【フィールドノート】#03 伊勢①
先日、伊勢に行ってきた。
2年間お世話になった高山の(いったん)最後のお仕事の前に、伊勢にある猿田彦神社のお守りをいただいたことを思い出したのである。お礼参りをしようと思って、高山に向かう前に伊勢へ行ってきた。
伊勢は名古屋から1時間半程度。電車の本数が少ないので、気軽にいける感じではないが、事前に時間を調べておけば、東京から日帰りも無理ではない。東京からだと片道4時間半の高山の方が遠いのである。今回は、日帰りというか、午後明るいうちだけのフィールドワークであったが、道中に思索を巡らせて、ぼくなりにとてもいい時間になったので言語化しておきたい。
ここで書くフィールドノートは、ぼくがそのとき見て、そのとき感じたことを記述することを目的としている。なので、こうすべきとかああすべきとかは特に考えず、「自分がそう感じたのだ」という一つの事実を書き記していきたい。いわゆる民俗学・人類学でいうエスノグラフィなフィールドノートとは異なることは事前に理解していただければと思う。
(加えて、以下は、宗教や信仰に関する記述が続き、かつ、ぼくの誤解や通説と異なるところが多々あるかと思います。この先は、勝手気儘な考えを許容していただける方に読んでいただければと思います。)
自分の宗教観。
ぼくは特定の宗教をもたない。完全に持っていないというと嘘になるが、ありがちな神仏混合である。浅草に住んでいることもあり、出張時以外は毎日、浅草寺と浅草神社で手を合わせる。フリーランス(自営業)になってからは、よく手を合わせるようになった。そして、寺社仏閣が多い地域なので、毎月決まって祭やら市やら舞やらの祭礼儀式は行われており、家族で参加するようにしている。(ちなみに、浅草神社は三社様が祀られていて、浅草寺は観音様が祀られている。三社様というのは、隅田川に流れてきた観音像を拾い、寺として祀ることを始めた三人の創始者のことであるらしい。この話だけで、神仏混合、というのがよくわかる。)
神仏混合とはいえ、どちらかといえば、「神」道の方がしっくりくる。理由も何も特にはないのだが、お参りの際の「二礼二拍一礼」が身体儀礼(作法)として好きであることくらいだろうか。なぜ好きなのか、と問われれば、毎日の意識と身体のズレがなんとなく感じられるからである。「二礼二拍一礼」をやってみるとわかることは、この2+2+1=5つの動作は簡単に思われても、自分の意識(イメージ)と身体の実際の動きがうまく噛み合うことは少ないということである。例えば、(まさに今朝そうだったことは)二拍手の音が大きくなりすぎたり、小さくなってしまったりする。ちょうどいい塩梅が難しい。いい塩梅といっても、特に正解はなく、誰からも突っ込まれるわけでもないのだけれど、自分と<自分>がズレていることを認識するだけで、その日はポジティブに過ごせるような気がする。このように身体儀礼(作法)としておもしろいし、ズレがあったときでさえ何だか気持ちがいいのである。
お守りを守ること。
さて、今回、伊勢へ向かうにあたり、出発前夜、荷造りをしながら忘れないようにと、猿田彦神社のお守りを眺めながら、高山での2年間を思い返していた。このお守りは、その高山のクライアント社長から突然いただいたのであった。2年間のふりかえりはここでは書かないけれど、ふりかえりながら思い起こせば、このお守りに助けられたような気もしている。
ところで、お守りの謂れは様々あるが、ぼくはどこかで、「お守りはお守りを持っている人を守るものではない。持っている人がお守りを守ることで自分自身を守ることになるのだ。」といった説を読んだ。それ以来、これを信じている。確かに、お守りを肌身離さず身につけている、という前提であれば、例えば、ぼく自身が交通事故に合わないようにしなければお守りを守ることはできないだろう。だからこそ、「自分を守るためのもの」としてのお守りはとても重く、ただ心強い。
一方で、お守りから少し離れてしまうけど、神頼みについて。「神頼みは最高の自己肯定行為である。なぜなら、神にどうか〜してくださいと頼むとき、自分はこの程度でしかないけれど、それはもうよしとして認めているということになるからである」とこれもまたどこで読んだか聞いたか忘れてしまったが、なるほどと思っている。
お守りと神頼みの2つの謂れ・解釈は、何れにしても、自分の外にある何か超越的な存在としての神に全てを委ねていない。神に頼みすぎるでもなく、自分に頼みすぎるのでもない自然な感じを受けるのである。そこがとても気に入っている。
この猿田彦神社のお守りに、「ぼくは助けられたような気がする」。それは、確かにその通りなのかもしれない。ぼくはぼく自身を守り助けていたのかもしれない(もしくは、社長やクライアントのリーダーたちやぼくたちチーム自身もまた然りである)。
日本的信仰への理解。
東京・名古屋間の新幹線と名古屋・伊勢市間のJR急行列車の中で、普段は考えない「神(カミ)」のことを考えた。ぼくの信ずる神(カミ)は何なのか。宗教観はそれなりに自己認識していながらも、「では、あなたの神は何ですか?」ときかれたら困るなあ、と思いながら、道中に本を読んだり考えてみたのであった、、、
いまから向かう伊勢神宮をはじめとして全国に祀られている伊勢の神々(天照大神や月読、スサノオ、猿田彦、サルメなどの神話の神々たち)とそれが祀られる神宮・神社の類は、1,500年〜2,000年の歴史しかない。また、いわゆる日本的信仰といった場合に、”八百万の神”信仰があげられることがある。ぼくの少ない知識と乏しい理解でしかないが、伊勢神宮をはじめとする”伊勢の神々”と”八百万の神”は全くの別物である。歴史のどこかで絡み合ったり、もしくは深いところで(世界神話、のような観点からは)共通点もあるだろうし、構造も要素も関係している部分はないとはいえない。けれども、ここは分けて考えた方が理解しやすいのではないかということである。
たとえば、『となりのトトロ』は日本的信仰、宮崎駿が考える日本の神々の話である。あれは縄文時代の神々と人間の話である。サツキとメイの父は縄文時代の農業を専門とする研究者である。積まれた本たちを見るとそれが垣間見える。縄文まで遡るということは、トトロたちの興隆期は数千年前の話であって、伊勢の神々より遥か前から信仰されている神々となる。『もののけ姫』は本編自体は中世の話であるが、縄文の神々が枝分かれし、(トトロが盛っていた時代に)人との戦いに敗れ森の奥に逃げ込み、逃げ込んだ先さえ奪われようとしている時代の話である。結果、逃げ込む先もなく、『となりのトトロ』では、人間に恐れをなしてか否か、子供たちにたまにしか姿を現さないのである。伊勢の神々は、トトロが隆盛を極めた縄文以前の時代と、その後『もののけ姫』で追いやられる前の時代の間の時代の話である。
一方、伊勢の神々の話は、ご存知の通り、古事記と日本書紀が元になっており、「記紀神話」と呼ばれている。古事記と日本書紀は6世紀前後と言われているから、今から数えれば1,500年〜2,000年の歴史だということになる。記紀神話は、天皇の始祖と密接に繋がっており、天皇象徴制以前の経緯から、政治と密接に絡んでいる。この点について、詳しく書くと長くなるし、よく燃えそうであるので、興味がある方はいろんな文献があるのでそちらを参照していただきたい。
ちなみに、5月は旅行に最適な気候であるからか、令和ブームだからか、ぼくが訪れた時、平日にも関わらず、混み合っていてびっくりした。割と日本人は、天皇が令和になり、信仰心もそこそこに伊勢参りをしているのか、などと思っていた。ところが、タクシーの運転手さんと話をしたら、「みんな令和令和って訳でもなく、ただ観光に来てるだけみたいだよ」と話してくれた。ただ降りる直前に、「はじめの月ってのは何事も大事だからね」と意味深な言葉を吐いていた。。。
「神(カミ)を考える」ということ。
話を戻しつつまとめると、ぼくの宗教観は、神道に寄った神仏混合であるっぽいのだが、トトロやもののけ姫で描かれる「八百万の神(カミ)」がとても好きである、ということだ。(日本人は割とみんなそうかも?って思ったけど、これは暴論か、はたまた炎上の火種か。皆さんはどう思われるだろうか?)
こんな風に、「神(カミ)を考える」ことを日頃からあまりすることはないな、と思いながら、キリスト教やイスラム教など他の宗教を信仰している人たちはどう考えているのだろうか、と純粋に疑問に思った。宗教のことを話す時、信仰する宗教がどういった内容かを気にしても、人々が宗教のことをどう考えているのか、ということはあまり考えたことがなかった。そもそも宗教のことを話す機会もそうないとも思う。日々、生活の中で気がつかないレベルで染み込んでいる何か、それがカミの仕業である。まっくろくろすけのようなものだ。ぼくたちは、カミの仕業に気がつくことがなくても、生活をしていける。そして、たまにお守りを守っていることを意識して、神頼みをする。こんなことが、ぼくの宗教観であるし、「神(カミ)を考える」ことの姿なのかもしれない。
などと考えていたら、伊勢市駅についた。荷物をコインロッカーに投げ込んで、歩いて伊勢神宮・外宮へ向かった、、、
、、、
(続く= 1回で終わらせるはずが長くなりすぎた)
写真は記録ではないから、記憶をたよりに書く。フィールドノートも記憶の記録であるんだろう。
all photo by tomohiro sato.