今はないタワーレコード
ボストンからマンハッタンまで、車で4時間弱。1990年代初頭は、ナビなんかなく、ROAD ATLASを片手にひたすらマンハッタンを目指し南下します。
永住権の申請とかで、弁護士に会いに行くところです。ホテルは、マジソンガーデンの近く、MACYSが見えるところをとりました。値段は、全然思い出せないくらいでした。
左手にブロンクスのマンションがいがみえてきたら、いよいよマンハッタンの近くです。
先輩から、間違ってもハーレムに降りるなよ、と警告を受けていました。当時は、ハーレムで信号待ちしていると、、、拳銃を持った方が来て、躊躇なくドライバーを撃って車を盗むといった犯罪が横行していた時です。
マンハッタンに入りますと、今の10倍くらいのイエローキャブが幅を利かせていて、まぁ、偉そうに危険な運転してました。
先輩から、、、イエローキャブにぶつかったら、あちらが悪くても絶対勝てないよ、、、と言われたのを思い出します。
左手にマンハッタン、右手にはハドソンリバー、秋ということもあって紅葉もありいい感じで運転してホテルに着きました。その日は、騒音とパトカーのサイレンの音にも疲れ果てて、すぐに休みました。
翌日、、目的地は、日本領事館の近くです。
マジソンからグラセン、地下鉄で行けば数分ですが、、もはやビビりまくっている私には、電車に乗る勇気もなく、徒歩で向かうことになります。
8番街から5番街に行くのは、37丁目でも40丁目でも何でもいいのですが、、今はない、ポルノ丁目を行ってしまい、、、まぁすごい道もあるんだなあぁと感心して通りすぎました。モザイクなしのポスターとか堂々と張ってあります、これがマンハッタンか、、、
用事を終えて、帰りは紀伊国屋で、久しぶりに日本の本に触れて、元気も戻り、42丁目にあった、タワーレコードに向かいます。
到着しました。
マンハッタンなので、狭いけど大きいといった表現が合うと思います。
従業員も、非常にフレンドリーです。特にタワーレコードはそういった気質があったと思います。まさに、アメリカといった感じです。
ここからは、よく聞く話です。
まだ若い私は、何かを従業員に聞くのも、恥ずかしい、、、年頃です。
その時は、マライアキャリーのCDを探していまして、、結構有名でしたので、すぐに目につくと思いましたが、、何階にもまたがって陳列されている、CDの山、、全くわかりません。
ヘッドホンが置いてあって、試し聞きできるステーションとかもありました。
うろうろしていると、従業員が近くに来て、話しかけてきました。
日本語に、訳すと、、
何をお探しですが? ではなく、兄ちゃん、何探してんの?といった感じで話しかけてきました。
私は、肩を丸めて、、大丈夫とこたえますが、、、、
それも聞き取れないみたいで、従業員、最接近。(昔の密)
マライアキャリーといいますが、これが、また通じないんです。
Sing a song といわれても、、、
おそらく私は、顔を赤くしてやりとりしていたので、従業員も何人か集まってきました。
仕方ないので、、今だったら、GOOGLEがみつけてくれますが、、
There's a hero と歌ってみました。
そしたら、みんなで歌ってくれて、そのまま、CDを売っているところに案内してくれました。
これこそが、アメリカではじめて買ったCDです。