リメンバ−1993 !歴史がはじまった時。
こんにちは。ユニフォーム好きのともさん(@olaroupeiro)です。
今日はJリーグのユニフォームを振り返ります(#Jユニ図鑑)。
Jリーグは2020年で27年目を迎えチーム数は56まで拡大しました。
今年は厳しい状況が続いていますが、それでも最高の週末があることに感謝して。
歴史のはじまり
ときは1993年。
日本で初めてのプロサッカーリーグが始まりました。
選ばれたのは10チーム。
日本リーグ時代から強豪だったチームもあり、Jリーグ開幕を機に作られたチームもあり、それぞれ参入のドラマはありますが、とにかくこれらのチームはオリジナル10と呼ばれてます。
当初8チームから始める予定だったものが10になり、27年の時を経て56チームになるとは。
誰も思っていなかったことでしょう。
とにかく10チームでJリーグの歴史がスタートしたのです。
鹿島アントラーズ
前身は住友金属。
「99%Jリーグ参入は無理」と言われながら、ジーコを招き、屋根付きサッカースタジムを作り、オリジナル10へ滑り込む。
今や常勝軍団。
茨城県花の薔薇のディープレッドと鹿島灘を表したブルー。
まだエンブレムも配してなく、胸スポンサーもチーム名になっている。
浦和レッズ
チーム名のダイヤモンド柄に作られたデザインはシンプルでとてもモダンなもの。
エンブレムは左袖に配されている。
ドイツコネクションが強く、外国籍選手もドイツ人が多かった。番号フォントも西ドイツと同型。
ジェフ市原
前身の古川時代のデザインを一新し、千葉県の県花である菜の花の黄色と緑をメインカラーに採用。
リティとか阪倉とかパベル、中西とか懐かしい。
襟のボタン上まで止めるの好き。
ヴェルディ川崎
今後も幾度となく振り返るだろう歴史的ユニフォーム。
当時のJリーグ、日本サッカーを率先する最強チーム。
スイカを凌駕する見事なグラデーションはナイトゲームでは抜群に映えた。
その年のMVPであるカズがいまだ現役なのは奇跡だろう。
横浜マリノス
アディダスではないもので日産自動車時代からのトリコロールを踏襲。
胸元のV字は船乗りのセーラーをモチーフにしたもの。
当時はとにかく井原が好きだった。
横浜フリューゲルス
加茂周によるゾーンプレス戦術や若手抜擢など見ていてワクワクするようなチームだった。
ホームがホワイト基調の当時J唯一のチームだった。
当時は固定番号ではないこのシーズンの7番は反町さんとかが多かったかな。
清水エスパルス
当時唯一の市民クラブだったエスパルス。
エスパルスの代名詞"世界地図デザイン"はファッションデザイナー安部兼章氏によるもの。
スポンサーのJALを含め、世界に羽ばたくというイメージ。
世界地図だけでなく細かな透かしも入っている。
名古屋グランパス
とにかくリネカー一色だったグランパスの1993年。
これは最近復刻もされた伝説的デザイン。
まだチームエンブレムがない時代。
胸のVラインを避けて少し下に配された胸番号に萌える。
ガンバ大阪
まだガンバがストライプのユニフォームではなく、稲妻を模したジグザグがあしらわれたデザイン。
Vネックが当時としてはとてもモダンでシンプルな形。
是非復刻してほしいユニフォーム。
フラビオいい選手だったな。
サンフレッチェ広島
前身のマツダSCからのブルーではなく、紫を新チームカラーとしたサンフレッチェ。左右非対称の幾何学模様は当時としてはとてもハイカラだった。
胸スポンサーがFORD社のものは市販されておらず、マニア垂涎のもの。
なんと言ってもアジアの大砲が好きだった。
FWって足元が上手いだけじゃない、という証明してくれたようで私はDFからFWへの転向を申し出た笑
今人気でる
Jリーグは1993年から4年間はミズノ社製の一括製作によりスタートしました。
各チームそれまで使っていたサプライヤーはナビスコカップ(当時)や天皇杯のみの着用となりました。
古くからのサッカーファンの中には「ミズノのデザインどうなの!?」という声が少なからずありました。
私もはっきり言ってダサいな!と思ってました笑
サプライヤーの違いもチームの個性だと思ってました。
しかし今や世界のユニフォーム好き界隈ではこのミズノ社製のJリーグ初期デザインはとても人気が出ています。
時が経ち、人の評価なんて変わってしまうものなのですね、、、
かくゆう私も今となってはどのユニフォームも超絶欲しい!
さて、今回初めてこのデザインを見た人もいるかと思います。
懐かしいと思う人も初めての人もそれぞれの感想を是非教えてください。
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