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英雄たちに学ぶもの

 2021年も4月になり、今日(4月5日)は母親と親友の誕生日です。あの吉田拓郎さん、そして昨日(4月4日)レノファ山口FCと対戦した栃木SCの矢野貴章選手と川田修平選手もお誕生日です。皆さん、おめでとうございます。

 先日、関東圏の緊急事態宣言が解除され、Jリーグも収容人数等の制限が緩和されました。しかし油断できない状況は続いているのは確かで、試合中の声出しの禁止など、あの頃が戻って来るのはまだ先のことになりそうです。

 しかし、日々は続いていきます。大きな括りでの世の中の移り変わりや判断など、個々人には全く関係がないことのように。しかし、この世に生を受けて長くても100年足らずの人生であることは変わりありません。そんな中で、大きな決断に踏み切った人たちを、この一年で数名見てきました。その人たちの決断に間接的にではあるけれど触れる度に、自分のこれからについて考えさせられます。

 2020年は、「空白の一年」だとよく聞きます。私も油断をするとそう思ってしまいそうになります。しかしそれは逆で、人類にとっては非常に中身の濃いものでした。ある人にとっては、人生を大きく変えた一年になったのではないでしょうか。

 私はそんな色濃い一年にこのお二人と出会ったことは、必然だったのではと思っています。2020シーズンにレノファ山口FCに所属していた武岡優斗さんと村田和哉さんです。

 このお二人にインタビューさせていただいたのは新型コロナウィルスという雑音が急に大きく鳴り始めた2020年3月で、まだ対面取材が出来ていた頃でした。それから取材は全てリモートになったことを思えば、これまでのスタンダードはなんて幸せなことだったのだろうと思います。

 はじめにお話を伺ったのは、武岡優斗さんでした。練習終わりにラジオ収録に応じてくださった武岡さんは、その日のハードなトレーニング後ということもあり、練習着に裸足にスリッパというラフな格好で現れました。

 おそらくラジオの収録というと、プレーの話、チームの話がメインだと思われると思います。というかそれが普通なのですが、私の場合は少し違います。選手も人間であり、人生があります。彼らがどんな人間で、どんな思考で生きているのか。特にサッカー選手などいわゆる夢を叶えた人たち、その延長線上で闘っている人たちというのは、纏っている空気が違います。特にそれは、瞳に表れる気がしています。瞳が、これまでの努力や経験からくる生き様を物語っています。

 武岡さんと対峙した時、良い意味で「この人はかなり耐えてきた人だ。自分と闘ってきた人だ」と思いました。夢を叶えるためには、その自覚は無くても「耐える時間」を多く乗り越えることが必要になります。耐える時間は停滞しているわけではなく、自分と向き合う時間です。何かを伸ばすとはそういうことです。サッカー選手がぶち当たる壁として、思い浮かべやすいのは怪我です。怪我のリリース情報は、サポーターにとってもかなりの痛みを伴います。しかし一番苦しんでいるのは、他の誰でもない選手なのです。自分のことで例えるならば、声が出なくなるかもしれないということです。考えただけで恐ろしくて悲しい。自分に置き換えると非常にわかりやすいと思います。

 武岡さんがレノファ山口FCに合流したのは、キャンプが終わった頃でした。「チームがなかなか決まらない」という不安感は、私たちフリーランスの「明日仕事が無くなるかもしれない」という恐怖感と凄く似ている気がしました。実力次第だ、と言われることが多い世界ですが、必ずしもそうではないことも多々あります。しかしそこも「耐える時間」なのです。武岡さんはチームが決まらなかった年末(2019年末)、悲観をすることはなかったとその時は語りました。それは、乗り越えたというと語弊があるのかもしれませんが、苦悩の先に見出したものが少なからずあったからなのだろうと思いました。夢があるからこそ、夢を叶えた人だからこそ知っている景色があるのです。夢に終わりはない。歳をとっても怪我をしても、なりたい自分、そうありたい自分が居るのです。

 どうして乗り越えられたのかと聞くと、今では”陽気な嫁はん”というタグ付けが愛らしい、奥様のおかげだと、その時に教えてくださいました。結婚を発表されたときは、心から嬉しかったのを覚えています。

 収録時間はそれでも20分以内に終わりましたが、それから30分以上、人生について語った覚えがあります。歳も近く、その頃、私自身も色々と思い悩んでいたころもあり、烏滸がましいことではありますが、武岡さんの必ずしも順風満帆ではなかったという人生の話を聞かせていただいたことで、ひとりじゃないのだと、安堵感を与えていただいたように思います。

 2020シーズンは、主戦場のサイドバックだけではなくボランチも経験された武岡さん。シーズンが再開してからもラジオ出演をお願いすることがありましたが、「この歳になって新しいチャレンジをさせてもらえるのはありがたいこと」と噛み締めるように語っていたのが印象的でした。チャレンジに年齢は関係ない。若いに越したことはないけれど。360度が与えられた場所で奮闘する姿に、またもや力を貰いました。

 そして、次の週にラジオ収録を行ったのは、村田和哉さんでした。今思えばこの流れって凄く濃い(笑)ウスターソースととんかつソースを混ぜたくらいに濃いですね(笑)

 ぜひ、今改めてお二人の当時の声も聴いてみてください。

 さて、村田さんとは実はその前に雑誌の取材もあったので、人柄は知っていての収録となりました。今でもはっきりと思い出せますが、普段着を撮影させていただくということで、どんな格好で来られるのかと思ったら、フォーマルなスーツ姿に差し色でレノファのチームカラーであるオレンジをさりげなく使ったジェントルマンなコーディネート。思わず拍手をしたのを覚えています。つい先日入団されたとは思えないくらいに、しっかりとレノファの選手でした。

「俺はレノファに来たんやから。山口を盛り上げるためにきたんやから。こんなん当たり前や」

 サッカー選手としてレノファ山口を強くすることはもちろん、Jリーグの理念である地域活性の分野について、またその根源である「夢」について一時間以上お話を聞かせていただきました。

 そして数日後のラジオの収録。これもまた、放送時間は8分しかないにも関わらず、収録時間は40分を超えました。その話の殆どは、村田さんのこれまでの人生と、その経験から得た考え方、未来を担う子どもたちが夢を持つことについて、そして自身のこれからの夢について。セカンドキャリアという言葉を聞いたことがある人は多いと思います。多くのサッカー選手は30代で引退という決断をする中で、その先をどうやって生きていくかということですが、村田さんの中には既にはっきりとしたビジョンがあったのです。

 村田さんは、乗り越えてきたことをネガティブに表に出さない人です。辛かったことや苦悩していたことは多くあるはずですが、それを絶対に言い訳にしない。ネガティブな経験は、乗り越えるとポジティブなものに変わることがあります。サッカーで求められるところでいう速い攻守の切り替えというものは、人生においては簡単なことではありません。(サッカーでも難しい)心を抉るような記憶は、その瞬間、人によっては長きにわたって心に重く伸し掛かります。村田さんも、大切な人を亡くされたり、所属するチームが無くなったり、怪我を経験されたりと、傍から見れば壮絶な人生を送られています。しかしその壮絶さを振りかざさない姿が清々しい。すべてを力に変えることができるスーパーサイヤ人なのだと思いました。

 ただのスーパーサイヤ人ではありません。人の気持ちにとても敏感で、特に子供たちへの接し方は、全ての大人に、教育の現場に携わる日本人に学んでもらいたいと思うほど。どうしてそんなに人の気持ちを動かすことができるのか。それはきっと、常に自分と向き合ってきたからだと思います。夢を叶えるためには、「自分と向き合う」ことが最も重要です。それは、自分を磨き上げる作業だからです。その過程でああでもないこうでもないと様々なトライをします。結果として、叶う叶わないという話にはなりますが、その過程で様々な感情を生みます。悔しい、嬉しい、楽しい、もっと、辛い、諦めようかな、いや諦めたくない―――その感情のひとつひとつを、無意識のうちに心に溜め込んできたのでしょう。だから、人の気持ちがわかり、動かすことができるのです。

 2021シーズンがスタートし、このお二人は、『引退』という決断をされました。サッカー選手にとっての引退は、私には到底わかるはずもないほどに大きな決断だと察します。サッカー選手になりたいと強く想い、夢となり、並々ならぬ努力をしてそれを叶え、しかしそれはゴールではなくスタートで、憧れの舞台は理想通りの華やかさと、想像以上の厳しさで溢れていた。いつの時も分岐点と対峙し、その度に自分と向き合いながら、乗り越えて、乗り越えられなくても耐えて、答えを見つけながらその先の人生を歩む。

 新型コロナウィルスという未知のウィルスのせいで「空白」になりかけた2020年にこのお二人に出会えたことは、偶然ではなく必然だと思う。私だけじゃない、彼らと何らかの形で知り合うことが出来た人たちはみんなそうだと思います。

 随分と主観で記してしまいました。ご本人たちに怒られないか心配ではありますが(汗)、精一杯の敬意と感謝の気持ちを込めて綴らせていただきました。 

 これからもお身体にお気をつけて、お二人らしく生きてください。一生、応援しています。



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