わたしにとっての雑談は
ああ、雑談が苦手だ。休憩中の職場の同僚との会話ならまだしも、リハビリ中の約40分間、患者として来ているつい先日まで他人だったこの人と、何を話せばいいんだ、と思っていた。
きっと私は臆病なんだと思う。どうしてもなにか地雷を踏んでしまいそうな気がする。そんな気がするとどの話題にも地雷が潜んでいる気がしてならない。それに患者さんは良くなるためにここに来ているのであって、おしゃべりするために来ているのではない…という謎のストイックさもここぞとばかりに発揮されていたと思う。
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つい先日、私の尊敬する先生と話していた時のことだ。
「機能が良くなったからポジティブになるんじゃないんだ。ポジティブな気持ちになるから機能が良くなるんだ。」
「たとえば腕が挙がるようになったから明るい気持ちになるんじゃなくて、少し明るい気持ちが出てきたから腕が挙がるようになっていくんだよ。」
なるほどなあ。
無意識のうちに逆だと思っていたなあ。身体さえ良くなればあとから気持ちはついてくると思っていたなあ。
このときから、介入中の雑談に対する考えが少しずつ変化している気がする。
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雑談も身体機能をよくするための技術だ。モビライゼーションとか、筋力の強化とかと同じ治療技術だ。
そこに「人柄」や「心」が大きく関与するのが特徴かもしれない。(モビライゼーションとかにも自分の心は大いに影響すると思うけれども。)
ポジティブなほうにベクトルを向けるためのきっかけを作る技術なんだと思う。
人によってはリハビリに全然関係ないような趣味とかの楽しい会話で。人によっては胸につっかえていることを静かに聞くことで。
それがうまくいったとき、身体全体の筋緊張が変わることを最近実感している。
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書いてみたら当たり前のことだよなあ。
でも頭でっかちになりそうなときにちゃんと思い出して、この人に会いたいと思ってもらえるようになりたいと思う。
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