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ネジ製造の町工場から6事業を展開する企業へ。紆余曲折の創業からこれまで。

こんにちは!広報・採用担当のCuminです。

私は広報や採用担当としていろんな方に友安製作所の説明をしますが、よく「変わった会社だね」と言われます。たしかに、今の友安製作所は、インテリア用品の輸入・製造・販売を中心に、工務店、カフェ、レンタルスペース、メディア、まちづくりと、多岐にわたる事業を展開していて、何屋さん?と思われるのも当然だと想います。私も入社前はそう思っていました。
そんな友安製作所は、もともとネジを作る小さな町工場からはじまり、紆余曲折あって今の状態になっています。

そこで今回は、Boss(社長)やDon(会長)から聞いた、友安製作所の創業から今までの歴史を、まとめて紹介したいと思います。ちょっと長くなりますが、どうぞお付き合いください。

ものづくりを極めた創業期

友安製作所の創業は1948年。現社長の祖父・友安正美が、ネジを製造する町工場を立ち上げました。そして世の中が高度経済成長に入った頃、和室メインだった日本の住宅に、洋間と呼ばれる西洋風の部屋が現れ、カーテンが普及し始めます。そこで創業者がはじめたのが、カーテンフックの製造でした。

それまでの日本にカーテンフックはなかったので、ヨーロッパで技術を学び、針金をカーテンフックに加工する工作機を自身で作ったのでした。当時の時代背景もあり、この金属製のカーテンフックは飛ぶように売れたそうです。

当時の金属製カーテンフック

製造業の衰退とBossの入社

1980年代に入ると、海外からプラスチック製のカーテンフックが流入します。今皆さんのご家庭にあるカーテンフックも、プラスチック製なのではないでしょうか。
プラスチック製のカーテンフックの方が、安価で便利ということで、それまで作っていた金属製のカーテンフックの需要は激減し、売上は右肩下がりに。倒産寸前のような状態になりました。

その頃、Boss(現社長:友安啓則)は、アメリカにいました。Bossは、高校からアメリカに留学、大学院を出て、現地の商社で順風満帆に働いていました。当時、家業を継ぐことは一切考えていなかったそうです。

ところが2004年のある日、母親からある電話がかかってきます。「お父さんが倒れた」と。
お父さんというのはもちろん、当時の社長で現会長のDon(友安宏明)。(ちなみに一過性の体調不良だったので、今では毎日元気に出社しています)
Bossはこの連絡を受け、急に過去の記憶が蘇ったといいます。幼い頃、父親が社員や取引先の方に「社長」と慕われていた姿がかっこよかったこと、周りの大人たちに「跡継ぎ」と言われ、なんとなく嬉しかったこと、活気のある工場の様子…いろんな想いが相まって、Bossは父親と一緒に働きたいと、友安製作所への入社を決意し、帰国します。

幼い頃のBossとDon

第二創業のはじまり

帰国したBossが、友安製作所に入社しようとすると、Donはなんと猛反対。「こんな町工場に未来はない。なんのためにアメリカに行かせたと思ってるんや」と。
それでも食い下がるBossに、Donは仕方なく条件付きで入社を認めます。それは、新しいことを始めて、自身の給料15万円分を半年以内に稼ぎ出すこと。元手はたったの30万円。

そこでBossがはじめに考えたのが、装飾性のあるカーテンフック作りでした。針金を様々な形に曲げて、それまでになかった見せてもおしゃれなカーテンフックを考案し、様々な卸売業者に営業をかけます。ところが、どこにも全く相手にされずものづくりの難しさを目の当たりにしたそうです。

それでも、なんとかしなければという気持ちを持ち続けていたBossは、次の策を考えます。

ものづくりを諦め新規事業を模索

アメリカから帰国し、10年ぶりの日本での生活を始めていたBossは、日本とアメリカの住宅の違いに目を付けます。日本の住宅は、だいたいどこの家も同じ間取り。壁は同じような白いビニールクロスで茶色いフローリングです。あまり家に人を招くこともなく、家造りやインテリアに無頓着なように見えたそうです。一方アメリカでは、自分の趣味嗜好、ライフスタイルに合った家にカスタマイズし、インテリアにこだわり、楽しむ文化があったといいます。そこでBossは、日本でもインテリアやくらしを楽しむ文化を広めたいと考えるようになりました。

そして自社のものづくりに限界を感じていたBossは、アメリカ留学中に学んだ「ノーミドルマン戦略」を実践することに。ノーミドルマンとは、商社や卸売業者などの中間業者を省いた商流のこと。当時のインテリア業界ではご法度とされるビジネスモデルでしたが、業界外から来たBossは、海外から輸入したインテリア商材を日本で直接販売することに。

はじめに着目したのは、カーテンレール。台湾の工場を片っ端から訪問して交渉し、たった1社だけ、30万円という少ない元手から取引してくれる会社にめぐり逢い、輸入をはじめます。
このカーテンレールの特徴は2つ。一つは、装飾性があること。カーテンレールは隠すもの、という当時の常識を覆し、見せるカーテンレールという新規性がありました。もう一つは、DIYで取り付けられるということ。カーテンレールは、自分で付け替えるという概念はなく、単体での販売は難しいと思われていましたが、誰でも付けやすい仕様に改良することで、広く普及させられるようにしました。

こうして新しいカーテンレールの販売を始めると、予想以上に売れ、半年以内に15万円を稼ぎ出すというDonからの条件を3ヶ月でクリアしました。

当時から販売している装飾カーテンレール

ネット販売とリアル店舗を展開し、売ることに特化

輸入販売を始めた頃、世の中にはちょうどインターネット販売が現れます。そこに目を付けたBossは、すぐにECのモールに出店。するとここでも売上が伸び、徐々にカーテン、壁紙、床材と、商品数、商品カテゴリを増やしていきました。そして自社のオンラインストア「スタイルダート」も開設し、現在は、約4万点のインテリアやDIYアイテムを販売するまでになりました。

10年近くインターネット販売で売上を伸ばした友安製作所でしたが、ネットで買うことが当たり前の時代になると、売上の伸びが鈍化しはじめました。というのも、様々なネット販売業者が現れたことで、品質に関係なく安いものが売れていくようになったのです。

そこで、実際に商品を手に取って、品質の良さを知ってもらうために、実店舗をオープンすることに。ただし、インテリアショップとしてではなく、カフェという形態をとりました。それは、当初インテリア事業を始めたときの、インテリアを楽しむ文化を日本に広めたいという想いからでした。ただのインテリアショップでは、結局インテリアに興味のある人にしか来店してもらえません。そうではなく、まだインテリアに興味のない方もふらっと立ち寄って、少しでもインテリアのことを考えるきっかけとなる場所にするために、誰でも入りやすい、カフェにしたのです。店内はすべて自社商品でコーディネートし、テーブルや椅子、照明、壁紙、すべてに値札が付いています。
1店舗目は2014年、東京の浅草橋に。その3年後に大阪の阿倍野、4年後に福岡の博多にお店をオープンし、おかげさまで連日大盛況となっています。

友安製作所Cafe&Bar

さらに事業を多角化

インテリアやDIYアイテムの販売が中心の友安製作所でしたが、多くのお客様から「取り付けまでお願いしたい」という声をいただくようになりました。そこでお客様の手となるべく始めたのが、工務店事業。レールの取付けや壁紙の貼り替えなどをしていましたが、そのうち「友安製作所のカフェのような空間を作ってほしい」など、空間全体の提案まで依頼されることが増え、今ではフルリノベーションまで行う事業となっています。

フルリノベーション事例

そして空間づくりに携わる中で直面したのが、日本の空き家問題。スペースを有効活用できる手段の一つに、レンタルスペースがあります。そこでBossは、レンタルスペースを検索予約できる「カシカシ」というポータルサイトを立ち上げました。空いているスペースを貸したいオーナーさまと、借りたいユーザーさまがWEB上でマッチング。予約から決済まですべて「カシカシ」上で完結します。リノベーションができる工務店事業と掛け合わせて、日本の空き家問題解決の一助となるよう、特集記事の更新やSNSの発信などで、レンタルスペース利用の普及にも努めています。

また、より広くインテリアやDIYのことを知っていただくために、「トモヤスタイムズ」というWEBメディアもはじめました。こうして事業を多角的に展開することで、様々な層のお客様との接点を持つことにつながりました。

ものづくりをもう一度

新規事業を立ち上げたことで、Bossの入社時から売上は約20倍、従業員数は5人から100人超へと成長した友安製作所でしたが、お客様にはよく「何を作っているの?」と尋ねられていたそうです。たしかに、「友安製作所」という名前なのに、ほとんど何も作っておらず、会社が大きくなるに連れて、このままで良いのかという気持ちがBossの中で大きくなります。
そして、友安製作所の本当の価値とは何か、企業として次の世代につなぎたいものは何かを考えた結果、もう一度ものづくりと向き合うことを決めます。

その当時、友安製作所にあったのはまず、先代から繋いできたカーテンフックを作る技術。売上の数%ではありますが、まだ製造を続けていました。実はカーテンフックを作る工作機自体も、創業者が作ったものでした。つまり、針金を加工するだけではなく、精密な工作機をつくる金属加工の技術があったのです。
そして、長年インテリア事業を築いてきた、クリエイティビティあふれるスタッフがたくさんいました。

そこで、社内のインテリアデザイナーがデザインした家具を、カーテンフックの工作機を扱っていた職人が製作するという、完全オリジナルの家具製作をはじめました。これが、「TEKKI CRAFT」という家具ブランドです。そして新しい職人や設備、機械も加わり、再び友安製作所の製造現場は、活気にあふれています。

ものづくりのその先へ

ものづくり企業としての活気を取り戻した友安製作所ですが、まだまだここでは終わりません。ものづくりそのものの魅力を、世の中に発信すること、次の世代に伝えることが、これからの使命だと考えています。そしてこれは、1社単独でできるものではないと考えています。

友安製作所が本社・工場を置く大阪府八尾市は、ものづくりの街です。高い技術力を誇るものづくり企業がたくさんありますが、大企業の下請けが中心の企業も多く、その魅力はあまり知られていません。そして多くの企業で、将来の担い手不足が深刻化しています。

そこで、友安製作所が新たに取り組んでいるのが、まちづくり事業です。これまで友安製作所がさまざまな事業で培ってきたノウハウをかして、企業のものづくりの魅力を発信するお手伝いをしています。
例えば、一般の方に工場を開放して、工場見学やものづくり体験をしてもらうオープンファクトリーイベント「FactorISM(ファクトリズム)」のクリエイティブ監修や、新規事業、新商品開発、ブランディング、組織改革などのプロジェクト遂行支援などです。

ファクトリズムでの工場見学

地域の企業と一丸となって、ものづくりの魅力、ひいては街の魅力を世界に発信できるよう、今後もさまざまな活動を行っていきます。

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