作品完成の定義
こんにちわ!えんとつ町のプペルの歌詞の中で、「だけど どうだ?」という言い回しが一番好きなんだけど、この良さをまだちゃんと言語化できる術を知らない亀岡です。
さて、今日は昨日更新された短期集中連載ゴミ人間〜『えんとつ町のプペル』誕生の背景と込めた想い〜の第二回「育児放棄」からの学びを書きたいと思います。
あらまし
テレビタレントから絵本作家に軸足を置くことを決め、1作目の絵本を書き始める西野さん。出版のあてもなく絵本製作レギュラー番組の出演に2年の年月を過ごす日々の中、テレビ関係者の紹介で幻冬社と出会います。
その出会った担当者さんが西野さんの絵本作家としての才能を見出し、以降西野さんの絵本は全て現当社から発売されることになりました。
ただ、そこからすべてが順調に回り出すかといえばそうではなく、処女作を出すのに計4年をかけ、その後も2作ほどリリースした絵本は「絵本業界の大ヒット」にとどまり、西野さんの目指す世界に届くエンターテイメントへは程遠いものでした。
ここから現在の西野さんが突き抜けた存在になる変化が起きます。
「作る」に全精力を注ぎ込んでいた西野さんが、「売る」という領域に踏み出し、結果「作る」と「売る」を地続きにして行きます。
この変化を起こすために西野さんが行なった分析で出た答えは、「自分は作品を買っていない」ということでした。自分が買っているのは生きてく上で必要なものだと。ただ、ある種の作品は前々から欲しいと思っていなかったにもかかわらず、買っていました。
それが、「おみやげ」でした。
「おみやげ」は親族や友達や会社の同僚に「気を配っている証拠」として必要なものでした。
つまり、「おみやげ」というものは、「作品」の姿形をしていますが、実際のところは「生きていく上で必要なもの」だと気づいた西野さんが、自分の作品の届け方に気づいていくという内容になっています。
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学び
ただただ、西野さんの覚悟が高まっていく姿に圧倒されます。
表現者としてのクオリティが高ければ高いほど、その表現を収めた作品を届けることは、届けるプロが担うことが世の中の常識でした。
いや、実際まだその考え方の方が圧倒的主流ですよね。
でも、西野さんは自分の作品の完成を「描き終えるまで」ではなく、作品がお客様の手元に「届くまで」と定義し、新たな決意のもと挑戦をしていきます。
自分の作品を子供と定義して、作品が届けられるまでを育児と定義する。
こう表現することで理解、共感が深まる人がたくさんいると思います。
自分自身が2児の父ですが、絵本のことを子供と言われた途端に、西野さんがどれほどの思い入れを持っているのかを身近に感じさせられました。
そして、今会社でも、会社の存在、仲間の演奏家の存在を知ってもらうために映像のプロジェクトが動いており、すでに何作かの配信を行いました。
でも、本当に自分たちが思うような反響が得られているかといえば、Youtubeで良くて数千回再生されている程度で、全くいけてない。
自分が今の覚悟のまま続けることは、ただの会社のリソースの無駄遣いになっちゃうなと、今回の記事から気づかされました。
今やっているプロジェクトに巻き込んでいる人間もたくさんいるし、希望を持ってくれてる人間もたくさんいる。
自分自身が「届くまで」をしっかり地続きにした設計を考えるために向き合い、結果を出して行きます。
人生って、自分以外の何かを育むために生きてるのかもしれない。
今日もありがとうございました。