【万能の天才 レイナルド・ダ・ヴィンチを語り尽くす 前編】ヴェロッキオ工房時代から「受胎告知」「岩窟の聖母」はなぜ2枚あるのか? 「最後の晩餐」の修復秘話まで。
こんにちは とむです。
今回はレオナルド・ダ・ヴィンチについて解説をしていきたいと思います。
言わずとしれた万能脳の天才です。
レオナルドの才能は絵画だけではなく、科学、自然、軍事、航空、医学、発明などあらゆる分野でその才能を発揮しました。
今までにあらゆる人によって語り尽くされた感じはありますけど、頑張って解説をしていきたいと思います。今回は前・後編となりますので、最後までよろしくお願いします。
前半のポイントは3つです。
1つ目は「出生からヴェロッキオ工房時代、そしてデビュー作『受胎告知』」
2つ目は「ミラノ時代に描いた『岩窟の聖母』は何で2枚あるの?」
3つ目は「最高傑作にして、最大の失敗作『最後の晩餐』について」です。
では早速まいりましょう
1つ目です。
「出生からヴェロッキオ工房時代、そしてデビュー作『受胎告知』」です。
レオナルド・ダ・ヴィンチという名前は「ヴィンチ村のレオナルドさん」という意味です。
レオナルドはフィレンツェの西方約35Kmにある、「ヴィンチ村」で生まれました。
父は公証人の「セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ」
母は「カテリーナ」といいます。
しかし、この二人は結婚をしていません。父はレオナルドが生まれてすぐに他の女性と結婚してしまいますし、母も、別の男性と結婚します。
父は、仕事の関係でフィレンツェへ行ってしまったため、レオナルドは叔父のもとに引き取られてヴィンチ村の自然とふれあいながら幼少期を過ごします。
伝記によると、レオナルドが10歳〜13歳頃に父のセル・ピエロはフィレンツェで最も大きかったヴェロッキオの工房にレオナルドを入れたとあります。
アンドレア・デル・ヴェロッキオは当時フィレンツェで大工房を構えていた彫刻家、画家です。
「ダヴィデ」や「ジョバンニ・デ・メディチの墓」「バルトロメオ・コッレオーニ騎馬像」「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の円蓋の頭頂部につける十字架」などを制作した一流のアーティストです。
ちなみにこのダヴィデ像は、レオナルドがモデルだという説もあります。
レオナルドの早熟ぶりを物語るエピソードとしてよく語られるのが「キリストの洗礼」です。
この場面は洗礼者ヨハネによってキリストが洗礼をほどこしている場面です。
ヨハネがヨルダン川で人々に洗礼を施しているとそこに洗礼を受けようとするイエスが現れた。ヨハネは「私こそ、あなたに洗礼を受けるべきなのに……」と言いました。イエスは「今は止めないでほしい」と言って洗礼受けます。すると精霊が鳩の姿でイエスのもとへ下ってきた。というのがおおよその場面です。
さて、この絵画は師匠であるヴェロッキオと、レオナルドの共作です。どの部分をレオナルドが描いたかわかりますか?
イエスの左側に二人の天使がいます。このうちの左側の天使をレオナルドが描いたと言われています。この天使を見たヴェロッキオは、二度と絵を書かなかったという逸話も残っていますが、それは後の世の創作だと思います。
しかしながら、レオナルドの天使は圧倒的に優れています。では、ヴェロッキオの天使とレオナルドの天使の比較をしてみたいと思います。
まず、顔です。ヴェロッキオの天使は少年の顔で描かれています。表情もちょっと退屈そうに見えます。キリストに精霊が舞い降りるという神秘的なシーンにしてはいささか場違いな感じが否めません。
それに比べて、レオナルドの天使はどうでしょうか。場にふさわしく、厳かで深い神秘性をたたえているとは思いませんか? それに、少年なのか、少女なのかが曖昧で中性的な描かれ方をしています。つまり、二面性が描かれていることによって、見るものになんとも言えない深い感情を抱かせます。
続いて髪のウェーブです。まるで水が流れるように美しく髪が波打っています。これはレオナルドが自然をよく観察し、万物に自然の法則を見出しているから為せる技だと言えます。ヴェロッキオの天使も上手なのですが、レオナルドのものと比べてしまうと、どうしても見劣りしてしまいます。
さらに見上げるポーズも絶妙です。天使の顔の角度は真横でもなく、ほんの少しこちらに傾いでいます。そのことで首のひねりが生まれ、ただ見上げているのではないという複雑な所作が生まれています。
レオナルドと比べられてしまってヴェロッキオも可愛そうですが、力量の差は歴然です。
ちなみに天使の頭上に広がる風景もレオナルドの筆によるものだと言われています。ヴェロッキオの描いたその他の風景と比べてもここだけが妙に奥行きを感じませんか?
さて、こんな具合に腕を磨いたレオナルドは20歳の頃にはギルド(画家組合)に名前が登録されます。いよいよ一人前の画家としてデビューすることになります。
制作はヴェロッキオの工房で行われましたが、レオナルドの実質的なデビュー作と言われているのが、「受胎告知」です。
この場面は、天使ガブリエルによってマリアの懐胎が告げられるシーンです。男性との経験がないマリアが妊娠を告げられて戸惑いの表情を見せるというのがこの場面の見せ場です。
絵の見どころを紹介しましょう。
少しマリアの手が長いように感じます。これはこの絵の元々の展示方法によるものです。祭壇の側面に展示されていたと考えられます。少し手を長くしておいて、斜めから見ることでちょうどよい長さに見える。祭壇画を書く場合は、よくこのように描かれることがよくあります。
もう一つは、天使ガブリエルの羽が鳥の羽だということ。通常、天使の羽はこんなふうにリアルな羽では描かれません。例えばフラ・アンジェリコの天使は七色の羽を持っています。
レオナルドは絵画をファンタジーとして描くことを好まなかったようです。できるだけ自然に忠実に描くことに心血を注いだのでしょう。この絵画ではまだ存在する頭の上の光輪も後の絵画では描かなくなってしまいます。
そして、正確な遠近法で描かれた風景です。しかもめちゃめちゃ細かい細密描写が施されています。レオナルドはこの絵を描くために油彩画の技法を使っています。フレスコ画やテンペラ画が主流だった時代に、いち早く油彩画の技法を取り入れたのもレオナルドでした。
ただ、圧倒的な描画力と空気遠近法を駆使して描かれたこの風景は受胎告知とはなんの関係もない港町の風景です。さらに風景を見ていくと、不自然なくらい等間隔に並んで生えている4本の糸杉がなんともいえない違和感を覚えます。
糸杉はヨーロッパでは生と死の象徴です。受胎告知の場面に死の象徴が描かれているというのは、どういうことなのでしょうか?
もう一つ、マリアの前に置かれている装飾の施されたテーブルのようなもの、これはヴェロッキオ工房で制作された「ジュリアーノ・デ・メディチの墓」の石棺をアレンジしたものだと言われています。ここにも死のイメージが付きまといます。
この絵からは死の匂いがプンプンします。
これは、後にイエスのたどる運命を考えれば理解できるのではないでしょうか。
受胎告知は死に向かうイエスを宿したマリアの戸惑いの場面なのです。
もうこの絵の見方はおわかりですね。登場人物もさることながら、背景がガンガン主張してきます。
マリアの手の長さを指摘するよりも背景や小物に潜む死のイメージを指摘して、我が子を慮る母の心情を訴えたほうがこの絵の本質に迫れるのではないでしょうか。
2つ目は「ミラノ時代に描いた『岩窟の聖母』は何で2枚あるの?」です。
1482年レオナルドはミラノに向かいます。
ミラノは傭兵出身のスフォルツァ家の収める軍事国家です。
なぜレオナルドがミラノにやってきたのか、スフォルツァ公の騎馬像を制作するためとか、馬の頭蓋骨の琴を演奏する音楽家としてなど、諸説ありますが、このミラノでレオナルドは自分を思いっきり売り込んでいます。
・携帯用の橋を作れます ・豪から水を抜く方法 ・城塞の破壊方法 ・携帯大砲のアイデア
・戦車の作り方
などなど、必死で自分を売り込んだ記録が残っています。
1483年。レオナルドはこのミラノで「岩窟の聖母」という絵を描きます。
荒々しい岩場を背景に青いマントの聖母マリアと、赤いマントの天使らしき人物。そして、裸の子どもが二人。祈りを捧げているのが洗礼者ヨハネで指を立てて祝福を与えているのがイエスです。
さて、この絵は実は2枚存在します。
一枚は「ルーブル美術館」にあって
もう一枚は「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」に所蔵されています。
では2枚を比べてみましょう。
ルーブル版が先に描かれてロンドン版が後に描かれたものです。
まず、ロンドン版とルーブル版の違いを見ていきたいと思います。
イエス、ヨハネ、マリアの頭上の光輪です。最初レオナルドは光輪を描きませんでした。しかしのちのロンドン版では描かれています。
続いて幼子ヨハネの十字架です。
この杖のように足の長い十字架はヨハネの象徴です。ルーブル版にはこれがありません。この頃の宗教画は登場人物を特定するためにこういったアイテムを使います。これもロンドン版では使いで書き込まれています。さらにロンドン版のヨハネは衣服を着ています。
次は、天使の指です。
ルーブル版にはヨハネを指差すように天使の手が描かれているのですがロンドン版ではなくなっています。また、天使の衣装もルーブル版では赤ですが、ロンドン版は青です。天使の羽もルーブル版では曖昧に描かれているのに対して、ロンドン版でははっきりと描かれています。
そして全体的な印象を言えば、ルーブル版は背景に空気感を感じて柔らかな印象ですが、ロンドン版は岩肌や遠景も含め全体的に硬い印象を受けます。
では、なぜこんな自体になったのでしょうか。
この絵はミラノの「無原罪の御宿り教団」からの依頼で最初にルーブル版が描かれて、完成しました。
しかし、制作費がかさんだことで、レオナルドと共同制作者は追加料金を申請します。しかし、教団はレオナルドがすでにミラノにいないことを理由に作品も返さずに、交渉も宙に浮いた状態で放置されてしまいます。
それから23年の時を経てレオナルドが再びミラノに戻ってきます。これを機にもう一度代金の申請を出しますが、調査した結果、「岩窟の聖母」は未完成だという鑑定結果を得ます。
ん?
一旦は完成したはずの作品が、23年後に未完成と判断されてしまうという不可解な事態が起きたのです。
つまり、いつの間にかルーブル版の「岩窟の聖母」からロンドン版の「岩窟の聖母」に作品がすり変わっていたということになります。
んん??
この件は裁判にまでなって、結局レオナルド側が敗訴したようです。「岩窟の聖母」は未完成だからちゃんと描きなさい!と言われてしまい、最初、共同制作者が描き始めたものをレオナルドが仕上げたということらしいです。
ちょっと、複雑過ぎて理解できない……。
現代の感覚からすると、ちょっと理解できないやり取りですが、
どちらにしても、同じ構図の作品が2枚存在するなんて、ミステリーですよね。
一枚目のほうが明らかにレオナルドの意向が存分に表れていると思います。二枚目は人に言われて描かされた感がにじみ出ていますよね。
小説「ダ・ヴィンチコード」でも、この絵を重要なメッセージを含んだ作品として紹介されています。
3つ目は「最高傑作にして、最大の失敗作『最後の晩餐』について」です。
「最後の晩餐は」レオナルドの最高傑作にして最大の失敗作です。1492年にミラノ公ロドヴィコ・イル・モーロはレオナルドに「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院」の食堂に「最後の晩餐」を描くように言います。
「最後の晩餐」は読んで字のごとく、イエスが弟子たちとの最後の食事となるシーンです。
過ぎ越し祭の食事をしているとイエスが言います。
「はっきり言っておく、あなた方のうちの一人が私を裏切ろうとしている」
弟子たちは衝撃の告白に騒然となります。それから、「それは、私のことですか」などとイエスに問いかけます。
イエスは言います。
「私がパンを浸して与える者だ」
そして、イスカリオテのユダにパンを渡します。
それを受け取ったユダにサタンが入ります。
イエスは「しようとしていることを今すぐしなさい」と言います。
この後ユダはローマ兵のところへ行ってイエスを引き渡す約束をして、十字架への道を歩むのです。
この絵の見どころを紹介します。
1つ目は性格豊かなキャラクターです。
このシーンはイエスが、この中に裏切り者がいることを弟子に告白する場面です。
それを聞いた弟子たちは、動揺します。
一口に動揺と言っても、人間はみんな性格が違いますから動揺の仕方も違います。
立ち上がり驚く者、自分の潔白を訴える者、悲しみ打ちひしがれるもの、周りのものと議論を繰り出すもの、いきり立つもの、状況が理解できないもの。
そういった様々な反応が描き分けられているところがこの絵の魅力です。
弟子たちが何を言っているのか、考えるだけでも楽しめますよね。
さらに、レオナルドの「最後の晩餐」はこれまでの常識を覆すような描き方をされています。
宗教絵画には描き方マニュアルがあるのですが、この絵はそれを無視しています。
例えばユダの位置です。
通常「最後の晩餐」を描く時は、明確にユダが誰なのかを分かるように描きます。
アンドレア・デル・カスターニョによる「最後の晩餐」は、ユダだけがテーブルの手前に座っています。食事の場面としては不自然ですが、ユダを明確にするという観点からいえば正しい描き方と言えます。
しかし、レオナルドの「最後の晩餐」はユダの位置がわかりにくいです。
レオナルドは、マニュアルに忠実なことよりも、自然に忠実な方を採用したというわけです。
最初からユダが反対側にいたら、出オチのネタバレですよね。
もう一つは光輪がないということです。
通常は聖なる人を描く時は頭上に光輪を描きます。カスターニョの「最後の晩餐」でも、ユダ以外の人々には光輪がついています。
これもユダを見分ける助けとなるのです。
ここでも、レオナルドはファンタジーを排除しています。目に見えないものは描かない。これがレオナルドのモットーだったように思います。
さて、では、レオナルドの「最後の晩餐」では、ユダはどこにいるでしょうか。
ユダは中央のイエスから数えて、左に3人目、少し体を前方に傾けている人物です。
レオナルドは今までとは違った方法を使ってユダの場所を伝えようとしているのです。
それは光です。
ユダ以外の人物には顔に光があたっています。ユダだけが暗く陰になっているように描かれているのです。つまりイエスは光輪の代わりに自然の光を使って聖なるものとそうでないものを描き分けたのです。
そして、もう一つが手に持っている白い袋です。
ユダは銀貨30枚でイエスを売ったといわれています。袋にはこの時受け取った銀貨が入っていると言われています。
さあ、レオナルドは不自然にユダを配置したり、現実にはありえない光輪を描いたりするのではなく、照明効果と小道具を使って、情報を伝えているのです。
はじめから答えを提示するのではなくて、絵を読み解くとはまさに、このことではないでしょうか。
つづいての見どころは、臨場感満点。15世紀のヴァーチャルリアリティです。
レオナルドの「最後の晩餐」は正確な一点透視図法で描かれています。消失点を正しく取るためにイエスの額あたりにピンを刺した穴も見つかっています。
この絵は食堂の壁に描かれているのですが、我々が見ている場所と地続きのように「最後の晩餐」の場面と繋がっているのです。
しかも、絵画世界は現実の光を描いているのです、まさに自分自身がこの場面に居合わせているかのような臨場感を味わえるのです。15世紀のヴァーチャルリアリティですね。
では、最大の失敗作といわれているのはなぜでしょうか。
この絵画は大変損傷が激しいです。絵の具は剥がれ落ちて、亀裂も目立ちます。
500年前の絵画だから仕方ないと思うかもしれませんが、この絵画完成した時点で既に絵の具が剥がれ始めたといわれています。
要するにレオナルドが絵の具選びの時点で、失敗していたのです。
通常、壁に絵を描く時はフレスコという技法を使います。
壁に漆喰を乗せて、それが固まる前に水で溶いた顔料(絵の具の粉)を乗せていくのです。漆喰が固まると同時に色を定着させて堅牢な表面を作ります。この方法だと絵画が長持ちします。
しかし、レオナルドはフレスコではなくテンペラという技法を使って「最後の晩餐」を制作しました。
テンペラは卵や膠の乳化作用を使って油と水を混ぜて顔料を溶き、画面に定着する技法です。ただし、テンペラは湿気に大変弱いのです。
「最後の晩餐」が描かれた壁は石膏が下地だったため、湿気を含みやすいのです。
なぜレオナルドは、フレスコ技法を用いなかったのか。
レオナルドは、大変遅筆です。一日に一筆二筆入れただけで作業を止めてしまうこともあります。
フレスコ画は今日描く分の漆喰を塗ると、ノンストップで描き続けなければなりません。漆喰が乾いてしまったら作業はそこでおしまいなのです。
この方法ではレオナルドの描きからとは相入れません。そこで、いつでも筆を入れられて、いつでも止められるテンペラを選んだのです。
絵が完成すると、絵の具と壁の相性の悪さが露呈して、絵の具が剥がれ始めたといわれています。
さらにこの絵は多くの悲劇に見舞われます。
ナポレオンの時代にはこの部屋は馬小屋として使用されていますし、通路を作るために絵の下側に扉が設置されてしまします。その他にも、洪水による浸水が2回、戦争の空爆によって修道院事態が半壊するという事態も訪れました。
そして、もっとも被害を受けたのが、過去5回に渡る修復です。
18世紀以前の修復は、画家が描いた時のように再現するという考えで、絵の具の剥がれた箇所に上から加筆して、補うというものだったのです。
その都度、修復家が自分勝手な解釈で絵の具を乗せてしまい、レオナルドの描いた絵を覆い尽くしてしまったのです。結果、制作当時との意図とは全く違う最後の晩餐が出来上がり、もはやそれはレオナルドの描いたものとは言えない状態だったわけです。
変わり果てた「最後の晩餐」に救世主が現れます。
1977年からピニン・ブランビッラという修復家がなんと20年の歳月をかけて修復に挑んだのです。
しかし、修復は簡単なものではありませんでした。
ブランビッラさんは修復前の最後の晩餐を「月の表面のようだった」と表しています。
剥落しそうな絵の具を壁に定着させるために使われた接着剤が水分を含んで盛り上がり、絵の具を持ち上げている箇所がありました。絵の具をしっかりと画面に定着させるために熱した鉄のローラーを画面に当てられたこともあったようです。
まず、ブランビッラさんは、過去の文献も紐解きます。昔の画家たちの残した模写も参考にしました。これだけの名画なので、多くの模写が残っているんですね。
さらに、ブランビッラさんは、絵の具や地塗りの亀裂を克明に記録します。そして、加筆がなされた部分の絵の具や溶剤、ニカワ、ニスなどの成分を科学的に調査します。
こういった修復のスタイルは、今では当たり前ですが、ブランビッラさんが先駆者です。
ブランビッラさんは、汚れやカビなどもそれぞれに応じた洗浄剤で落としていきます。しつこいものにはメスを使うなど、ミクロレベルでの作業が行われました。
後世の加筆を除去した上で、レイナルドの筆だけを残して、既にオリジナルの絵の具が剥落しているところはあえて加筆せずにそのままを残すという方針がとられます。
「最後の晩餐」は縦4・6mよこ8・8。もあります。気の遠くなるような作業を続けること20年、ようやく、オリジナルの輝きが取り戻されたのです。
修復によって新たな発見もありました。例えばイエスの口は微かに開いていることがわかりました。まさに「裏切り者がいる」と告げた瞬間だということがわかったわけです。
私たちが現在レオナルドの筆による「最後の晩餐を」見ることができるのは、まさにブランビッラさんのおかげです。本当にありがとうございました。
前半はここまでです。
後半では、
「幻の大作『アンギアーリの戦い』ってどんな絵だったの?」
「いまさら聞けない、モナリザ鑑賞法」
「過去最高額『サルバトール・ムンディ』」
をお送りします。
最後までご視聴ありがとうございました。
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それではとむでした。
さようなら。
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