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こんな薬、飲みませんか?

はっと目が覚めて時計をみると、朝の4時だった。

昨日は金曜日だったから、今日は土曜日。そして今日は仕事は休みだけれど、決して「休日」ではない。隣で6歳の娘と3歳の息子がぐっすり寝ている。その子供たちの向こう側では旦那がグウグウいびきをかいて寝ていた。家族への愛おしさが湧き上がってくるのを感じながら、ため息をつく。


「昨日の夜はごめんね」

私は心の中で子供たちにつぶやいた。

昨日は夕方6時に仕事が終わると、まずは娘の保育園にお迎えに行った。そしてその後、そこから少し離れた息子の保育園にお迎えに行った。なんだかんだで家に帰るのは7時になって、朝早起きして作り置きしておいたカレーを食卓に出した。

2人ともカレーが大好きで、いつもペロリと自分で食べてくれる。でも昨日はちがった。一口食べるやいなや、2人ともが「辛い」と言った。まちがえて「中辛」のルーを買って使ってしまったようだ。

ちゃんと確認しなかった私が悪い。2人はちっとも悪くない。

でも私は、早朝から夜ごはんを作り、そのあとすぐに朝ごはんを作って、2人を別々の保育園に送って、そのまま1日オフィスで仕事をして、また2つの保育園に迎えに行き、ごはんの準備をして食べるのを手伝って、このあと2人をお風呂に入れるのだ。それを月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日とこなしてきたのだ。そして明日からやってくる土曜日と日曜日だって、たまった家事をしたり子供の相手をしたりしていると、あっという間に終わってしまうだろう。


私はまるで心臓のように、まるで時計のように、まるで川の流れのように、自分の意志で止まることを許されない。止まることができるのは、体のために体が、私を半強制的に眠らせる時だけだ。私の体は「ちょっとだけ夜ふかしをして、少しだけでも自分の好きなことをしたい」という私の小さな願いさえ叶えてくれない。

まだ自分のことを自分でできない2人の子供たちと過ごしながら、正社員としてフルタイムで働いているのだから、当たり前かもしれない。この生活だって、ずっとは続かない。あと5年もたてば、自分の足で小学校に行って、自分の足で帰ってきてくれる日が来るのだろう。

でも今の私の毎日は、予定が少しでも予定通りにいかなかったらもう無理だというくらい、予定がつめこまれている。

今日のカレーは辛くて食べられないね。じゃあ何を食べようか。冷蔵庫みてみるね。

そう言ってあげられる余裕が、心にも体にももう残っていない。


「じゃあもう食べなくていいよ。せっかく作ったのに。」

私が悪いのに、私の口からは子供たちを責める、そんな言葉が出た。


私は、子供たちの前に置かれていたカレーのお皿を荒々しく下げて、子供たちの目の前でゴミ箱に捨てた。いつも土曜日に一週間分の買い物をするので、金曜日の夜である今日、冷蔵庫の中は空っぽに近かった。炊飯器の中に残った白ごはんをお茶碗によそって、その上にふりかけをかけて、机の上にドンっと置くと、子供たちは一言もしゃべらずそのふりかけごはんを食べ終えた。

家の中の空気が重たい。重たくしているのは私だ。大好きなカレーが食べられなかったとしても、「ごめんねー」と笑いながら子供たちにあやまって、みんなで笑いながらふりかけごはんを食べることだってできたはずなのに。2人にとっては、カレーを食べることよりもそのことの方がずっと嬉しかっただろうに。

その重たい空気のままなんとかお風呂に入り、なんとか子供たちを寝かしつけた。ホッとするのと同時にどうしようもなく涙が溢れてきたので、私はふとんにもぐって目を閉じた。


もう限界だ。
こんなはずじゃなかった。
私にどうか時間をください。
それが無理なら、
食べなくても生きられる体にしてください。
寝なくても生きられる体にしてください。
洗わなくても汚れない体にしてください。
そうすれば私は
自分のやりたいことを自由にできる時間を持てるだろうに。


そんなようなことを思いながら、いつのまにか眠ってしまっていた。


寝起きのぼんやりとした頭で、昨日のことを頭に巡らせていると、またウトウト眠くなってきた。

すると「ピンポーン」とチャイムの音がなった。こんな時間に誰だろうか。私はふらふらしながら立ち上がって、玄関に向かった。扉を開けると、そこにはスーツを着た営業マン風のさわやかな身なりの男が立っていた。

「こんな時間に申し訳ありません。お急ぎのようでしたので、お届けに参りました。」

その男はそう言って、なにやら薬のようなものを私に差し出した。

「お薬は3種類あります。このピンク色の薬を飲むと、1日分の栄養をとれるだけではなく、お腹も空きません。そしてこの黄色の薬を飲むと、睡眠を8時間とったことになります。24時間眠くならないので、いつも寝ている時間分を有効に使えます。そして最後に、この水色の薬を飲むと、お風呂に入った状態が1日続きます。したがって、着ている下着や服なども汚れにくくなるので、洗濯もたまにする程度でよいかと。お水で飲んでもらってもいいですし、ラムネのように噛んで食べてもらってもどちらでも構いません。1錠で効果は1日続きますので、ピンクと黄色と水色のお薬を、それぞれ1錠づつ毎日お飲みください。まずはお試しで5日分のお薬をお渡ししますね。奥様と旦那様とお子様お2人分の、計4名様分が入っておりますので、ぜひお試しください。」

男は一気に説明し、薬のたくさん入った袋を私に差し出した。

「では、素敵な5日間をお過ごしください。失礼します。」

男をそう言って、あっさり帰っていった。


頼んだ覚えのないその薬。でも、私は少し興奮していた。もしこの薬で、本当にそんなことが可能ならば、素晴らしすぎやしないか。日中は仕事を続け、夜は家族でゆっくり過ごしたり、自分のやりたいことをやる時間が十分にある。理想の毎日だ。

飲んでみよう。

時間に追われて追い詰められていた私は、そのあやしい薬を飲んでみることにした。まずはピンク色の薬を口に含んでガリッと噛んで飲み込んだ。甘くて、いちごのような味がした。黄色の薬はすっぱいレモンのような味がして、水色の薬はさわやかなミントのような味がした。ラムネみたいで美味しい。

「お母さん、何食べてるの?」

振り返ると、娘と息子、そして子供たちに起こされて眠そうにしている旦那が立っていた。

「ラムネ、かな?」

私がそう言うと、子供たちは「食べたい食べたい!」と言ったので、ピンクと黄色と水色の薬を一粒ずつ渡した。子供にこんなあやしい薬を飲ませてもいいのだろうかと思いながらも、私は子供たちにその薬を渡してしまった。子供たちは「おいしい!」と言ってポリポリと音を立てて、その薬を食べていた。

「何?これ?」

旦那は不思議そうに私に尋ねたので、経緯を話した。

「まじで!?すごい!俺も飲んでみたい!」

おもしろいことが大好きな旦那は、なんの躊躇もなくその薬を飲んだ。これで、家族全員がその薬を飲んだことになる。さて、今日はどんな休日になるのだろうか。


いつもなら今から朝ごはんを食べるところだけれど、薬の効果なのか私自身は全くお腹が空いていない。おそるおそる旦那と子供たちに「お腹すいてる?」と聞いてみたら、「なんかお腹いっぱい!」「いらなーい!」という言葉が返ってきた。旦那も頷いていた。

朝ごはんをみんな食べない。つまり、朝ごはんを作らなくていいということだ。私はソファにゴロンと寝転び、スマホをいじる。旦那もその隣でスマホでゲームをしている。娘はお絵かきをし始めた。息子はその横でブロックで何やら作って遊んでいる。

こんなのんびりした時間を過ごすのはどのくらいぶりだろう。私は自由に過ごす時間をむさぼるように味わった。

お昼ごはんの時間になっても家族全員のお腹はやっぱり空いていなくて、結局お昼ごはんも食べなかった。お昼すぎから4人で公園に行って遊んだあと喉が乾いて、公園のベンチでジュースを買って飲んだけれど、お腹はやっぱり空いていない。夜ごはんも同様だった。

夜になってもなんだか服がパリッとしたままで、体もなんだかさっぱりしていたので、「今日はお風呂入らなくていいよ」と子供たちに伝えると「やったー!いっぱい遊べるー!」と喜んでいた。旦那も「楽でいいな」とのんびりしている。

そして全員がちっとも眠くならなかった。私たちは結局24時間ずっと起きていて、時にそれぞれが自分の好きなことをしたり、時に一緒に遊んだり、時にテレビや映画をみたりして、自由な時間を存分に過ごした。そして朝になると、またあの薬を家族全員で飲んで、同じように1日を過ごした。

私たちは「生きるためにやらなきゃいけないこと」が全くない2日間を過ごした。食べなくてもいい、洗わなくてもいい、寝なくてもいい、そんな2日間はとにかく時間がゆっくり進んだ。時間がありあまるほどある。その時間は、時間に追われすぎる生活をしばらく続けていた私を癒してくれたのかもしれない。





ハッと気づくと朝の8時だった。隣で寝ていたはずの子供たちと旦那がいなかった。あれから4時間も、私は眠っていたのだ。

妙にリアルな夢だった。あの薬の味が口の中に残っているような気がしたし、あのお腹が空かない感覚や、ずっと体がさっぱりしている感覚や、まったく眠くならない感覚も、体に残っていた。そして2日間48時間をフルで自由に過ごした満足感も、私の心に残っていた。4時間の間に、本当に48時間をふつうに過ごしたような気がする、そんな長い長い夢だった。


起きてリビングに行くと、娘と息子がかけよってきた。

「ママ〜!お腹すいた~!」

その言葉を聞いた瞬間、私のお腹がグウと鳴ったので、子供たちはゲラゲラ笑った。

「ママ〜!お腹すいた〜!」

子供たちのマネをしながら私にかけよってくる旦那をみて、子供たちはまたゲラゲラ笑った。

「ごめんね。すぐ準備するからね。」

私はそう言って、キッチンに向かった。



トーストでパンを焼くと、香ばしい、いい匂いがただよってきた。コーヒーマシンにコーヒーの粉を入れ、水を入れ、スイッチを入れる。コポコポという音が響き、しばらくしたらコーヒーの香りが私の鼻を通る。ソーセージをフライパンで焼くジュウジュウという音。まな板の上でりんごの切るときのサクッ、トン、サクッ、トン、というリズム。トーストにバターを塗るときのザッ、ザッ、ザッ、という音。できあがった食べ物をお皿の上に乗せて、そのお皿を食卓に置くときのコトンという音。

そして私が「ごはんできたよー」というと、家族が一斉に食卓に集まり、一斉に椅子をひいて座るときのあの感じ。ツルツルした小さな手を合わせて、高い高い声で「いただきます」と言う子供たちの姿と、その声に合わせるようにして「いただきます」という旦那の低い声。


あの夢のせいで、全部がなんだか愛おしく感じた。毎日繰り返しすぎて忘れてしまっていた素敵な匂いや音や雰囲気を全部一気に思い出したような気がした。そしてなにより、空いたお腹に食べ物を入れることは幸せだった。そして、口に入れた食べ物を噛んで味わうということは、なんて楽しいことなんだろう。

ごはんを食べ終わって、片付けて、洗濯を終えたら、10時を過ぎていた。家族全員でショッピングモールに行ってブラブラしていたらお腹が空いてきたので、みんなでうどんをすすった。チュルチュルとうどんを吸い込むその感触がうれしい。だしのきいた汁を飲み干すと、お腹がほっこり温まった。

そのあと食品売り場に行って、来週1週間分の献立を頭でイメージしながら、たくさんの食材を買いこんだ。面倒だなと思いながらもなんだか楽しい。

家に帰ると夕方になっていて、子供たちと旦那がテレビを見ながらゴロゴロしている横で、私は夜ご飯の支度をした。休日は、旦那が子供たちをお風呂に入れてくれる。お風呂から響いてくる、旦那と子供たちの楽しそうな笑い声はなんて心地のいい音なんだろう。そのあと、私もお風呂に入る。体でお湯を感じることは、なんて気持ちの良いことなんだろう。そのあとやわらかいパジャマに着替える瞬間はなんて温かいのだろう。

「ごはんできたよー」というと、またみんなが集まる。「昨日はごめんね。今日はちゃんと甘いカレーだよ」と私が言うと、子供たちは「やったー!」と喜んだ。昨日の悲しい食卓を、甘いカレーと楽しいおしゃべりで上書きした。

お腹いっぱいになるとみんな眠たくなってきて、家族みんなで布団に入った。ふわふわの布団に包まれる瞬間はなんとも幸せだ。



生きることは、なんて面倒なんだろう。
やらなきゃいけないことだらけだ。

そして同時に、
なんて温かくて幸せなんだろう。

心の底からそう思った。



お腹はすぐ空くし、体は放っておけばすぐ汚れていくし、1日の少なくとも4分の1くらいは寝ないと生きていけない。

でもそのおかげで感じられる幸せがたくさんある。食べることを通して聞こえる音や、感じる匂いや味。体が汚れていくからこそ、体で感じる水の感触、水を浴びたあとの生まれ変わったような感覚。眠たいときに眠りに落ちる心地よさ。

そして、その営みに集まる家族。

同じ屋根の下で、同じものを食べて、お湯を通して繋がり、布団を並べてそれぞれの夢をみる。それはまぎれもなく「一緒に生きる」ということだ。

私と旦那と娘と息子。その4人で「一緒に生きる」ことができるのはあとどのくらいだろう。大人になるにつれて、子供たちは友達とごはんを食べたくなるだろう。お風呂には一緒に入らなくなるだろう。一緒の部屋で寝なくなるだろう。

そしていずれ子供たちも、一緒に食べたり、一緒にお風呂に入ったり、隣で眠ったりしたいくらいに、大好きな人と出会う。かつて私と旦那が「一緒に生きる」と決めたように。

2人で何か特別なことをしようと誓ったわけではない。ただ大好きで、2人で一緒に生活を営みたかっただけだった。そしてそのこと自体が「幸せ」だったということを思い出した。


すべての生きる営みをなくして、自分の好きなことのできる時間がたっぷりできたとしても。

2、3日もすれば、この面倒で止めることのできない、でも温かくて楽しいこのリズムを、刻みたくて刻みたくて仕方がなくなる。すべての人がこのリズムから逃れられないのは、このリズムが「幸せそのもの」だからなのかもしれない。そしてこのリズムを中心に人々は集い、そのリズムを共にする幸せを分かち合う。


幼い子供たちと過ごす私が、そのリズムの中で、自分のやりたいことをやる時間を十分に持てるのは、もう少し先になるだろう。それまでは、一瞬一瞬の営みがただ楽しい子供たちのそばで、一緒に生きると誓った旦那のそばで、私も目の前の「生きる」ことを楽しみ直そうか。楽しみつくそうか。自分のやりたい仕事をしたり、自分の好きなことを思う存分やることは、それからでも遅くはない。




夢の中で、もしまたあの男に会ったなら。

「お試しになられて、いかがでしたか?」とあの薬について聞かれたなら。


「サンプル、ありがとうございました。でもやっぱり、家族でカレーを食べたいし、お風呂に入りたいし、一緒に寝たいので、結構です。」

そうキッパリハッキリ伝えようと思いながら、私は家族と一緒に眠りに落ちた。



〜おわり〜
このnoteを、あずなさんに贈ります。あずなさん、楽しい時間をありがとうございました♪



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