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独身でも、実家暮らしでも、そんな未来でも。息が詰まるなら読んで楽になろうぜ。
友達は増えた?
それとも減った?
家族は増えた?
それとも減った?
好きは増えた?
それとも減った?
嫌いは増えた?
それとも減った?
仕事は増えた?
それとも減った?
いやいや、そんなことはどうでも良いじゃない。
なんで今息が詰まってるのかが問題でしょう。
だからこの記事に来たんだ。だって、読めば楽になるって書いてあった。
それは申し訳なかった。私は回り道をする言い回しが好きなんだ。
まあそう不快に思わないで。深いに越したことはないんだけど。
誰が読んだってムラは出てくるさ、どういう理由でここにたどり着いたかはそれぞれあるもんね。
これだけは言える、考えなしにこんな人気の無い、人気の少ない記事にたどり着くことはまず可能性として低い、悩みがあるからだと思うんだ。
それに、先に分かり切った答えを書いておこう。
誰からも助けてくれはしないし、
もう自業自得としか思えないし、
事実そんなことは分かっている、
なんてここで改めて自答した者は本当に…
救いの無い人生
だ。
そうそう、他の知らない誰かも言っていた気がする。
救いの手がない、救いの無い人間は助かろうと思ってはいるのに、
自分から助けて貰おうなんておこがましい、或いは甘えだと一般常識的に悪だと自分を押さえつけてしまっているんじゃないかな?
そんな漫画やアニメのように、窮地に立たされた時に手を差し伸べてくれる誰かを待っていたり、自暴自棄になれば何かが変えてくれるんじゃないかと思ったり、そうすれば一度冷静になるかもしれないし、クロノスタシスの中で何か得策を閃くかもしれない。
そんな厳しい解決策は漫画やアニメに任せておけばいいんだよ。
現実的に考えてみよう。
幸せだったら助けを求めちゃいけないのか?
不幸せなら手を差し伸べてもらってもいいのか?
手と手を合わせて、指合わせ(しあわせ)になれるだって。
死併せ(しあわせ)かもしれないし、
仕合せ(しあわせ)で何か変わるかもしれない。
おっと、回り道だったね。
言葉の綾っていうのも好きなんだ。
そろそろ他の記事に飛びたくなるくらい鬱陶しくなってきてそうだから本題に戻そうか。
学校でも友達でも家族でも、出所はどこでもいいや。
歪んだ幸せって思い始めていたりするのかなあ?
例えばさ…
・勉強ができる
・出世する
・結婚する
・子供を授かる
・食べ物が食べられる
・健康でいられる
こんなところかな。そんなこと誰が決めたんだよってツッコめるやつね。
こういうところから息苦しさっていうのがつもり積もっていくような気がしてならないよ。
ほら、仕事をしているのに実家暮らしで独身、早く家から出ていけと言いながら、ヨボヨボになったら介護に来てもらわないと困る。
押しつけがましいと思わないかい?
いやいや、親の気持ちじゃない。
その親ですら歪んだ幸せが自分の幸せなんだとしていたらどう思う?
柵(しがらみ)がなければいつまでも親バカで一緒にいたいと思っているかもしれない。
娘から子離れできない父親とかがいい例だと思う。
まあ、親であろうが子であろうが個人の意見は尊重しないと束縛になってしまうけれど。
恐らく、何も考えずに生きていけたらそれはそれで歪幸せ(しあわせ)になるんだよ。
あってないような、人生の参考書のように。
だから今、幸せでないのならそれは、合ってないんだよ。
その歪みの無い幸せが欲しくて情報社会の中、自分にあてはめられるようなピースを探しているからここまで読んでくれているんだろうと思ってるよ。
自惚れっぽいことを書いておいた方が、他人と比較しやすいからね。
『そこまで自分は自惚れちゃいない』
と恰好がつけられるから遠慮なく比較してもらって構わない。
家族や周りの友達、結婚して遊んでくれる友達も減っていく。
法律や制度が、建物やテナントが変わるように、自分の身の回りが変わっていくのを感じていると、
自分は何も変わっていない
と思い始めてしまう。ああ、
それは良くないことだ。じゃあ何をすればいい?
周りと同じことをしなくてはならないのか?
それとも全部投げ出して諦めてしまうか?
それも面倒になってきている自分もいる
劇的な人生を歩んでいようと、そうでないとしても、こんなくだらない記事すら読んでしまうということは…どういうことだと思う?
人生に退屈を抱いている
そう、詰まらないところは詰まらず、
詰まるとこ息が詰まっているらしい。
そうだ、ひねくれ者の私ならこう思うんだ。
詰まり、楽しいことが楽しいと思えないくらい飽いてしまったんだよ。
毎日カレーを食べればいつか飽きてくるように、
飽きてきた仕事をダラダラ続けるように、
大好きな人なのにマンネリしてくるように、
最終回を先延ばししている物語のように、
何度もやりこむほどのゲームじゃないように、
最初は可愛いと思っていた制服のように、
手に入れた瞬間、気持ちが変わってしまうように、
人生をそれなりに満足している
だから息苦しいんじゃないのかい?
そんなこと考えたこともなかった?
じゃあなんでこんなに辛いんだ?
お前が思うほどいい道は歩いていない?
うんうん、
こんなにうざったい文章だけを読んだら腹が立っても仕方がないね。
結局何が言いたいんだろうね、こんな語り口調で達観されると自己満足か或いは自己防衛の書き方なんだと思ってくるよね。
そう、確かにそうなんだよ。たまに自分でも言い聞かせることがある。
『現状維持は衰退の証』だと
今どうして話をそらすようにこう言ったかなんて気にしなくていい。
もうこの記事はこの時点でスピンオフ、OVAの域に入っているからね。
何やっても本編に支障はないから大丈夫なんだよ。
本編が面白ければの話だけど。
だから全力で自己防衛をするんだ。本編から外れて面白味がなくなっても、自作したものに変わりはないんだから、次作に期待してくれれば良い話。
どんな続きにしようが勝手なんだ。
ここで恋愛の話にシフトしたって、税金の話、猫の話にしたって成立してしまう。
もしこの記事を途中で読むことをやめたのなら、同上したように最初に答えはでている。”そんなことは分かって”いて、ここでは同情してくれると期待して読み始めたんだ。じゃあここまで読んだ人は何なのだろうか?
いっそここまで読んだのだから気になっても仕方がない。
恐らく、本気で今の自分を変えたいから最終回が先延ばしにされようが、忍耐強く期待を適度にたどり着いたんじゃないかしら。
勿論、私の目的は別にある。
コンサルタントという仕事があるように、誰かの道に、道筋を立てるような仕事なのはイメージできるはず。
そんな仕事は私もやっているが、誰かの人生を、何かの事業を友達でもないソイツに預けるということ。だからこそ責任重大な仕事ともいえる。
だが偏見でものを言うと、卒業後の進路のように自分で決められない人間がたどり着く手段だとも思う。
悪く聞こえてしまうが、決められないというよりかは、見えなくなっている、という方が近いかな。
自分を信用できなくなっている、見失ってしまったという、
自身が。自信がない状態。
そりゃあ誰かに従っていた方が楽なんだよ。
我儘に詰まらないと感じるのならば、今自分で決めることだよ。
それでも自分以外の人間を羨ましく見えるのなら…
それこそあなたの持つ歪みだよ
さあスピンオフのくだらない記事もそろそろ大詰めだ。
自己責任や自信のなさを、自分との戦いだとか言う人間もいるだろう。
確かにそうなのだろう。しかし、今ここまで読み漁るたった一瞬のファンに必要な言葉はこうだろう。
自分は自分の味方でいなきゃ報われない
と、かっこよく決め台詞のように太字にしてみる。
しかし、自惚れてしまっては本末転倒。
コンサルタントがいるように、どんなにアドバイスや道筋を立てて貰おうが、そこへ進むかどうかは結局自分次第だということを。
常識があるように、非常識に進んでいく方が自分に合っているのなら世間の目から敬遠されるくらい見逃してやればいい。
過去の偉人だって、反対を押し切って成功をおさめ、名を残している。
1%のひらめきでなくたって、考えずに感じなくたって、大志を抱かなくたって、自分がどうすれば幸せになるかは考えてあげなきゃ詰まらないままなんじゃないかと思う。
否、他人から幸せにされることなんて一度もない。
だからこそ、誰かは”幸せには自分でなるものだ”と言っているのだろう。
本編は実は知らないうちにクリアしていると思えばどうだろう?
そしたら続編がでてこないから詰まらないとでも言える。
自伝があるように、自分で書いていかなきゃネタに欠いていき詰まる。
面白いこと、楽しいことだけではない。
辛いこと、悲しいこともネタにしてあげられるくらいに自分を描いてあげればいい。
それを継続することができれば年を重ねてもキラキラと活き活きとしているような憧れの対象になれるんじゃないかな。
何より、どうなりたいかは私には関係ない。
いっそのこと死のうが生きようが、殺そうが助けようが関係ない。
それでも踏みとどまってしまうのなら、本当に優しい人間であると思う。
そして今何かに取り組んでいて、後悔することがあるのなら、
それに本気だったという証明になる。
過ちを犯した後悔も、必ず理由があったのだから。
誰もが不正を好んで行うことはあり得ない。人間は中立であり、
善者になるも悪者になるも自由な立ち位置なのだから。
そうだな…この記事に最後の言葉を選ぶとしたら…
自分のことを知りたいのなら、自分以外の人間を何故、どう、そう思うかを考えてみるだけでも十分な材料だ。涙を流してでも聞いてみようか。