「悩むフリ」と罪悪感
「ねぇねぇ、一緒にバンコク行かない?」
そう言われたのは、昨年の梅雨の鎌倉だった。
そこから私は2ヶ月以上悩むことになる。
バンコク行きを誘われた私は、すぐさま「行きたーい!」と言ったのだけど・・・。
梅雨が明けるころに、お友達の結婚式でアメリカに行くことになってた。
「まだアメリカにも行ってないのに、10月にバンコクに行くって家族にめっちゃ言いにくいんですけど・・・」
娘には「ママだけずるい」って100%の確率で言われそうだし、
働かないで毎日のほほんとしてる私の身からすると夫のカフェ男くんにも言いにくい・・・。
どうしたものか、というわけで、しばらく保留事項に。
そして、8月お友達とアメリカをエンジョイしてきた私は、かなり満足して、バンコクは諦めモード。
そのまま、1月以上、時は過ぎた。
でもね、やっぱりバンコク行きたいなぁ。と何度も心をよぎるのである。
カフェ男くんにも、「バンコク行きたいんだけどさぁ」と言っては、悩む。
彼は、「そうなんだ」とただひたすら傍観してる。
「どうしよっかなぁ」1人逡巡する私。
そして、私は「やっぱり行く!!!」と決心した。
バンコクから帰国して、数ヶ月後。
わたし:いやぁ、バンコクいくまでめっちゃ悩んだけど、行って良かった。めっちゃ楽しかった。
カフェ男:オレが行くなって言うと思ってた?
わたし:それはないけど・・・。
カフェ男:じゃ、なんで悩んだの?
わたし:アメリカも行ったし、1人で旅行で遊んで、お金使いすぎかなと思ってさ。
カフェ男:バンコクに行ったところで貯金がなくなるわけじゃないじゃん?
わたし:まぁ、そうだけど。
カフェ男:最初から、行くつもりだったんでしょ。だけど、自分の中に罪悪感があるから、「ものすごく悩む」ことで、「こんなに悩んだんだから、行ってもいいよね」ってしたかっただけだよね。
何も言えない・・・・。
確かに「これだけ悩んだ」のだから、許してね。だったのだ。
罪悪感があることに対して、「悩んだ」フリする。
人に何かを誘われて断る時も、きっと罪悪感がある時は「悩む」フリをして見せる。
でも大概、心は決まってることが多い。
でも、その「悩むフリ」はバレてることも多いし、相手にしてみたらどうでもいいことだったりする。
あくまでも、自分の中だけにある罪悪感の問題だから。
というわけで、「悩むフリ」を演じることなく、さっさ自分の望みは口に出したほうがいい。
そうしないと無駄な一人芝居が長引くことになるし、そもそも誰もその芝居に興味なんてないのだから(笑)
今日は、バンコクで一緒になったお友達と1年ぶりに再会してランチを御馳走になってきた。
「バンコク楽めっちゃ楽しかったよねぇ。あの時、行っといてよかったよねぇ」
その一言に尽きる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?