もしもこんなユニフォームがあったら。 先人たちの矢を受け継ぐ。 サンフレッチェ広島、東洋工業JSL優勝から50周年記念ユニフォーム。
世界のチームの記念ユニフォーム
世界的にホーム、アウェイユニフォーム以外にも特別仕様の記念ユニフォームを着用することが多くなっている昨今。
チーム創立から○年、とかタイトル獲得から○年を記念したユニフォームは数多く存在します。
以下は2019-2020シーズンに着用された物を取り上げてみました。
バイエルン・ミュンヘンのチーム創立120周年記念ユニフォーム。
チェルシーの1970年FAカップ優勝から50周年記念モデル。
フォルトゥナ・ドュッセルドルフの創立125周年記念ユニフォーム。
最近の特別仕様ユニフォームの潮流は、過去の記念日に身につけていたユニフォームを可能な限り再現する、いわゆるレトロキットデザインです。
その再現はかなり忠実で、当時の配色はもちろん、スポンサー表示もシャツと同色にして「無地を再現」してます。
また当時のエンブレムも再現しています。
サンフレッチェ広島でできないか?
マイチームのサンフレッチェにも記念ユニフォームが作れないか?と考えました。
あった。
ありました。
当時日本で最強だった「東洋工業」というチームが。
サンフレッチェの前身、マツダSC、さらにその前身東洋工業蹴球部が日本サッカーリーグ(JSL)に参加していました。
1965年から始まった日本初の全国リーグ「日本サッカーリーグ(JSL)」。
開幕から6年間で五度の優勝を飾ったのが東洋工業でした。
そう、サンフレッチェの前身チームである東洋工業は日本で有数のサッカーチームだったのです。
五度優勝は1991-1992シーズンまで続くJSLの歴史上最多優勝記録となっています。
その最後となる五度目の優勝が1970年。
いまから50年前のことである。
今回のもしもこんなユニフォームがあったらは、先人たちの偉業に敬意を払いつつサンフレッチェ広島のユニフォームで「東洋工業JLS優勝から50周年記念ユニフォーム」を考えてみました。
当時のサッカーマガジンを入手
当時の東洋工業を知るべく東京の古書街、神保町の専門店にて当時の本を探してみました。
ありました!
1970年12月号のサッカーマガジン(ベースボール・マガジン社)です。
巻頭ページがJSL特集で「王者 東洋工業」とあります。
おぉ、誇らしい。
どうやら白地に緑が当時のチームカラーだったようですね。
チームカラーはいろいろと変遷を経て、マツダSC時代は青がベースカラーとなっています。
小城得達さん。
当時のJSLは8チーム参加のホームアンドアウェイによる総当たり。
リーグ戦総失点が5(!!!)という特出した守備力の中心となったのが小城さんだったとあります。
中心選手の面々。
松本育夫さんの姿も(右)。
JSL優勝50周年記念ユニフォーム
ということで東洋工業がJSLで最後に優勝した1970年から50年を記念しての妄想ユニフォームがこちら。
当時のチームカラーを採用し、ブランドロゴ、既存スポンサーなどはシャツ色に合わせさせていただきました。
今回は当時のチームエンブレムを採用し、裾にはJSL優勝パッチ(妄想です)配してみました。
首元は襟をつけ三角のリブなども当時の再現をイメージ。
いかがでしょうか?
先人たちの矢を受け継いで
JSLで最多五度の優勝。
東洋工業は多くの日本代表選手も輩出し当時日本最強だったと言っても過言ではないかと思います。
この強さも先人たちから受け継いで、Jリーグでの四度目、五度目の優勝を目指してていきたいものです。
しかし華々しいことばかりではなりません。
東洋工業はその後1980年代からJSL二部降格など苦労も味わっています。
チームは良い時ばかりではないという教訓も私たちに投げかけている気もします。我々はこの歴史に残る先人たちから放たれた矢を受け継いで、いまJリーグの舞台にいることを噛みしめなければなりません。
またチームの成り立ちというのはそれぞれで、JSLから存在するチームが偉いわけではないと思います。
Jリーグ発足後に誕生したチームもたくさんあります。
歴史はこれから作るもの。
それぞれのチームのそれぞれの歴史を刻んでいき、それぞれの記念がこれから作られていく。
そして思い出に残る出来事が記念ユニフォームとなって人々の陽の目を見る。
ユニフォーム好きにとって、そうなれば素晴らしいことだと思います。
※この記事は2020年2月27日の公開したnote「もはや世界の潮流!ヒストリカルデザインユニフォームの、Jクラブで勝手に妄想する。」を再構成しました。
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