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こうして気ままな主婦になった。vol.3
さて、専業主婦になった私。
娘を私の仕事都合で早く起こさなくてよくなったし、(仕事をしていた時は、睡眠不足は保育園のお昼寝でカバーしてーと思っていた)
病気になれば病院にすぐに連れて行けるし(金曜だったら、保育園に行かせてた)
娘をのんびり歩きながら幼稚園に送って行ける(強引にヘルメットかぶせて自転車に乗せなくよくなった)
そんな生活に幸せを感じていた。
まぁ、私が仕事を辞めて、夫も転職してすぐだったので、家庭年収は下がったのだけど、生活自体は変わらなかった。
貯蓄できる額は減っていたのだろうけど。
「仕事をしていない専業主婦は、社会的価値がない」
私は、そう思っていたし、働いていた頃の夫もそう言っていた。
夫婦とは本当に鏡で、自分が思っていたことが反映されてた。
だから、仕事を辞めた私はさらに心苦しかった。
夫は今では全然違うし、そんなこと絶対に言わない。
そんな私だったから、当然、仲の良い幼稚園のママ友はできなかった。
保育園のワーママの方が気が合うなって。
そして、それは娘にも反映されて、お友達とも担任の先生とも合わずに登園拒否気味になっていった。
娘はお遊戯会も出たくないといい、舞台袖で泣いていた。
「お母さんも一緒だったら出ると思うので、お願いします」
って先生に言われたけど、この私が4歳児と混ざって舞台で歌って踊るとかない。
頑なにお断りして、まぁまぁ、親子共々、孤立していた。
でも、時の流れとともに優しい可愛らしいママ友たちができた。
素敵なママたちで、「今度、持ち寄りでランチしよう」って誘ってくれた。
持ち寄りで・・・暗黙の了解で「手作り」であった。
2回目からは面倒なので「買っていく」と言ったけど(笑)
幼稚園ママとの集まりも、やってみたら、結構楽しくて、
「実は、これ意外と憧れてたやつかも」とか思えてきた。
ママ友の世界にいればそれが普通になるし、ワーママの世界にいればそれが普通になる。
途中で我が家は引っ越すことになって、そこでも新しいママ友ができた。
ある日、NHKのあさイチで「ワーママvs専業主婦」をやっていた。
有働アナが両サイドからの意見を読みあげていて、息が詰まりそうになった。
ものすごいバトルが繰り広げられていて。
完全に自分の中の戦いと同じだった。
働いていた頃の自分が、ドロップアウトして専業主婦になった私を責める。
でも、今はこれがしあわせだしって、今の自分を防御する。
そして、仕舞いにはもうどっちでもいいじゃん!!!ってやっと思えた。
私はどっちも経験した。
その当時の自分がやりたいことをやってた。
たとえ、体裁で仕事をしていたとしても、その時の私には必要だった。
自分の母のように、娘のそばにいたいと思った。だから、辞めた。
それの何が悪いんだろう。
そもそも、何のためのバトルなんだろう。
私の中の「社会的価値vs本当の望み」だった。
それぞれに好きで選択した生き方にある罪悪感バトル。
娘の幼稚園の3年間は、子どもの公園遊びに付き合ったり、習いごとの送り迎えをしたりしかしてなかった。
仲のいいママ友のおかげもあって、全く後悔もしていないし、それはそれで良かったと思ってる。物足りなさだけは、募っていたけど。
それと同じぐらいに、保育園に預けて働いていた頃も、
「めっちゃ大変だったけど、なんかあれはあれで幸せだったよね」と夫とも話す。
私が娘をチャリの前に乗せて、夫は一緒に横を早歩きで一緒に保育園に送っていった。
私にとってはすべてがいい思い出でしかない。
どっちが正解とかないし、自分を責める必要も罪悪感もいらなかった。
自分の本当の気持ちを、社会的価値とか体裁で麻痺させてたから、
働いていても辞めても苦しかった。
自分の本当の気持ちなら、どの選択をしても自信を持てばいいだけだった。
娘が小学生になってシナリオの学校に通い、自分のやりたいことを始めて、いろんな世代の友達ができた。オンラインサロンにも入った。
再び私の世界は変わり始めた。