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ユニフォーム好きの私は、彼のユニフォームを振り返り、大きな拍手で送り出す。

昨年の大怪我からの壮絶なリハビリ、そして華麗なる復帰ゴール。
そして青天の霹靂だった引退宣言。
私たちサッカーファンはこの一連の「地獄と天国と引退」をいっぺんに味わって、どこか夢心地で彼を見ている。

中村憲剛。

無名の大卒選手は一つのチームで成長し、日本代表選手となり、そしてチームを成長させ、Jリーグ史上最強チームを作った。

年齢を感じさせないプレーぶり故に40歳ではあるが「早すぎる引退」と思わざるを得ない。
フロンターレファンでなくても彼の引退を惜しむ声は多いだろう。
これほど多サポからも愛された選手はいなかったであろう。

彼のこれまでの功績や、選手としての素晴らしさ、川崎フロンターレというチームの素晴らしさなど多くの賛辞を持って彼のキャリアは称えられるだろう。
しかしユニフォーム好きの私は、彼のキャリアのたった一つのクラブ「川崎フロンターレ」のユニフォームを振り返ることによって彼のキャリアを称えたいと思う。

中村憲剛歴代ユニフォーム

フロンターレ2003kengo

2003年、当時J2所属の川崎フロンターレへ加入。
初年度の背番号は26。
リーグ戦34試合出場、4得点。

フロンターレ2004kengo

2004年 背番号は馴染みのある14へ。
ボランチへコンバートされチームの中心へとなる。
J2をぶっちぎりで優勝してJ1昇格。
リーグ戦41試合出場、5得点。

フロンターレ2005kengo

2005年 念願のJ1デビューシーズン。
リーグ戦29試合出場、2得点。
ユニフォームは昨季デザインの継続だが、エンブレムから企業名が外れている。

フロンターレ2006kengo

2006年 リーグ戦34試合出場、10得点。
リーグで二位に躍進、ベストイレブン受賞。
日本代表に初招集される。
ユニフォームの左袖には川崎フロンターレ改称10周年記念パッチが。

フロンターレ2007kengo

2007年 リーグ戦30試合出場、4得点。
リーグ5位、ナビスコカップ準優勝。
Jリーグベストイレブン選出。
AFCアジアカップ2007日本代表に選出された。

フロンターレ2008kengo

2008年 リーグ戦34試合出場、4得点。
リーグ2位。
Jリーグベストイレブン選出。

2009年 リーグ戦32試合出場、4得点。
リーグ2位、ナビスコカップ準優勝。
Jリーグベストイレブン選出。

フロンターレ2010kengo

2010年 リーグ戦27試合出場、4得点。
リーグ5位。
Jリーグベストイレブン選出。
2010FIFAワールドカップ日本代表に選出。
ユニフォームサプライヤーのアシックスラストモデルとなった。

フロンターレ2011kengo

2011年 リーグ戦30試合出場、4得点。
リーグ11位。
この年よりユニフォームサプライヤーがプーマへ。
川崎市出身の岡本太郎の「挑」という書が入ったとても珍しく独特なデザインを採用。

フロンターレ2012kengo

2012年 リーグ戦34試合出場、5得点。
リーグ8位。
ユニフォームデザインは初めての横ボーダータイプ。

フロンターレ2013kengo

2013年 リーグ戦29試合出場、7得点。
リーグ3位。
胸の線は川崎市の7つの区を表現するもの。
2013コンフェデレーションズカップ日本代表に選出。

フロンターレ2014kengo

2014年 リーグ戦30試合出場、3得点。
リーグ6位。
ゴールパフォーマンスはSKP14(すきっ歯14)
ユニフォームデザインは川崎市制90周年にあたり、川崎全7区の市章をチェック柄に散りばめたもの。

フロンターレ2015kengo

2015年 リーグ戦33試合出場、2得点。
リーグ6位。
ユニフォームデザインは大塚いちお氏によるもの。
『相手ディフェンスを切り裂く閃光のようなパス。
突き刺さるイナズマのようなゴール。』

フロンターレ2016kengo

2016年 リーグ戦31試合出場、9得点11アシスト。
リーグ3位。
故障もある中でJリーグMVPを歴代最年長36歳で獲得。
Jリーグベストイレブン選出。
チーム創設20周年記念ユニフォームは1997年創設時に着用していたものを李デザインしたもの。かなり忠実な再現である。

フロンターレ2017kengo

2017年 リーグ戦32試合出場、6得点。
悲願だったリーグ初優勝。
Jリーグベストイレブン選出。
ゴールパフォーマンスは「ジャスティス!」。
ピンストライプのユニフォームは記念すべき初優勝モデルとなった。

フロンターレ2018kengo

2018年 リーグ戦33試合出場、6得点。
リーグ優勝で二連覇を達成。
Jリーグベストイレブン選出。
ゴールパフォーマンスは「BKB(僕、川崎のバンディエラ)」。
ユニフォームデザインはかつて採用していたツートンカラーを再採用。
この年より鎖骨スポンサーが解禁された。

フロンターレ2019kengo

2019年 リーグ戦20試合出場、2得点。
リーグ4位、ルヴァンカップ優勝。
11月2日のJリーグ広島戦において左膝前十字靭帯を損傷。
ユニフォームデザインはプーマのグローバルテーマ「パルス(鼓動)」。
フロンターレのFの字が「川崎の鼓動」を表現している。

フロンターレ2020kengo

2020年 リーグ戦13試合出場、2得点。
リーグ優勝。
怪我からの復帰戦でゴールを決め、10月31日の多摩川クラシコではバースデーゴールで自らを祝福。
そして翌日引退発表。
このユニフォームが川崎フロンターレでの最後のユニフォームとなった。
ユニフォームデザインはプーマのグローバルコンセプト「CRAFTED FROM CULTURE」に基づき、地元を象徴する川崎大師からインスピレーションを受けている。幾何学模様は大師の飾り金具を模したもの。川崎必勝だるまも隠されている。

まとめ

ありがとう中村憲剛2

中村憲剛のキャリアをユニフォームデザインに沿って振り返ってみた。
彼の選手としての歴史は、すなわち、川崎フロンターレというクラブの歴史を振り返るようだった。
デビューから18年間試合にに出場し続け、全てのシーズンでゴールを奪うという快挙を成し遂げた。
ワンクラブマンとして川崎フロンターレをひっぱり彼はクラブの中心であり、象徴であり続けたことが素晴らしい。
川崎フロンターレの近年のタイトル獲得を見れば、彼がクラブを成長させてきたと言っても過言では無いだろう。

先にも述べたが、川崎フロンターレのファンでなくても彼の偉大さは理解しているし、だからこそ他サポからの引退を惜しむ声は絶えない。
まだ見ていたい選手であった。
ここにユニフォームを振り返り、大きな拍手を持って中村憲剛の功績を称えたいと思う。

お疲れ様でした。
サッカーファンを楽しませてくれてありがとうございました。


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