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夢の中の夢の中の夢をみて。

「ちゃんとしなさい!」


母のこの言葉を、物心のついた頃から何度聞いただろうか。母の言葉の最後には、いつもその言葉がくっついているような気がした。


私には姉と妹がいる。私は3姉妹の真ん中で、私たち3人は母の前では「ちゃんと」しようとがんばった。

ちゃんと早起きして、ちゃんとごはんを食べて、ちゃんと学校に行ってちゃんと勉強して、ちゃんとクラブ活動に参加し、ちゃんと塾に行って、ちゃんと宿題をして、ちゃんとお風呂に入って、ちゃんと早寝した。

どれか1つでもそれらの「ちゃんと」が欠けてしまったら、長い長いお説教の後にあの言葉が飛んでくる。


「ちゃんと」という抽象的でよくわからない言葉が、まるで呪いのように私たちにすり込まれている。私たちが暮らす「家」という小さな社会を牛耳っているのは母で、生まれたときからそこにいる私たちにとって「ちゃんとする」ということは普通のことだった。

ちゃんとすることが普通なのだから、ちゃんとしないことはダメなこと。

私たちは幼い頃からそのことを疑うことさえしなかったけれど、「ちゃんとしなさい」という言葉が飛んできたときに全身がギュッと縮まるような、窮屈なあの感じがすごく嫌いだった。

姉のリサは、バスケットボールに夢中でいつもボールを追いかけているけれど、勉強が嫌いでよく勉強するフリをしていた。参考書に少女漫画をはさんで読んでいるのが母に見つかったとき、次のテストで80点以上とらなかったらバスケ部をやめさせるからと怒鳴られていた。

妹のカナコは、本が大好きで勉強がよくできたけれど、体を動かすことが極端に苦手で体が弱かった。クラブには入らずに本をたくさん読みたいと言っていたカナコに、「ちゃんとクラブには入りなさい。もっと体力をつけるために陸上部なんてどう?」と半強制的に陸上部へと入部させていた。


そして私クルミはというと、勉強は嫌いじゃなかったから成績はよかったし、運動も人並みにできた。だから、リサとカナコよりも「ちゃんとしなさい」と言われる数はきっと少なかった。でも私は夢中でボールを追いかけているリサの顔や、時間を忘れて本を読むカナコの顔がなんだかキラキラ輝いてみえたし、かっこいいなといつも思った。

ちゃんとしすぎていることは、もしかしたらすごくつまらないことなのかもしれないなと2人を見ていて何となく思った私は、当時の友達と制服のスカートを短くして、ルーズソックスをはいて、ギャルメイクをして、母に内緒で繁華街に出かけてみた。その姿でプリクラを撮って、ハンバーガーとポテトを食べて、カラオケに行ってみたけれど、いつもとちがう「ちゃんとしていない過ごし方」に高揚感を感じつつも何だかソワソワしてしまう。公衆トイレでスカートの丈を元に戻して、ルーズソックスを脱いで普通のハイソックスに履き替えて、メイクを落として家に帰った。

「ちゃんと手を洗いなさいよ〜!」

家に帰ってすぐに聞こえてきた母の「ちゃんと」はつまらない言葉のはずなのに、なぜか私をホッとさせた。



そこでハッと目が覚めた。

私は夢をみていたようだ。白い天井をぼんやりと見つめながら、ちゃんとしないようにがんばってみた夢の中の私を想う。

むくっと起き上がって階段を降りてリビングに入ると、めずらしく父がソファに座っていた。父はカメラマンで世界中を飛び回っていて1週間に1〜2回しか家に帰ってこなかったし、1ヶ月に1〜2回しか帰ってこない月だってあった。

「お父さん、帰ってたの?」

「うん。明日からはしばらくオーストラリアだ。あ!おみやげ買ってきたぞ。」

父はいつも私たちに大量のおみやげを買ってくる。まるで何か後ろめたいことがあるかのように、たくさんたくさん買ってくるのだ。そばにあったスーツケースを開けて、クッキーやらカステラやら紅茶やらドライフルーツやらを次々と出してきた。

「ありがとう。」

私がニコッと笑いながらそう言うと、父はいつもどこかホッとしたような顔をする。そして、明日の準備をしなちゃと言ってリビングから出ていく。父が階段をのぼるトントントンという音が止まり、バタンとドアの閉まる音がする。

父とたまに会うたびに聞くその音は、何度聞いてもさみしい音だな、と思った。

このおみやげを一緒に食べたかったな。ゆっくり紅茶を入れて、ゆったりとリビングのソファに座って、お菓子を食べながら、どんな話でもいいから父の声を近くで感じていたかったな。遊んでほしいなんて言わないから、せめておもしろいテレビを見て一緒に笑いたいな。

机の上にひろがるたくさんのおみやげを見ながら、そんなことを思った。



そこでハッと目が覚めた。

私はまたベットの上にいた。あれ?私は夢の中で夢を見ていたんだろうか?さっきたしかに私は夢から目覚めたはずなのに。時計を見ると午前10時を過ぎていて、しまった、と飛び起きた。「せっかくのお休みなんだから有意義に過ごせないものかしら」と嫌味を言う母の姿を頭に浮かべながら、リビングに向かう階段をおりた。

リビングに入る瞬間、トーストの香ばしい香りがした。父と母がダイニングテーブルで向かい合って座っていて、何やら楽しそうに話している。母と父は私に気がついて、ほとんど同時にニコッと笑った。


「おはよう!ゆっくり寝れた?朝ごはん食べる?パン焼くから座って待ってて。」

母は席を立ち、鼻歌を歌いながらキッチンに向かう。

「リサとカナコは出かけたよ。クルミは今日予定ある?父さん今日久しぶりに1日休みなんだけど、一緒に映画でも見に行かないか?」

「行く行く!でもポップコーンは塩味じゃなくてキャラメル味ね。」と私が言うと、甘いものが苦手な父は「それだけは勘弁してくれ〜!」と大げさに両手を合わせて見せた。母と私はアハハと笑い、父もアハハと笑った。

私のトーストが焼けると母もまたテーブルに座った。私と父が何の映画をみようかと話しているのをニコニコしながら聞いている。なんて幸せな時間なんだろう。今日1日、やらなければならないことは何もなくて、一緒にいたい人とやりたいことだけをやって過ごす。その計画を立てる時間はなんて自由なんだろう。私の心は踊り、そしてどんどん広がっていった。



そこでハッと目が覚めた。

私はまたベットの上にいた。あれ?私は夢の中の夢の中で夢を見ていたんだろうか?さっきたしかに私は夢から目覚めて、その後もう一度目覚めたのに、また目覚めてしまった。私はどうしてしまったんだろう。

厳しい母に反抗したくなったけれど反抗しきれなかった私。父ともっと一緒に過ごしたかったのにそれを言えなかった私。そして最後の夢は私の理想の父と母の姿なのだろうか。どれも妙にリアルな夢だった。父と映画に行く1日がはじまろうとしていたウキウキした気持ちがまだ残っていて、夢でもいいから一緒に映画を見たかったな、映画を見てから目覚められたらよかったのに、いや、こんなにリアルな夢なんだったらあのまま夢から覚めなくてもよかったかも、と思ってしまうほどだった。


隣でまだ生まれて間もないわが子、ダイチがスヤスヤ眠っている。私は結婚して赤ちゃんを産んで、今は実家に里帰りしている。これは絶対に夢ではないはずだ。でももしかしたらまたハッと目覚めて、これも夢だったのかと気づくのかもしれない。夢の中の夢の中で夢を見ていた私は、なんだかこの現実さえも夢なんじゃないかと疑ってしまうような感覚に襲われて、急に怖くなった。私はとっさにわが子のお腹の上に手を当てた。お腹は膨らんだりへこんだりしていて、そして温かい。呼吸している。生きている。そう我にかえると、ほんの少しフワフワ浮いているように感じていた自分の身体が、ベットにグッと沈んでいくような安定感を感じた。


なんだかとても喉が乾いていたので、私は静かに階段を降りてリビングに向かった。

「おはよう。ダイちゃん、まだ寝てる?」

キッチンに立っている母は、私に目を向けた。さっき夢の中でニコニコ笑っていた母がまだ胸に残っていて、なんだか今目の前にいる母の姿がぼんやり見えてしまった。

「まだ寝てるよ。」

私がそう言うと、母はため息をついた。

「ちょっと寝すぎじゃない?そろそろ起こして朝日を浴びさせてあげないと。ちゃんと生活リズムを整えてあげることもお母さんの仕事だよ。あ!哺乳瓶洗っといたよ。昨日粉ミルク2回も飲ませてたでしょ?本当に足りないときは仕方がないけど、できるだけちゃんと母乳で育ててあげないと。」

母のその言葉を聞いた時に、私は思わず母よりも大きなため息をついた。これが現実の母だ。今までの長い長い年月も、そしてこれからの長い長い年月も、きっと変わらない。あんな夢を見てしまったから、なぜか期待してしまっていたのかもしれない。夢に期待するなんておかしいけれど、それほどリアルな夢だったから仕方がない。どうか今目の前でつまらないことを長々と話している母の方が夢であってほしいと私の心が叫んでいた。


「ちゃんとちゃんとって、うるさいなあ!」

私の口からそんな言葉が出て、その言葉に自分でびっくりした。そしてそのあふれる言葉はもうどうやっても止めることができなかった。

「ちゃんとって何?ちゃんとしているお母さんは全然楽しそうに見えないし、幸せそうに見えないんだけど。それなら私はちゃんとしたくない。私はちゃんとしてなくてもダメなんかじゃないし、ちゃんとしていなくても幸せになれる。だからもう放っておいて!」

突拍子もなくそんな言葉をぶつけられてキョトンとしている母を置いて、私は階段をかけあがった。そして、スーツケースに荷物をどんどん詰め込んだ。2人分の荷物を詰め込んでパンパンになったスーツケース。私はまだ寝ているダイチを抱っこ紐で抱っこして、力強くスーツケースを握り、玄関に向かった。

ガチャっと玄関のドアがタイミング良く開いて、タイミング悪く父の姿が見えた。いや、タイミング良く、かもしれない。

「お父さん、久しぶり。私もう帰るね。」

私がそう言うと、父は「そうか・・・」と言って、またいつもみたいに私におみやげを手渡した。心と口がつながってしまっている今の私は、いつもとやっぱり変わらない父に対しても容赦なく心をぶつけてしまった。

「もうこれからは、おみやげなんていらないからね!おみやげなんて、一緒に過ごす時間の代わりにはならないからね!」

私は父からの最後のおみやげを荒っぽく受け取って、実家を後にした。



そこでハッと目が覚めた・・・となればどんなにいいだろうか。あーあ、やってしまった。母に嫌われたくなくて、父に邪魔だと思われたくなくて、せっかく30年以上もグッと飲み込み続けていたことだったのに。こんなに簡単に、こんなに一瞬のうちに、その努力を台無しにしてしまったかもしれない。

今日は風が強い。背中に風を感じる。気のせいかもしれないけれど、その風は私の背中を押してくれているような気がした。これでいいんだよ、ここからあなたの人生が始まるんだよ、と私の心を実家から新しい家へとどんどん運んでくれているような気がした。

私にとっての「普通」ができあがったこの家。でも私は今お母さんになって、これから新しい家を作るのだ。私が作る家の「普通」が、この胸で眠っているわが子の「普通」になるわけだ。今までの「普通」を引き継ぐこともできるけれど、そんなの絶対に嫌だと私の心が暴れていた。


私は私が素敵だなと感じる「普通」を、温かいなと感じる「普通」を、楽しいなと感じる「普通」を、新しい家で作っていこうと思った。そのためには、父と母から私へとつながっている見えない鎖のようなものを一度プチッとわかりやすく切らなければならなかったのかもしれない。

母はこれからも変わらない。父だってこれからも変わらない。こんな仕打ち、もうこりごりなら、私が変わるしかないんだと、なぜか強気な気持ちで曇り空を見上げた。



それから1週間が過ぎて、私は7回眠って7回目覚めたけれど、しっかりとこの今の現実に7回とも戻ってきた。新しい小さな家で、大好きな旦那と息子と一緒に過ごしているこの現実で、私はまぎれもなく今生きている。

面倒で片付けていなかったスーツケースの中身を片付けようと重い腰をあげた。スーツケースの横に父からの大きなおみやげ袋が転がっていた。またどうせクッキーやらカステラやら紅茶やらが入っているのだろうと思いながら開けてみると、やっぱりクッキーやらカステラやら紅茶が入っていたけれど、その中にはきれいな水色の包装紙に赤いリボンでラッピングされている、何が入っているのかわからない小さな箱が1つだけあった。

これはお菓子じゃなさそうだけれど、なんだろう?

その箱を開けてみると、小さな小さな靴が入っていた。

「クルミへ。出産おめでとう。ダイチくん、これからよろしくね。」

小さな靴の横に添えられていた小さなポストカードにはそう書いてあった。


その小さな靴と小さな言葉を見た瞬間、私の目から勝手に涙が溢れた。私は父になんてことを言ってしまったんだろう。父だって、大好きな仕事と家族との間で上手にバランスをとれずに悩んでいたのかもしれない。なんとか父なりの方法で私たちに愛を伝えようとしていたのかもしれない。

そうだよ、伝わりにくかったかもしれないけれど、あなたたちは愛されているんだよと、その小さな箱が父の代わりに伝えてくれているような気がした。



ピンポーン!

そのとき玄関のチャイムがなった。涙を袖でぬぐって玄関を開けると、宅急便のお兄さんが大きなダンボールを抱えて立っていた。私は荷物を受け取り宛名を見てみると、そこには母の名前が書いてあった。


ダンボールを開けてみると、大量とオムツと大量の粉ミルクが入っていた。

「疲れたら、いつでもごはん食べに帰ってきなさい。」

粉ミルクの缶に貼られていた小さな付箋には、そう書かれていた。


お母さん、粉ミルクはできるだけ使うなって言ってたじゃん。私は心の中でそう毒づきながら、また泣いた。



私が変われば、現実は意外と簡単に変わるのかもしれない。そう思った。でも父と母が、私の理想の父と母に変わると言うわけではない。 父と母は昔も今もずっと一緒だ。私はただ、父なりに、母なりに、不器用ながら、ちょっといびつながら、私のことを大切に思ってくれていることに気づいただけなのだ。私には見えずらかっただけで、30年以上もの間ずっとずっと確かに父と母に中にあった私への愛情に気づくことができた。それはきっと、背中側から見ていた父と母を真正面から見てみると、2人ともが私を優しい眼差しで見つめてくれていた、という感じなんだと思う。真正面から見た父と母の顔がもし私を見つめてくれていなかったらと思うととても怖くて怖くて、背中からしか見ないようにしていたのは自分だった。

嫌われていたのならそれはそれで仕方がない。その覚悟を持って、父と母と真正面から向き合ったからこそ、あんなにビクともしなかった私から見えるこの世界がほんの少し変わった。まだまだフニャフニャの赤ちゃんと大好きな旦那さんと一緒にこれから作っていく私の新しい家が、「どんな結果になってもあなたの新しい居場所はここにあるから」と私に勇気をくれたような気がする。


そしてそれ以上に、夢の中の夢の中の夢をみて。

もし今夢をみているのなら、どうせ目を覚ますのなら、失敗してもいいしカッコ悪くてもいいじゃないかと、私はなんだか捨て身になってしまったのかもしれない。むしろ、夢なんだったら我慢なんてする必要はないし、好きなことを好きなようにやらないともったいない。つまらない。


人生はまるで夢のようだ。

いつか終わって目が醒めるのだし、やりたいことをやって、言いたいことはまっすぐ伝えて、その束の間の夢を泳ぐように楽しめばいいのかもしれないなと思った。何も恐れることなんてない。重たく考えすぎないで安心して、スイスイと。ユラユラと。


でもどうかどうか、今の私が見ているこの夢が、夢ではありませんように。

いつかは終わってしまうけれど、まだもう少しここでやりたいことがあるんです。



私は心の底からそう願っている自分に気づいて、今私は久しぶりに満ちていて、とても幸せなんだなと気づいた。


〜おわり〜


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