過去は今次第

現在、アメリカで開催される大会に参加するため飛行機で移動中。11時間もネットが使えない環境で座っていなきゃいけないのは苦行。もう何度も経験したけど慣れない。映画を観たり本を読んだりして情報をインプットすることに疲れたので今こんな風に文章書いてます。アウトプットは人に伝える意味はもちろんだけど考えを整理するための意味も大きいと感じる。じゃあ今何を整理しようとしているのかと言われると答えに困る。てきとうに書き出して何かが整理されることを期待しつつ暇つぶしも兼ねて書いてます。
 目的地まで残り2時間くらい。普段完全にネット依存なので今みたいにネットが断たれると普段やらないことをやりだす。過去を振り返ることとか。具体的にはiPhoneに保存されている過去の写真を一番昔から遡って見ていく。それをしていて不思議に思うのがめちゃくちゃ過去が愛おしく感じられるということ。写っている人全員愛おしく感じる。基本的に見知らぬ人ではなく家族や友人が写っているからそう感じるのは当たり前では?と思うかもしれない。不思議に思っているのは写真を撮った時の感情と関係なくそう感じるという点。具体的に言うと妻とデート中に喧嘩してイライラした状態で撮らされた妻の写真とか。

妹と喧嘩して挑発する目的で撮った怒っている妹の写真とか。

負の感情と共にある写真からは負の感情が思い出されそうだけど何でだろ?そんなことを不思議に思って少し考えていると先程読んでいた本の一節を思い出した。それがこれ

「われわれの世界には、ほんとうの意味では「過去」など存在しません。十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。」

というもの。『幸せになる勇気』という本にある一節。ここだけ取り出してもわかりづらいですがめっちゃざっくり言うと「今が過去を決める」という話。ちょっと文章書くのがダルくなってきたので最終的に何を思ったのかを言うと「過去を愛する為にも今をしっかり楽しもう」ということ。今現在過去を愛おしく思えるのは今が幸せだからだと思う。ラッキー🤞

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橋本知之
サポート多いと外食しがち。ご馳走さまです!