試される想像力
3/31に「なにが起こるかわからない」と書いた自分。すでにコロナだのテレワークだの自粛だの言っていた頃のことだった。そこから緊急事態宣言で第1波を押さえ込み、今は第2波と経済維持の狭間であーだこーだ言い合うSNSを尻目に、人々は確実にwithコロナ時代への第一歩を踏み出し始めた。
ただ、地元でまたも大きな災害が起こるとは思っていなかった。熊本の県南地域を中心に起こった豪雨災害。2日に渡って大量に降り続いた雨は、市街地に程近い川をことごとく氾濫させた。1ヶ月たった今、あの濁流だった川は本来の透明度を取り戻しつつあるが、人の生活はまだまだ復旧途中だ。
こんなある種の「非常事態」の中では、色んなことが巻き起こる。豪雨直後には、サッカーチームの子どもたちのボランティアに対して安全対策の面から多数の批判が寄せられた。コロナ禍でも自粛警察が誕生し、マスク・外出等ありとあらゆる場面に批判が集まった。
1つの写真・言葉が一瞬で拡散されてしまうこの世の中で、この「批判たち」はコロナ以上の不安を呼ぶ。コロナ対策というより批判対策と言ってもいいくらいだ。
こんな世の中で、わたしが大事にしたいのは「想像力」。SNSで共有される情報はその場面の一部分でしかない。情報の背景をできるだけ想像して、なぜこういう状況なのかを考えることが何より大切だ。そうすれば、相手を少なからず配慮ができるし、より情報を得ることができる。まずはボランティアの中でも、想像力を忘れずに被災した人に寄り添った言動をしていきたい。
僕らは今、これまでの人生で培った「想像力」を試されている。それぞれが想像力を総動員して、豪雨の被災者・コロナウイルス感染者・医療従事者などの今非常事態に陥っている人たちに寄り添わなければならない。どんなことがあってもきっと、熊本県民はこの難局を乗り越えることができると信じて。