わたしは逃げてばかりいた(/ロ゜)/
ドラゴンヘッドリターンといままでの人生のふりかえり
ドラゴンヘッドリターンとは?
こちらマトメガミさまのブログ
にまとめられていますが、自分のホロスコープでヘッドホンみたいなマークがドラゴンヘッドを表します。
わたしの場合はドラゴンヘッドが7ハウスにあります。
私はいつ頃から逃げはじめたのかな?
幼稚園時代、登園したくなくって朝がとにかくグズグズしている子でした。
なんで幼稚園に行きたくなかったのかなと後から記憶をたどるものの、思い浮かぶのはお弁当のこと。
母の手作りのお弁当の味はイヤじゃなったけれど、登園と同時にお弁当箱を保温器?(冷蔵庫みたいな造りで温められる機能)に入れるシステムになっていて、ランチの時間にその温まったお弁当箱のふたを開けた時の香りが好きじゃなかったなぁと思い出したことがありました。
当時はアルミのお弁当箱だったので温まり過ぎて美味しくなくなる食材も入っていたかも知れません。山ねずみロッキーチャックのお弁当包みが汁もれで茶色くシミになってるのもイヤでした。
なんだそんなことで?と思い、ほかにも理由があったと思いたいのですが思い出せず。これが物心ついてからの最初の逃げ記憶💦
小学校1年生で転校
転校を機に、それまで同居していた母方の祖父母と離れて暮らすことになりました。特に祖母にべったりだったので引っ越し後の喪失感が大きすぎて、それまであまり慕ってこなかった母とのコミュニケーションも上手く取れず、新しい学校にも馴染めなくて情緒不安定になった時期です。通知表のコメント欄にはいつも「積極的に発言しましょう」「自信を持って行動しましょう」みたいなことが6年間、担任が変わっても書かれ続けました💦
小・中学校時代は、ニガテな教科(私の場合は体育)、先生、クラスメイト、習い事など...一度ダメだ!と思ったら逃げてしまう(物理的にも、心理的にも)子でした。(蠍座のゼロor100のせかい⁈)
ついに実家をはなれる〈1回目のドラゴンヘッドリターン〉
高校生になり、その先の進路を決める時もニガテな教科(理数系)に立ち向かうことをせず、でもちゃんと進みたい方向は選んだのですが、仲良しグループの子たちが教育系や医療系を目指すなか、通っていた高校では誰も選ばない美術系の学校をひとり選んで進学しました。
この進学先を決めるにあたり、地元の学校は受験せずに、東京の学校だけに絞りました。両親とも距離を取りたかった。そのためにどうしても実家を出たかったのです。
そう言うと寂しい家族みたいですが、おそらく家族の中で私が一方的に ”両親に受け入れられていない感覚” を抱いていたからだと今になって思います。
運よく受験に合格し、実家脱出に成功しましたが(ちょうど1回目のドラゴンヘッドリターンを迎えるタイミングです)ここから30代前半ごろまでは(だいぶ端折りましたがw)それまでいろいろ逃げてきたことで培われなかった 「とことん話し合う」 ことや 「自分の意見・想いを伝える」 や 「相談する」などの術をほとんど使えませんでした。そのため人間関係での悩みも所属する場所ごとに発生していましたし、やってきたチャンスやご縁などもつかみ損ねていたと思います。
ひとり暮らしになってみたことで、自分のことをよくわかったつもりでいましたが、当時は良くないことが起こったときは、運のせいにしていましたね。
結婚と出産〈2回目のドラゴンヘッドリターン〉
しばらくして、30代半ばで結婚 ...
37歳で長男、39歳で長女を出産しました。
37歳ごろはちょうど2回目のドラゴンヘッドリターンと重なります。いわゆる軌道修正が入ったのだと思います💦
ここから夫に加え、子どもたちとも日々ガッツリ向き合う流れになります。私が生まれ育った家族の中で逃げてきた「とことん話し合う」 ことや 「自分の意見・想いを伝える」 や 「相談する」をもう一度乗り越えるチャンスが、今回は自分の家族と言うカタチで現れたのではないかと思います。
特に長男と接するなかで夫と一緒にいろいろ学んでいる最中なので、こちらはまた別の機会に書きたいと思います。
今年の7月マトメガミさまにセッションしていただいた時に、次のドラゴンヘッドリターンは約2年後と教えていただきました。(その次はなんと70代w)そのころまでに星の課題ができていないと何らかの軌道修正がはいるそうです💦
1回目はリターンのことは知らずに自ら望んで環境を変え、2回目のリターン時も知らずに過ごして軌道修正入りましたが💦 3回目はミッションクリアに取り組めていることを信じてちょっと楽しみに、ドキドキしながら迎えたいと思います✨