MJふたたび(今年の大河の顔じゃない方)
これは昨年のお正月のことです。
(昨年書き始めていたのですが寝かせに寝かせてしまいました)
高校の同級生だった友人からいつものように年賀状が届きました。毎年やり取りをしていて、彼女とはなぜか LINE や MAILを使わずにハガキのみの交流が続いていて、その距離感をキープしているのが心地よい存在です。
高校時代は興味を持つものが似ていたり、仲良しグループの仲間としていつも行動を共にしていた彼女。
それぞれ大学に進学したあたりから住む場所も遠くなり、お互いの人生のステージも変化する中、唯一年賀状のやり取りだけは続いていました。年賀状にはお互いの近況をさらっと書く程度、今度会おうね!などはお決まりの文句でしたが、気づけばもう十数年会っていません。そんな彼女の今回の年賀状はいつもと違う内容でした。
年賀状しかやり取りしていない彼女から、MJこと(マイケルの方でもなく)みうらじゅんさんの情報が!そして短い文章でしたが、あらためてMJが好きだ!と言う想いが伝わって来て、これはよっぽどのことなんだろうなと思いました。
MJで久しぶりに高校時代にタイムスリップする感覚です。
みうらさんをご存知ない方には伝わりにくい内容かも知れませんが御容赦くださいませ。"ゆるキャラの生みの親" とお伝えしたら、あぁ!ってなりましたでしょうかw
さかのぼること高校生の頃、初めて彼女から "みうらじゅんさん" を教えてもらいました。みうらさんだけじゃなく、サブカル界と言うジャンルの存在を教えてくれた人。なんだか触れてはいけない世界のような。えっなに⁉︎こんな面白い世界があったん!となり…チェッカーズ全盛の時代に、B面な世界に魅了される自分がいました。
当時は雑誌「ビックリハウス」などの紙媒体からMJ氏の情報を得ていましたね。
さっそく彼女おススメのYouTube「最後の講義」をみてみました。
※今は著作権の関係でYouTubeや引用ブログ等からは見られなくなって
います(;o;) NHKで再放送されるのを希望します!
内容については、是非動画をご視聴いただきたいのですが、
私もさすが!と感銘を受けたので、かいつまんでシェアしたいと思います。
講義の会場に還暦の赤いちゃんちゃんこと帽子で現れるところからして引き込まれます。
みうらじゅんさん (ご本人いわく平仮名の自分) を作り上げたのは、幼少期の家庭環境や外見などの "フツーさ" に対するコンプレックスが根源になっているようです。〈ちなみに2月1日生まれの水瓶座 さんでした〉
そこからどうにか個性的になるにはと考え、好き嫌いを無くして人があまり好きでないものを集めたり、見に行ったりすることで、"どうかしてる"(DS)状態に自分を持って行くことを始めて、どんどん自分を追い込んで行ったそうです。〈このあたりはご自身の星的な要素も多分にありそう〉
子どもの頃から仏像がマイブームで、仏教に対する造詣も深く、ある時 "自分らしさ" について考えていた時に、文字を並び変えて"自分かしら→自分さしら"みたいに意味の無い言葉になった時、それにを考えていた自分がバカバカしくなったそうです。
結局自分と言うのはないのだと。街中の駐車場でよく目にする「空あり」の看板。「空なし」は、ないことがないと言うことになり、それってあるの?みたいな。反対の反対の反対みたいな…まさに仏教の真髄と似ていると。
自分も無いところから生まれてきて、最後は無になると考えると、いろいろと気がラクになるよねと話されています。〈確かに…たしかに〉
仏教的な視点を今に落とし込んで下さっており、「老いるショック」はあれど「ない(無い)に始まり ないに終わる」のだから、過去の自分や、他人、親と比較しそうになったら 「比較三原則」をつぶやき、楽しみながら人生を歩んでいきたいと思いました。かっこ内は講義中にMJ氏が使われていた言葉です。ユーモアに満ちていますw
動画内で街の看板が幸せへのヒントをくれたと話されていた「アウトドア般若心経」と言う作品を昨年の同氏の展覧会で観ることができました🙏
「般若心経」の中につづられた文字を求めて、日本中の看板を撮影し、一文字ずつ組み合わせて作られたそうです。4年かかったとのことですが、私もちょっとやってみたくなっています。
最後に、
ことし彼女に送った年賀状に、昨年のMJ氏情報に感謝したこと、そして京都の展覧会まで行ってしまったことなどを書いて送りました。一年がかりのお礼となります。そう何せ彼女とは年に一度の年賀状でやり取りする仲なので…