寧に施術してくれて、ハキハキとパワーがある先生だった。
ある日、予約より少し早めの時間に着いて待合室で待たせてもらっていると、施術終わりの妊婦さんが泣きながら部屋から出てきた。
「ありがとうございました」と何度も何度もお礼を言って、「受け取ってください」と料金も多めに渡そうとしていたのを覚えている。
人があんなに感謝しているのを初めて目の当たりにした瞬間だった。
その女性の他にも、その先生を頼りにしている様子の人々をたくさん見てきた。
母もそのうちの一人で、身体だけでなく精神的に辛いときもよく通っていたと言っていた。
先生は、そこに通う人々にとって心の拠り所だったのだと思う。
ちょっとした心の拠り所となること
私の根本にあるのは、そういうふうに誰かの拠り所でありたいというところだ。
身体のどこかが痛くて困ったり、心が弱ったりした時にここに来れば大丈夫と思えるようでありたい。
そのためにはやっぱり中途半端は良くないな。
手を抜いたら良くないな。
ご縁があって自分を頼りにしてくれる人に嘘をつくようなことがあってはいけないなと思う。
そして30代、40代の女性をみると、時々昔の母と姿が重なる時がある。
地元から遠い田舎に嫁いで子育てに家事に追われていた母。
父親は休みもなく仕事で祖母は当たりの強い人で、つらそうな母の姿を何度も見てきた。
今自分が同じような年代になって思うのは、自分が見てきた以上にもっともっと辛いことがあっただろうということだ。
そのような年代の人が患者さんとして来ると、あの時の母を助けているような気持ちになることがある。
あの整体師さんがあの時の妊婦さんに、あのときの母にしてあげていたようなことを私も誰かにできたらいいな。これが私の原点だと思う。
さあそれが分かったら手を抜いている暇はないということで!
どうにかこうにか頑張っていきたいなあと思うのだ。