いじめられていた僕が両親に思っていたこと(前編)
いじめられていたことを言えるようにはなりました。
ですが、いじめられていたときの心境は誰にも言ったことはありません。でも、書き出すことで誰かのきっかけになればと考え、ブログで書こうと思います。
前編は背景を書かせていただきます。
僕は小学校4年生の一学期の終わり、ちょうど終業式の日に転校をしました。
4年生の夏休みは初めての土地、友達もいない環境、両親も仕事で不在、いつも1人だった僕は毎日近くの海に行き友達を作って遊んでいたことを覚えています。
夏休みも終わり学校が始まって、最初は友達もできて楽しい学校生活を送っていて、そのときに一番仲良くなったA君と毎日遊ぶようになり、ゲームを持っていなかった僕はA君の家で一緒にドラクエをしながら、自分の心境も伝えたのです。
そう、母親を怖がっていることも。
A君のことは僕の母親も可愛がっており、A君のことをとても信用していました。
でも、些細なきっかけで、楽しかった状況は変わっていったのです。
いつものように授業を受けていたとき、A君が冗談を言ったので、その冗談に乗っかりA君をダシにしてクラスの笑いをとったことがきっかけです。
そのときのA君の下を向いた恥ずかしそうな顔は今でも覚えています。
今、思い返すとA君の尊厳を傷つけてしまったのだろうと。
そこから仲の良かったA君との関係性は変わりました。
僕が母親に逆らえない、怖がっていたことを知っているので、自分が嫌なことを断ろうとするたびにこう告げられたのです。
『あ、お母さんにいうよ?』
関係性はどんどん悪化し、A君からの言葉の暴力、嫌なことをやらされることがどんどん増えていく、そしてA君の周りにB君、C君と、僕をいじめるメンバーは3人まで増えていきました。
言葉の暴力は次第にエスカレートしていき、顔はバレるので見えない背中に暴力を振るわれる、ランドセルを背負うと背中に激痛が走る、そして逃げ出そうとすると
『あ、お母さんにいうよ?』
決まってこの言葉で僕の自由を縛り続けてきます。
母親は相変わらず、A君のことを信頼して『A君のような友達は大切にしなさいね』そう伝えてくる。
家にも学校にも心の逃げ場はありませんでした。
精神的にまいった僕は土日の休みだけが救いでした。学校に行かなくていい、顔を合わさなくてもいい。でも月曜日はやってくる、日曜日の夜は憂鬱になり明日が来なかったらいいのに。。。そんなことばかり考える。
この辺りから僕は月曜日になると学校を休みたいと言うようになります。
頭がいたい、お腹がいたい、熱もないのに体温計を何度も測り体調が悪いことにする。
でも決まって言われました。
『休ませない。学校に行きない』と
休みたい理由を聞かれたことは一度もありません。
そして重い足取りで学校に行き、こっちを見て笑っているA君がいる。
続きは後編で書かせていただきます。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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