根っこを育てる日々
明日は息子の成人式だ。
リビングでテレビを見ている息子に「明日は夜ごはんいる?」と聞くと、「友達と食べるからいらない。」とすぐに返事が返ってきた。
大学生になってから息子は、週の半分くらいは夜ごはんを外で食べるようになった。居酒屋でアルバイトをしたり、サークル仲間と夜遅くまであそんだりしているようで、日が変わるギリギリに帰ってくることも多い。そして朝は授業に間に合うギリギリの時間に起きて、朝ごはんを口に詰め込んで、バタバタと出かけていく。
ふと気づいたら、最近息子と話していないなと思うことがよくあった。
一緒に住んでいるけれど、息子をすごく遠くに感じるようになった。息子には息子の世界があって、その広い広い世界を全部知ることなんてもうできないんだとわかっている。
高校生の頃までは、ほとんど毎日晩ごはんを一緒に食べていて、今日1日あったことを楽しそうに話してくれた。息子の話に出てくる登場人物はいつも決まっていて、高校の卒業式ではじめてその数人の友達の姿を見たときは、「やっと会えた!」と思った。私は息子とこの子たちがどうやって仲を深めてきたのかを、少なくても半分くらいは知っているという自信があった。
今や、息子が誰と仲がいいのかを知らない。今日1日どんな風に過ごして、どんなおもしろいことがあったのかを、私は何も知らない。
「男の子なんて、みんなそんなものだよ」という言葉で、そのさみしさをやりすごしていた。
成人式を前日にして、いつもほんのり感じていた寂しさが、なぜか何倍にもふくれあがっていることに気づいた。その寂しさをなんとか癒やそうと、息子のアルバムをひらいてみることにした。
なにげなく手にとったそのアルバムは、息子が4歳の時のものだった。
「かわいいなぁ。高い声でママ、ママってずっと私についてきていたなぁ。ずっと私に話しかけていたなぁ。」
小さくて丸くてモチモチしていた息子の姿を思い出すと、なんだか胸の真ん中あたりがじんわり温かくなっていくのを感じた。
小さな息子を眺めながらのんびりとアルバムのページをめくっていると、薄いノートがはさまっているのに気づいた。
それは、当時の私が書いていた日記だった。
2021年1月1日
年が明けた。全く正月感がない。4歳の息子はおせち料理を一口も食べず、うどんを食べたいと言ったので、うどんをゆがいた。今年も良い1年になりますように。
日記はそんな他愛のないところからはじまった。
2021年1月3日
今日はイライラしてしまった。1日中一緒にいるとやっぱりどっと疲れる。「ママ、見て見て!」「ママ、食べさせて!」「ママ、着替えさせて!」「ママ、おしっこ!」「ママ、あのね・・・」1日中ママ、ママ、ママ、ママ!!!ちょっとはパパにお願いしてよ。ちょっとは自分でやってよ。早く幼稚園はじまらないかな・・・
新年3日目にして、イライラしてしまっている自分。自分が書いたことを全く覚えておらず、誰かの日記を盗み見ているような感覚になってきた。
2021年1月4日
今日もママ、ママ、ママ、ママ!もう限界。夜ごはんを食べ終わったあと、私は布団にもぐって家事と育児をストライキした。パパが私の機嫌が悪いことを察して、洗い物をしてくれている音が聞こえる。「おしっこ!」という息子の声。「パパと行こっか」というパパの声。「ママと行きたい!」と言う息子の声。「ママ疲れてるみたいだから、パパと行こうよ」とパパが言うと、「イヤだイヤだ〜」と駄々をこねる息子。もう最悪だ。長々と続く息子とパパの戦い。そんな声を聞きながら、のんびりできるはずもない。しばらくすると「いいこと考えた!」というパパの声が聞こえてきた。パパと息子が急に私のいる部屋に入ってきて「ママを抱っこしたパパと、トイレに行こう!」と言った。私と同じくらいの背丈のパパが、まさかの私をお姫様だっこしようとしたけれど、どうしても持ち上がらなかったようだ。けっきょく「ママをおんぶしたパパ」と、息子はご機嫌でトイレに行った。ちょっとは1人で過ごさせてよ・・・と思いながらも、斬新なパパのアイデアにゲラゲラ笑って、イライラした気持ちがふっとんだ。パパ、ありがとう。
すっかり忘れていたエピソード。日記を読むとまるで昨日のことのように、その時の映像が頭に流れ込んできた。顔が勝手にニヤける。
2021年1月8日
今日からやっと幼稚園がはじまった。久しぶりの1人時間。ずっと読みたかった本をもって、お気に入りのカフェに行った、あー幸せ・・・
このときの私に言ってあげたい。16年後には1人の時間なんてたっぷりあって、息子は私のいない外の世界で楽しそうにしていて、ちょっとだけさみしく感じているよって。
気づいたらもう日付が変わってしまっていた。ふと睡魔がおそってきたので、私はアルバムと日記をパタンと閉じて、ねむりについた。
***
「いってらっしゃい!」
息子は友達と袴を着るそうで、美容院で着付けをしてもらってから成人式に向かうとのことだった。朝早くに息子を玄関で見送った。
「息子の袴姿、見たかったな。今日はバタバタするだろうし夜遅くなるだろうし、明日写真を見せてもらおう。」
息子にとって特別な日。それは私にとっても特別な日だけれど、息子を見送った後は何ら変わりのない1日がはじまろうとしていた。
その数時間後のことだった。
ガチャッと玄関のドアのあく音がした。
誰だろう?と不思議に思いながら玄関に向かうと、そこには袴姿の息子が立っていた。
「母さん、見て。似合う?」
ちょっと息をきらしながら、息子はそう言った。
「いいやん!かっこいいやん!」
私は予想外に突然あらわれた袴姿の息子にまだびっくりしながらもそう言った。急いでスマホをとりに行って、何枚か息子の全身写真を撮って、最後にツーショットまで撮ることができた。
「ありがとね。行ってきます。」
そっけなく私にそう言う息子に、「楽しんできてね!」と私は大きな声で叫んだ。
シャイな息子の「ありがとね」という言葉。
きっと、「今までありがとう」と言おうとしてくれたんだと思う。そしてわざわざ、私に袴姿を見せに帰ってきてくれた。
「母さん、見て。似合う?」
そう言って玄関で袴を披露する大人になった息子と、昨日アルバムで久しぶりに見た4歳の息子の姿がなんだか重なった。
背が高くなって、声も低くなって、ひげも生えて、すっかり大人になったけれど、その大きな体にはちゃんと20年分の重みが刻み込まれている。すっかり姿をあらわさなくなったけれど、「ママ、見て!」「ママ、あのね・・・」と高い高い声でいつも話しかけていたあのかわいいかわいい息子は、今でもきっと息子の根っこにちゃんといる。
太くて立派な根っこがあるからこそ、「いつでも無条件に甘えられる、安心して戻れる場所」があるからこそ、息子は自由に外の世界を冒険したり楽しんだりできるのかもしれない。
なぜかそんなことを思った。
私はリビングのソファに座り、さっき息子と撮った写真を眺めた。
最近感じていたさみしさが、すっかり消えていることに気づいた。
そして、私の手は勝手に動く。
「お母さん、見て見て!今日は息子の成人式だよ。」
私は私のお母さんに、そんなメッセージをそえて息子の写真を送った。
「成人おめでとう。今までお疲れ様。」
お母さんからの返信を見た瞬間、急に涙があふれてきて止まらなくなってしまった。息子の根っこには私がいるように、私の根っこには今でも母がいるのだ。
子育てはとても大変で地道で忍耐が必要だけれど、わが子の根っこにコツコツと栄養を注いだ日々が、その重みが、20歳という節目を迎えて、急に私の心に響きはじめた。
息子はその日、夜の10時頃に帰ってきた。コンビニの手提げ袋の中にはビールが3本入っていた。
「これ、いっしょに飲もうよ。」
仕事から帰ったばかりのお酒好きなパパは、「お!いいね!」と嬉しそうに言った。
リビングのソファに座って、3人でビールを飲んだ。私はお酒が弱いけれど、今日だけはどんなにしんどくなっても一緒に飲もうと思った。
ちょっとだけ顔の赤くなった息子は、今日の成人式のことを楽しそうに話している。同じくちょっとだけ顔の赤いパパは、その話をゲラゲラ笑いながら聞いている。
私はすぐに酔いが回ってしまって、ねむくてねむくて仕方がなくなってしまって、いつのまにかソファに横になっていた。
息子の楽しそうな声や、パパの笑い声を聞きながら、ウトウトするのはとてつもなく気持ちがよかった。
パパ、あんなにママしかダメだった息子も、こんなに大きくなってパパとしゃべりながらお酒を飲んでるね。
ママ、あの時はおんぶされて、無理やりトイレに連れて行かれたけれど、今日はきっとそんなことされないよね。あの日みたいにおんぶして、ベッドまで連れていってくれたりしないかな。
そんなことをボンヤリ思いながら、いつのまにか本格的な眠りに落ちてしまっていた。はっと目が覚めると、私はベッドの上にいた。あの時みたいに、きっとパパが運んでくれたにちがいない。いや、パパと息子が協力して一緒に私を運んでくれたのかもしれない。
さて。
今日もパパと息子の朝ごはんを作ろう。
昨日よりも明るい気持ちで
ベッドから起き上がった。
パパも息子も、それぞれの太くて長い根っこを、3人で作るこの家に根付かせて、今日も外の世界へ遊びにいく。
息子も大人になったことだし、私ももう一度自由に外の世界で遊ぶとしようか。
外の世界に久しぶりに意識を向けると、なんだか急にワクワクしてくるのと同時に、息子とパパと過ごしたこの20年間が一つの塊になってキラキラ輝いて見えるような気がした。
気づかないくらいにゆっくりと、1人1人が変化して、その形を変えて続いていく「家族の形」。
でも、どんなに形が変わったように見えても、ママとパパでわが子を必死に育てた日々とその中で築いてきた絆は、ずっとずっとそれぞれの根っこに残って、キラキラ輝き続ける。
それは、そのキラキラしたところにいつも戻ることができたなら、人生のほとんどのことは大丈夫だと思えるような、どんなものにも勝る強力なパワーなんだと思う。
今まで自分が過ごしてきた日々が急に誇らしくなってきて、朝ごはんを作りながら鼻歌を歌っている自分に気づいた。
息子よ、成人おめでとう。
これからもよろしくね。
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このnoteを、いとうさやかさんに贈ります。↓↓
いとうさやかさん、そして同じく子育て奮闘中のお母さんの胸にそっと届きますように。
そんな想いを込めて、小さな物語を書きました。
最後までお読みいただきありがとうございました。