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腐敗に立ち向かった学者・チュ・ヴァン・アンの闘いと文廟の歴史


2025年2月にマナボックスメンバーと文廟に行ってきた!

ベトナムの旧正月明けにハノイにある文廟(Văn Miếu)に行ってきました。2016年にハノイで働いているのですが実はこれまで行ったことなかったのです。お恥ずかしい話です。この機会にいろいろと調べてみました。

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文廟(Văn Miếu)の概要

文廟(Văn Miếu)は、ベトナム最古の大学とされる「国子監(Quốc Tử Giám)」を併設した孔子廟であり、ベトナムの教育と文化の発展において重要な役割を果たしてきました。現在では、ハノイを代表する歴史的観光名所の一つとして、多くの訪問者が足を運ぶ場所となっています。

文廟の歴史は古く、1070年に李朝第三代皇帝リー・タイントン(Lý Thánh Tông)によって建立されました。その目的は、儒教の創始者である孔子(Khổng Tử)を祀ることであり、中国文化の影響を受けたベトナムにおける学問と道徳の象徴的な場所として機能しました。文廟の敷地内には、1076年に李朝第四代皇帝リー・ニャントン(Lý Nhân Tông)によって設立された「国子監(こくしかん)」が併設され、ベトナム最初の大学として、多くの学者や官僚の養成機関となりました。

この場所は、700年以上にわたり、科挙制度(官僚登用試験)を受ける学生の学び舎として機能し、多くの優秀な人材を輩出しました。現在では、受験生が試験の成功を祈る場所としても人気があり、観光名所でありながら、ベトナムの教育文化の象徴的な存在となっています!

文廟(Văn Miếu)に関わる主要な歴史上の人物一覧

文廟とその関連施設(国子監など)に関わる歴史上の人物を、カテゴリーを作成し、それごとに生没年、功績とともにまとめてみました

李朝(Lý Dynasty)の皇帝

リー・タイントン(Lý Thánh Tông)1023-1072
1070年に文廟を建立し、孔子を祀った。儒教の普及を促し、学問の重要性を強調した。

リー・ニャントン(Lý Nhân Tông)1066-1128
1076年に国子監を設立し、王族・貴族の子弟の教育機関を創設。後に一般にも開放し、学問の発展に寄与。

陳朝(Trần Dynasty)の教育者・官僚

チュ・ヴァン・アン(Chu Văn An)1292-1370
儒教教育者で、国子監の校長を務めた。官僚の腐敗を批判し、「七斬疏」を提出したが、国王に受け入れられず、隠遁生活を送った。彼の教育理念は現在もベトナム教育の基盤となっている。この人には興味があるので少しあとから深堀します。

黎朝(Lê Dynasty)の皇帝

レー・タイントン(Lê Thánh Tông)1442-1497
1484年に「進士題名碑」を設立し、科挙試験の合格者を記録した。学問の発展を奨励し、文廟・国子監をより強化した。

阮朝(Nguyễn Dynasty)の皇帝

グエン・ザーロン(Gia Long - Nguyễn Ánh)1762-1820
阮朝を建国し、1802年にフエを首都とした。1807年にフエに新しい国子監を設立し、ハノイの国子監の役割を縮小させた。

グエン・フック・アイン(Nguyễn Phúc Ánh)1762-1820
フエの新たな教育制度を確立し、文廟を王朝の教育政策の一環として活用した。

グエン・ディン・チウ(Nguyễn Đình Chiểu)1822-1888
儒教教育者であり、詩人。ベトナムの教育と愛国思想の発展に貢献した。

その他の重要人物

グエン・チャン(Nguyễn Trãi)1380-1442
儒教学者であり、軍事戦略家。レー・ロイ(Lê Lợi)の独立戦争を支援し、黎朝の学問政策にも貢献。

レー・ロイ(Lê Lợi)1385-1433
明からの独立戦争を成功させ、黎朝を創設。教育と学問の発展を奨励し、文廟の維持に貢献。

グエン・ズー(Nguyễn Du)1765-1820
『金雲翹伝(Truyện Kiều)』の著者。儒教の思想を取り入れた文学作品を多く残し、ベトナム文化に大きな影響を与えた

文廟に関わる人物は、教育、学問、政治において重要な役割を果たした人物が多く、彼らの業績がベトナムの知識体系を形作りました。特に、リー・タイントンやリー・ニャントンが文廟の基盤を築き、レー・タイントンが進士題名碑を導入することで、ベトナムの学問の発展を大きく促進しました。

また、チュ・ヴァン・アンのように、道徳と教育の発展を重視した学者の影響も大きく、現代のベトナム教育にもその思想が根付いています。

文廟は単なる歴史的建造物ではなく、ベトナムの教育、儒教思想、官僚制度の発展に関わった重要な人物たちの歴史を反映する場所なのです。

チュ・ヴァン・アン(Chu Văn An)— 不正を糾弾した教育者と官僚

上記の中でとくに気になった人物がチュ・ヴァン・アンです。なんでか?って「不正」防止に力を入れた人だからです。ベトナムでも「不正」まだまだ多いですし職業がら気になってしまうんですよね。

1. 政治の腐敗とチュ・ヴァン・アンの戦い

チュ・ヴァン・アン(1292-1370)は、14世紀のベトナム、陳朝(Trần Dynasty) の時代に生きた教育者であり、官僚としてのキャリアを持ちつつも、政治の腐敗に対して強く反発した人物でした。彼は、学問と道徳を重視し、清廉な政治の必要性を訴えましたが、当時の王朝内では不正が蔓延し、それが彼の人生に大きな影響を与えました。

陳朝における政治腐敗の背景
13世紀末から14世紀初頭にかけて、陳朝の政治は安定を失い、皇族や高官の権力争いが激化していました。特に、皇帝陳裕宗(Trần Dụ Tông, 在位1341-1369) の時代には、国政が乱れ、王室の浪費と官僚の汚職が深刻化しました。

  • 皇帝自身が政務を怠り、贅沢な宮廷生活にふける

  • 宮廷の高官が賄賂を受け取り、汚職が蔓延

  • 一部の官僚が不正を行いながらも、権力を盾に責任を逃れる状態が続いた。

こうした状況に対し、学問を通じて誠実な官僚を育成しようとしていたチュ・ヴァン・アンは、次第に危機感を強めていきました

「七斬疏(Thất Trảm Sớ)」— 7人の高官の処刑を求めた直訴

チュ・ヴァン・アンは、陳裕宗に対し、政治改革を求める文書「七斬疏」を提出しました。
この「七斬疏」は、当時の宮廷の7人の腐敗した高官の斬首を求める意見書であり、その内容は極めて大胆かつ明確でした。

七斬疏の主な内容とは?

  1. 国家を食い物にする高官の実名を挙げ、処刑を要求

    • 賄賂を受け取る官僚たちが、国政を私物化していた。

    • 官職の売買が横行し、有能な人材が官僚になれない状況だった。

    • 税の徴収を悪用し、庶民に過剰な負担を課していた。

  2. 皇帝に対する警告

    • 「このままでは王朝は崩壊する」と警鐘を鳴らし、皇帝自身に厳格な政治改革を求めた。

    • 道徳的な統治を行うことが、長期的に王朝の安定をもたらすと説いた。

  3. 具体的な改革案

    • 賄賂を取り締まる新たな法制度の導入。

    • 科挙制度の強化による、公正な人材登用の推進。

    • 腐敗官僚の処罰と、清廉な官僚への昇進機会の確保。

「七斬疏」の反応とチュ・ヴァン・アンの失意

しかし、この意見書は皇帝に受け入れられませんでした(涙)。

  • 陳裕宗は、宮廷の高官たちとの関係を維持するため、チュ・ヴァン・アンの提言を拒否

  • 高官たちは自身の立場を守るため、チュ・ヴァン・アンを排除しようと画策

  • 政治的な圧力が高まり、彼の影響力は弱まっていった。

この結果、チュ・ヴァン・アンは失望し、国子監の校長職を辞任。政治の場を去り、隠遁生活を選びました。つらかったでしょうね。

隠遁生活と教育活動

教育者としての転身
官職を離れた後、彼は現在のハイズオン省チーリン地区(Chí Linh)に隠遁し、教育活動を続けました。

政治からは退いたが、学生たちに学問と道徳を説くことをやめなかった
「真のリーダーとは、知識と誠実さを兼ね備えた者でなければならない」という考えを弟子たちに伝えた。
多くの学生が彼のもとで学び、のちのベトナム学問界を支える人材となった。

詩作と執筆
隠遁中に、彼は多くの詩や教育書を執筆しました。特に道徳教育や儒教的価値観に関する書物は、ベトナムの教育システムに深く影響を与えることとなった

彼の思想は、現在のベトナム教育にも受け継がれている。
「学問とは知識の習得だけでなく、人間性の向上を目的とすべき」という考えが根付いた。

チュ・ヴァン・アンは、単なる教育者ではなく、社会の不正に立ち向かった勇気ある人物でした。彼の教育理念は、学問だけでなく道徳と誠実さを重視することにあり、これが後世に大きな影響を与えました。

  • 国子監の校長として多くの優秀な官僚を育成。

  • 「七斬疏」を通じて政治改革を求めたが、受け入れられず官職を辞任。

  • 隠遁後も教育活動を続け、死後は文廟に祀られる。

  • 彼の教育理念は、現代のベトナム教育にも大きく影響を与え続けている。

「学問とは単なる知識ではなく、人間性を磨くためのもの」
この考え方を広めたチュ・ヴァン・アンは、今もなおベトナム教育の象徴として生き続けています。

文廟(Văn Miếu)と会計士の関係とは?

私が会計士ということもありその関係性を考えてみました。

学問・誠実さ・公正な制度

文廟が育んだのは、単なる学問の場ではなく、「社会に貢献する人材を育てる」という考え方です。これは、会計士の役割と非常に似ているかもしれません。

共通点

  1. 学問の重要性

    • 文廟では科挙合格者を育成 → 会計士も資格試験を突破する必要がある

  2. 誠実さ(倫理観)

    • 儒教は「誠実であること」を重視 → 会計士も透明性のある財務管理が求められる

  3. 公正な制度を支える役割

    • 科挙は公平な官僚登用を目指した → 会計士は企業の健全な経営を支える

文廟から学ぶ、現代の会計士の在り方

  • チュ・ヴァン・アンが清廉な政治を求めたように、会計士も不正のない財務管理を求められる。不正と戦え!

  • 進士題名碑が知識の証明だったように、会計士資格も信頼の証

  • 文廟が学問を奨励したように、会計士も継続的な学びが不可欠

まとめ

ハノイの文廟は、単なる観光スポットではなく、教育・誠実な社会・公正な制度を支えてきた歴史の証 です。特にチュ・ヴァン・アンの功績は、現代の会計士にも通じる精神を示していると言えるでしょう。

公認会計士も、ただ数字を扱うだけでなく、誠実さと社会貢献を大切にする職業です。ハノイの文廟を訪れ、その歴史を学ぶことで、改めて「誠実な仕事とは何か」を考える機会になる!と思いました。

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