家族との別れと感謝を振り返る10月の記憶
はじめに
10月は私の心に特別な感情を呼び起こす。
1日は母の誕生日、10日は父方の祖母の命日、そして12日は父の命日である。
10月には、家族の深い繋がりと、別れの記憶が詰まっている。
祖母は、父の1年後に亡くなったのだが、祖母が父を追ったような気がしてならない。
祖母にとって、父は特別な存在だったような気がしてならず、わが子を自分よりも先に失くした親の悲しみは、子供がいない私でもわかる。
この記事では、身内の出来事を通して私が感じたことについて書いていこうと思う。
何もできなかった母の誕生日
一昨年まではお金を渡していたのだが、昨年同様、メールで済ませてしまった。
絵文字がたくさんついたメールが来たが、同居していた頃、境遇に恵まれなかったとはいえ、母には随分と迷惑をかけた。
暴言を吐いたこともあるし、暴れたこともある。
70近くなった母を、本当は面倒を見なくてはならないのだが、自分のことさえままならない私には難しい。
「こんな俺でごめん」という想いが強いが、たった一人の親であるため長生きしてほしいと思っている。
墓参りに行けていない祖父母の墓
母方の祖父の墓と、私の家の墓は近いのだが、父方の祖父母たちが眠る墓は逆方向であるため、長い間墓参りに行けていない。
昨年自殺した従兄を納骨するときに行けたのだが、低収入である私は行けなかった。
祖母とは思い出が多く、夏休みに泊まりに行っては服を買ってもらったりした。
子供好きで、近所の子供の面倒も見たという祖母は、背が小さいかわいいおばあちゃんだった。
中学に入学したころから、あまり遊びに行くことはなくなったが、遊びに行けば果物をむいてくれたりした。
私が大人になるにつれ会話が減ったが、行けば歓迎してくれた。
そんな祖母から、たくさんの愛情を注がれたことは、生涯忘れることがないだろう。
すれ違うことが多かった父
父が亡くなって19年だが、生きていてくれれば一緒に釣りに行けたのにという想いが強い。
最後の最後まで、私のことを気にかけていたように感じたが、まさか私が20代で別れが来るとは思いもしなかった。
父は5人兄弟で、上から数えて2番目だが、周りから「としちゃん」と呼ばれていた。
伯父よりも、家族の中心人物になっていて、年始の集まりなど、父の口から出ることが多かった。
一見、リーダーシップがあるように思える父だが、頑固だった。
50を過ぎていくらか丸くはなったが、それまでの父は私にとって怖い存在だった。
頭ごなしに物を言うし、小心者の私はよく泣かされた。
「それくらいで泣くバカいるか!!」と言われても一緒に釣りに行ったのは、それだけ釣りが好きだったからである。
父方の親族の前で、「絶対、こうはならない」と父を罵倒したことがあるが、あの時の父の年になった私は、あの時の父以下の暮らしをしている。
最後に
10月は、父と母、両方の出来事がある。
ふと、金持ちで私のやりたいことに投資してくれる親がよかったとか、人生の道しるべとなるような親がよかったと思うことがある。
私はこれまでの人生を要領よく生きることができず、時には親に迷惑をかけたことがある。
「出ていけ!!」と言われたこともあるが、見捨てることなく愛情を注いでくれたことには感謝しなくてはいけないと感じている。
父はもうこの世にはいないが、たった一人の親である母には、私のできることをしていきたいと思う。
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