未経験なのに、フォトグラファー兼ブライダル会社経営者になって、年間0組→2000組のカップルが来るようになった理由。
ただのサラリーマンが未経験から、いきなりプロのフォトグラファーになって3年間で1000組以上撮影できるまでになった理由と、同時に会社経営者になってフォトウェディング事業のお客様が当時は0組だったのが、年間2000組以上まで来てくれるようになるまでの忘備録。
移住する前は普通のサラリーマン
私は今、石垣島に住んでいます。
移住する前は東京に住んでいて、普通にサラリーマンをしていました。
色々縁あって、5年前に石垣島に移住したタイミングで、ブライダル会社の代表に就任して、フォトグラファーになってしまいました。
石垣島自体は、10年以上前から通い始めていて、かなり好きになっていました。漠然と移住もいいかも・・・と考え始めていました。
ちなみに私は日本だと47都道府県制覇しています。その中でも選んだのが、沖縄県でさらに石垣島でした。
さらっと決断
そんな時、友人がオーナーを務める石垣島のブライダルの会社の社長をやってくれないかと頼まれました。
これまで私が関わってきた業界とは全く違う、異業種。
でも石垣島の魅力をなんとか形にして発信して石垣島を盛り上げることを考えていた私は、さらっとOKと返事してしまいました。
ブライダルの中でも、フォトウェディングの可能性も非常に感じていたこともあります。
蓋を開ければヒドイ状態・・・
そして石垣島に移住して代表に就任しました。
就任してわかったのは、聞いていたよりももっとお金がない・・・
資本金すら全く空の状態。
さらには、石垣島での依頼もその時、全くありませんでした。
おぉ・・これはなかなか会社を引き受けてしまったと後悔が頭をよぎりました。
業界も仕事も島の生活も、わからないことだらけ
まず、石垣島に移住して好きで何回も通っていましたが、住んでみると全然違いました。今では当たり前だと思えることも当時はわからなかったし、助けてくれる友人もほとんどいなかった。
奥さんもいたので、島の生活に馴染むということも時間がかかりました。
その頃、初めましての島の人と仕事の話をいきなりしてしまって警戒されて、嫌われてしまうなんてこともよくありました。
これについては、下記にも注意点として記載しています。
そして、全くの未知のブライダル業界。
いろんな業界を渡っている方は共感いただけるかもしれませんが、業界によって雰囲気はもちろん、風習のようなものもまるで違います。
友人のオーナーは業界の人間だったので、いろいろ話を聞きながら、進めていきました。※今となってはそれも間違ったやり方でしたが・・・
やらざるを得なくてフォトグラファーに
とにかくお金がない!本当にお金がなくて、当然コスト見直しもしました。その中で、自分でウェディングのフォトグラファーもやろう。という結論になりました。
元々、カメラは趣味でフルサイズの一眼レフも持っていて、風景写真や友人の写真などを撮っていました。ただ、もちろんウェディングなんて仕事で撮ったことはありませんでした。やると決めてから、2ヶ月以内には撮影をしていました。そう、やるしかなかったからです
これまでの仕事の経験がこんな形で。
私は、移住前に普通のサラリーマンでした。
営業と主にデザイン系の仕事をしていたので、私にとってはファインダーを覗きながら、デザインをディレクションする感覚で撮影ができました。
でも、デザインディレクションと写真撮影は非常に似ていて、何が主役で、主役を引き立たせるために、何を画面に入れるのか、逆に何を取り除くのか。これはスッとフォトグラファーになれた理由の一つです。
話術と好きだった石垣島の知識が生かされた。
私は関西出身です。毎週吉本新喜劇を見ていたし、学校では漫才をすることが当たり前にありました。
僕の幼少期の話は下記に簡単にまとめています。よければ。
なので、人よりも少しばかりは話術に自信はありました。
前項のデザインディレクションの話に組み合わせれば、最後に主役である被写体に笑顔が欲しい時、この笑顔にさせることができました。
これは今でも使っていますが、私は結構しゃべりながら撮影します。普通にお客さんと話をしながら、その合間合間にシャッターを切っているのです。
また、石垣島が好きで移住してきたこともプラスでした。
私は変に凝り性なので、好きになったものは結構徹底的に調べます。なので、移住してきた時点でその辺の島の人よりも石垣島のことが詳しかったです。このことも来ていただいたお客さんに満足してもらえることになったと思います。
会社経営とマーケットの成長
話を戻しますが、請け負った当時の会社にはすでにフォトウェディングのブランドはありました。わかりやすい料金形態と石垣島では圧倒的に低価格のブランドでした。石垣島の会社でしたが、それまでに1件?撮影したかどうかで集客もほぼ0からでした。
わかりやすい料金形態と低価格(とは言っても沖縄本島などと比べると普通水準くらいで、当時は石垣島が高すぎた・・・・)の方針は私も良いと思って踏襲しました。
というのも、石垣島にはまだフォトウェディングをやる会社が少なく、価格は高く、質は良いとは言えない状態でした。
マーケットがほぼ存在していなかったのです。沖縄本島や宮古島では大手企業も参入していて、フォトウェディングのマーケットはまだこれから成長するのに、このままでは沖縄本島や宮古島に全て奪われてしまう。
そう考えた私は、まずは石垣島にマーケットを作ることを先決にしました。
しかし、ただの低価格だけなら他でもすぐ真似ができるし、大手が参入すればあっという間に駆逐されます。
そこで私は社員にも口すっぱく言っていたんが「石垣島のファンになって帰ってもらう」でした。圧倒的に楽しませて、満足度を極限まで高めようという考えです。当時、掲載していた集客サイトに口コミ項目が追加されたので、ここで圧倒的に信頼されようとしたのです。
ありがたいことにすぐに思いは通じて、たくさんのお客様から口コミを入れていただき、当時は、2位の会社にトリプルスコアの差をつけていました。
その努力も身を結び、石垣島のマーケットは当時の10倍程度まで膨らみました。
また、そういった低価格と信頼を得て、社会情勢もあり、石垣島から宮古島・沖縄本島、東京にまで店舗を広げて、年間2000組以上のお客様を撮影するようになりました。
肉と魚と果物と。
そう言ったお客様を圧倒的に楽しませて、満足させることをしていた私は、そのままお客さんと飲みに行くことも多くなりました。今でも連絡をとっている人もいます。
また、撮影後には、メールは当然、わざわざ手紙をくれたりもよくありました。精肉屋さんのお客さんからは、お肉を。東北の漁師さんからは秋刀魚を大量にもらったこともあります。実家が果物農家の方は、今でも毎年フルーツを送ってくれます。
ウェディングってリピートなんてない仕事なんですが、こうやって繋がることができる素敵な仕事だと感じたのと同時に、もったいないと思うようになりました。
最後に
では私は今何をしているのかというと、この時の会社は離れて、他のブライダル関係の会社経営にも携わりながら、石垣島で自分の会社をつくりました。
なんで辞めたのか聞かれることも多いのですが、結局会社はオーナーのものなので、すれ違いが大きくなってしまったことが理由です。
良い意味では会社は大きくなって多くの場所で仕事をする機会を得ましたが、本来僕がやりたかった沖縄や石垣島の発展の意味合いが薄れてしまったこと。フォトウェディングが好調なので仕方がないですが、それしかできなくなってしまったこと。せっかくウェディングで繋がっているお客様ができても、他に受け入れることができていないこと。圧倒的な満足とサービスに資金を注げなくなったこと。ざっくりですが、この辺りが理由です。
私の会社は産声を上げたばかりですが、フォトウェディングや業界の垣根を超えた石垣島のマーケットをさらに広げる存在になることを目指しています。またやったこともないこともやろうとしていますが、なんとかなりそうです。
前と違うことは、私を応援し助けてくれる頼もしい先輩方や仲間と島の友人たちがいることです。
これを読んでいただいたあなたともご縁がありますように・・・・