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こうして気ままな主婦になった。
「高学歴で一流企業にいたのに、それをあっさり捨てて、今ははっちゃけてる感じが魅力だよねぇ」
そう言われた私本人は、魅力というよりも、コンプレックス以外の何ものでもなかった。
私は、大学を卒業後、そのまま大学の研究室で事務の仕事をしていた。
3年働いて、ロシアに半年留学して、帰国して結婚。
で、周りの大学の友達を見てたらバリキャリだから、それはそれは、
結婚して専業主婦とかとてもじゃなくて言えなくて・・・。
言えないし、そうあってはいけないと思っていた。
で、ちゃんと就職しようと思って、大手の証券会社に営業で入った。
子どもができてからは、本当に忙しくて、どんんだけ巻きの生活をしていたことか。
眠たくてグズる娘を起こして、目が閉じたままで服を着せた。
保育園に預けたら、速攻で日経新聞取り出してみてた。
帰宅したら、娘抱きながら夕飯作って、ご飯食べさせて、お風呂入れて、寝かせて。
夫は、帰りが早ければ、手伝ってくれたけど、子どもと団欒の時間なんてなかった。
その当時は、キッズラインとかもなかったし。
土日は、土日で、FPとか保険の資格も取らないといけなくて、夫に娘を公園に連れて行ってもらって、私は家で勉強してた。
保育士さんに公園で会うらしく、「いつもパパですよね」って言われるぐらいに(笑)
資格試験の勉強とか新商品の勉強の間に、掃除とか洗濯とかして、ご飯作って休みは終わる。
たまに、ららぽーとかIKEAに行ったりするぐらいで。
ほんとに両親と暮らして手伝ってもらいたいと心底思っていた。
そんなある日、2泊3日ぐらいの泊まり込みの研修があったので、義母に数日きてもらうことにした。
そのタイミングで娘は発熱し、なかなか微熱が下がらなかった。
なので、私は宿泊ではなく、大変だったけど、通勤にしてもらっていた。
最終日、研修が終わって携帯を見ると、夫から着信があった。
電話すると
「落ち着いて聞いてね。ひよが入院することになって、いま病院にいるから、直接病院にきて」
どうやら、RSウィルスにかかり、食欲もなく、下痢もしていたので入院になったらしい。
私の心臓はバクバクしてきた。
どろっとした鉛のようなものが、私の中で固まるのがわかった。
そのまま研修終了の報告をするために支店に電話をした。
「明日さ、持株会のセミナーをやって欲しいんだけど」
一部上場企業でのセミナーで、上司は私を抜擢してくれた。
「すいません、娘が入院したので・・・数日お休みさせてください」
「あっ、そうか。わかった、じゃ、誰かに頼むわ」
とても理解のある素晴らしい上司だった。
せっかく、声かけてもらったのに・・・。
やっていることが噛み合わない、もどかしさと焦り、
そして鉛のような罪悪感。
私は、電車に乗り、病院に急いだ。
気持ちだけが、ものすごく急いた。
入院するほど、だったなんて。
しかも、夫が全部入院の手続きもしてくれて、私の研修が終わるまで待ってくれてた。
病院のある駅は、ものすごく暗く、近くを猛スピードで走る車にさえ責められている気がした。
病院に着くと、ガラス張りの隔離の病室に娘と夫がいた。
娘は私を見て、一瞬微笑んだら、すぐにぐったりした。
いつもなら、微笑んだまま喜んで寄ってくるのに。
そんな2歳ぐらいの娘の姿を見ただで、もう涙が止まらなくなりそうでこらえた。
夫は、入院までの経緯と今の病状を話してたけど、全然入ってこなかった。
夫が入院に必要なものを買いに行き、手続きをしてくれたらしい。
私は、話をひと通り聞いて病室を出て、母に電話をした。
「どうしたのー?大丈夫なの?明日、行こうか」
母の声を聞いただけで、涙が止まらなくなった。
病院の廊下の隅で私は、泣き崩れた。
母が私にしてくれたことを、私は娘に何もしてあげられない・・・。
一体、何をやっていたんだろう。
なんのために仕事をしているんだろう。
それは、体裁のためだった。
大学を出て、バリキャリの友達と会った時に肩身の狭い思いをしたくないから。
仕事をしていない私なんて、価値がないと思っていた。
私は、周りの友達に比べて結婚も早かったし、出産も早かった。
でも、自分だけが仕事をバリバリしていないことにものすごい劣等感だった。
この時にはじめて、体裁のために仕事をして、娘の看病もできない自分を突きつけられた。
私にとっての本当の優先順位に気づいた。
そこは、付き添いの親が泊まるのは手続きとか面倒そうだったので、娘を寝かしつて、次の日の朝早く、病院に向かった。
娘が目覚める前に病院に着くように。
病室への廊下を足早に向かうと、まだ静かな病棟に娘の泣き声が聞こえた。
「パパー、パパー」
と娘は泣いていた。
私は、その時に仕事を辞めようと決心した。
その後、時短にしてみたりもしたのだけど、結局は辞めることにした。
そして、私の能天気なはっちゃけた生活が始まるのである。
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