若手弁護士のキャリア考察(統合版)
①~⑤に分けて投稿した記事ですが、読みやすいように少し編集し1つに統合しました。内容はほぼ同じとなっております。初めての方はこちらをご覧いただければと思います。
はじめに
最近、若手弁護士の方で自分自身のキャリアに迷っているという話をよく聞くので、自分が弁護士になってからどのようにキャリア形成を考えてきたか、備忘録を兼ねて記事にしてみようと思います。少しでも参考になれば幸いです。
自己紹介
まず、私の簡単な経歴ですが、現在はテレビ局でインハウスロイヤーとして勤務しています。修習を終えて法律事務所に入所し、メーカーのインハウスに転職、そして今に至るというものです。
修習期は60期台で弁護士の数が増えて、このまま周囲と同じことをやっていると埋没してしまうという漠然とした不安を抱える世代ではあったと思います。
ロースクール時代
ロースクールは京大ローに通っていました。学部では会計を専攻していたので企業法務に強い弁護士になりたいと考えていましたが、インハウスという選択はそれほど考えていなかったように記憶しています。
もっともローに入学して、四大事務所を含む大手企業法務事務所は凄まじい長時間労働が常態化していることを知り、家族との時間も大切にしたいと考えていた私は今後のキャリアについて悩むようになりました。
なお余談ですが、京大ローの同期には弁護士youtuberとして有名なベリーベストの久保田先生やLegalForce社長の角田先生等がいました。クラスが違ったので直接話したことはないのですが、従来の弁護士業とは異なる分野で活躍されていることは尊敬に値することで、陰ながら応援しています。
司法試験合格後〜最初の就職まで
司法試験合格後は、進路を限定せずにいろんな人の話を聞きました。即独、軒弁からインハウスまで様々な可能性を検討しました。
その中で一つの答えを見つけました。それは地方の法律事務所という選択でした。先輩方の話を聞く中で東京大阪等の大都市は競争が激化しており価格競争になっているが、地方都市はまだまだ余裕があると考えました。
そこで、ファーストキャリアとして、地方の地場企業や自治体等をクライアントにする事務所を選びました。ここならば家族との時間も大切にすることができ、当初から希望していた企業法務の領域でもキャリアを積めると考えたからです。
これは当時の私としては最適解であったと今でも思っています。ただ人生そう簡単にはいかないもので、結果的に1年半で転職することになるのですが…
1度目の転職へ
法律事務所での仕事は充実したものでしたが、ここで人生の転機が訪れることになります。詳細は控えますがざっくり言うと家庭の事情で地元大阪に戻らなければならないことになってしまいました。そこで、大阪周辺で仕事も探すことになりました。
弁護士としてのキャリアは1年程度、経験としては企業法務中心という中途半端な状況かつ予想外のタイミングで転職活動を行うことになりました。大阪の企業法務事務所は採用数も少なく狭き門、インハウスも大手企業しかほぼ採用は無しという状況で、正直なところ採用してくれる事務所や企業なんてあるのかと不安を感じていました。まぁ転職ダメなら軒でどこかに置いてもらって地道に頑張ろうと腹をくくってはいました。
転職活動
転職活動を始めるといっても、大阪から離れていたのであまり情報がありませんでしたので、転職エージェントというものに登録してみることにしました。すると驚くことに、想像していたより多くの企業が興味を持っているということがわかりした。この時点で法律事務所への転職よりも企業の方が需要があり、将来性があるのではないかと考えるようになりました。
これは、当時私がまだ20代と若かったこと、インハウスローヤーの人数や希望者が今ほど多くなく希少性があったこと等に起因するのだと思います。採用してもらえるのかすら心配していたので本当にタイミングが良かったのだと感じます。現在私と同じようなキャリアで同程度の求人があるのか、というのは正直わかりません。
面談のオファーをいただいた企業は関西を代表するような優良企業もかなり含まれていたので可能であれば複数話を聞きたかったのですが、関西を離れておりなかなか面談の時間を取れず、最初に面談をした大阪のメーカーの面接官(上司になる人)の印象も良かったことから内定を受諾することにしました。
大手グローバル企業の法務部とはどのような世界なのか、期待と不安を抱きながら弁護士2年目にして大阪に帰ることになったのです。
メーカーインハウスでの経験
大阪に戻り久しぶりにローカル番組を見ているとやはり自分は関西人なんだなと思いながら新しい生活が幕を開けました。
転職先では5人目のインハウスで法務部の規模としては20-30名、中には独禁法だけとか、個人情報保護法だけしか担当していない部員もいたりして、地方で企業法務をやっていた人間からすると全く未知の世界。私もメイン業務として独禁法を担当することになり、地方の事務所で独禁法なんてほとんど扱った記憶がなかったので少し面食らったのを覚えています。
また、当時かなり大型の訴訟を抱えていたため当該訴訟の管理も担当することになり、訴訟管理?という感じでしたが、要は代理人には外部の一流弁護士がついているので準備書面等は書かなくてもよく、むしろ訴訟の進行状況や見通しについて経営陣に説明する資料を作成するということでした。
一流の弁護士の書面や交渉スタイルを学べることは有益ですが一つ注意することがあります。外部の弁護士からすればインハウスは大事な顧客にあたるので丁重に扱ってもらえます。この事を忘れて自分が偉くなったと勘違いしてしまうと、その人はもう弁護士として終わりだと思います。
その他にも、契約審査、M&A、危機管理対応等、幅広く企業法務全般を担当させていただきました。
また社外ではJILA(日本組織内弁護士協会)関西支部の勉強会・懇親会等に参加し、他業種のインハウスの方とも交流し情報交換する等、充実した日々を送っていました。
2度目の転職へ
順調にインハウスとしてキャリアを積んでいると感じていたものの、転職後3年目を迎えた頃から少し物足りなさを感じるようになっていました。様々な要因があったと思いますが、やはりグローバル企業であり海外赴任等をしなければ本当に面白い仕事はできないのではないかというのも大きかったと思います。上司からも海外のロースクールに留学し現地法人に駐在してみてはどうかという打診もありましたが、家庭の事情もあり難しい状況でしたのでもどかしい気持ちでした。
JILAのキャリアセミナー
そんな折にJILA関西支部でお世話になっていたインハウス界隈では有名な先生が大阪から東京に移籍するということで送別会を兼ねてキャリアセミナー&懇親会が開催され、私も参加することになりました。
このセミナーはインハウスの方には全員聞いて欲しいなと思うくらい素晴らしい内容でしたが、特に当時の私に響いたのは希少性の話でした。この先生はまだインハウスが日本に数える程しかいない頃にインハウスとなった方で、同じ時期にインハウスになった弁護士はかなりの割合で大企業の役員等の主要なポジションに就いており、希少性というのはそれだけで価値をもつという話をされていました。
当時、インハウスも人気が上昇しており、おそらく2000人を超えた頃だったと記憶しています。もはやインハウスというだけでは希少性を持たないフェーズに入っており、何か+α差別化できるものを考えないといけないと認識する一日となりました。
そしてこの日を境に2度目の転職に向けて動き出すことになるのです。
2度目の転職活動
こうして2度目の転職に向けて動き出したわけですが、まだ30代前半だったとはいえ当時は転職35歳限界説というのが一般的であり(今はもう少し年齢が上がっている模様)、これが最後の転職になるかもしれないということで、慎重に検討を重ね自分が納得できるところに転職しようと考えました。
そこでまずは自分の価値基準を定めないといけないと思い、重視することしないことを整理することにしました。
重視したことは、①自分が面白いと思える業務であること、②キャリアとして希少価値を有することで、逆に待遇面については多少年収が下がっても許容しようという方針を立てました。
エージェントについて
前回に続きエージェントを利用しましたが、今回は情報を得たいこと、ある程度長期的なスパンでの転職活躍を考えていたので、複数のエージェントに登録しました。
結論から言うとやはりエージェントは複数会うべきです。エージェントフィーは年収の何割という計算で決まるので、基本的にとにかく年収の高い企業を紹介しようとする動機が働きます。もっとも何人か会うと年収が高くても、ここは合わないと思う等、的確なアドバイスをくれる方も中にはいます。このように転職を止めてくれる方は良いエージェントなので、定期的に連絡を取ることをオススメします。
どの業界に進むべきか?
友人知人等の話も参考にしつつ、エージェントに自分の希望を伝えたところ、やはりIT企業(ヤフー、LINE等)やFinTech企業(メルペイ等)を紹介されることが多かったと記憶しています。今であれば、メタバースやNFT関連企業がこれにあたるのかもしれません。
確かに市場の将来性は間違いなく、専門的なスキルも身につく企業ではあったと思いますが、全て東京の企業であり勤務地の制約が問題となりました。やはり勤務地が関西となるとメーカーが中心となってしまう現実がありました。
なかなか関西でこれはと思う転職先は見当たらず、流石に今回は長期戦になるかなと思っていたところ一通のメールが届きました…
そしてテレビの世界へ
メールの送り主は在阪テレビ局で弁護士を募集しているというものでした。関西でメディア系の求人は珍しいこと、昔からテレビが好きで、特に子供の頃から好きだったアニメを制作している局だったこともあり、これは面白そうだなと感じました。また日弁連のサイトで検索してみたところ民放テレビ局で働く弁護士は関西で2人しかおらず、東京を含め全国で10名もいないという状況でした。これは転職の際に重視した①面白いと感じる業務②キャリアの希少性というものをみたすものだと感じ、この求人に応募することを決めました。
なお、テレビ局への転職について信頼できるエージェントに話したところ、あまりオススメはしないという回答でした。当時はyoutube等の動画配信が台頭し、いよいよテレビが斜陽産業となっていくと言われていた頃で、そのアドバイスは間違いはなかったと思います。
確かに、エージェントが薦めるFinTechやIT等は右肩上がりの業界ですが、そこを目指して大手事務所を含む多くの弁護士がしのぎを削っており、競争が激化することは避けられないと感じました。私は希少性というものがいずれ武器になると考えていました。
そして幸運にも内定をいただき、メーカーからテレビ局に転職することが決まりました。
新たな出会い
【令和】という元号が発表された日、テレビ局に入社しました。入社後2ヶ月間は、一回り近く年の離れた新入社員と一緒に中途採用組も研修を受けることになりました。年の離れた同期と仲良くなれるのか心配でしたが、ちょうど入社直後に選挙があり深夜2時頃まで一緒に開票所で取材のお手伝いをしたり、何年ぶりかわからない程久しぶりにカラオケでオールしたりで、結構打ち解けられたかなと思っています(なお最近Twitterでそれは年下側が気を遣っているだけだという投稿をみました)。
研修の2ヶ月間は、報道、制作、営業等のOJTを含め様々な経験をさせてもらい、司法修習の実務修習のようで非常に楽しかったです。中途採用でここまで研修に時間を割いてくれる企業は珍しいのではないかと思いますが、法務知財部に配属された後も他の部署に話しやすい同期がいることは、仕事をする上で非常に有難かったです。
また、愛社精神を育むという意味でも効果があったのかなと感じました。前職では中途採用組は初日に事務的な業務説明を受けて、2日目から法務部で普通に仕事をしていたので他部署に知り合いもおらず、結果的に【助っ人外国人】のような状態になっていた気がします。
テレビ局での業務
研修を終え法務知財部での業務を開始しました。テレビ業界に興味はあったものの知財関連は全くの素人だったため、必死で著作権法の書籍や会社に残された過去のセミナーの資料等を読み漁りました。契約審査についても、番組制作契約や映画の製作委員会への出資契約等、メーカー時代には扱わなかった契約類型も多く興味深いものでした。また、オブザーバー的に番組の監修にも携わることもでき、充実した1年目を過ごしていました。
ところがここで大きな転機が訪れます。そう新型コロナの発生です。法務知財部等の管理部門は可能な限り出社を控えテレワークということになり、週1.2回の出社という時期が続きました。世間でも巣篭もり需要ということで、Netflix等の配信事業者がますます勢いを増し、いよいよテレビは終わるのでは…という危機感をもつ者も増えていたように感じます。
その大きな流れの中で、法務知財部は同時配信を含めた配信事業やその他の二次利用ビジネスを支える重要な役割を果たすことになります。今後も予想される著作権法改正や著作権の集中管理制度に対しては、動向を把握して必要ことはパブコメで意見する等の対応が求められています。テレビ局はコンテンツの権利者でもあり、利用者でもあることから、ますます法務知財の重要性は高まることが予想されます。
今後のキャリア
さて、ここからは将来の話です。テレビ局での経験がどのように活かせるのか私なりに考えてみました。
まず、テレビはネットに抜かれて斜陽化したと巷では言われています。確かにそうかもしれません。しかし、テレビ局も同時配信や配信オリジナルコンテンツ等に力を入れており、将来的には放送と配信はボーダーレス化していくのではないかと感じています。さらに、テレビ局が有する過去のコンテンツの価値というのは侮れないと思います。過去のアニメやドラマは上手に二次利用すればまだまだ収益を生みますし、ここにNFTやメタバース等の技術を組み合わせれば新たなビジネスが生まれるかもしれません。
また、ネットの力が強まれば放送に準じた規制が必要だという声が高まることが予想されます。それが法規制なのか自主規制なのかはわかりませんが、放送番組のコンプライアンス基準の知見がネット配信でも必要となる可能性はあると思います。
実際、世界的な配信事業者やコンテンツメーカーから転職の話をされたこともあり(なお現状転職の予定はありません)、自分のキャリア選択は今のところ間違っていなかったのかなと感じています。10年後、20年後どうなっているかはわかりませんが…
終わりに
ロースクール時代からの友人に、テレビ局のインハウスに転職すると伝えた時、「ほんまコロコロやりたい事変わるな」と言われたことがありました。確かに、子供の頃からなりたいと思い続けて今もその仕事を続けている人は凄いと思います。もっとも、Mr.ChildrenのAnyという歌に以下のような歌詞があります。
「今僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない いつも答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像にほら
また12色の心で 好きな背景を書きたして行く」
修習生や弁護士3年目まであたりは自分自身のキャリアに迷うことが多いのではないかと感じ、少しでも参考になればと自分のキャリアについて書いてみました。
私もそうでしたが、様々な制約で当初思い描いていたキャリアが叶わなかったとしても、その都度好きな背景を書き足して自分なりの答えを導けばいいのです。私もまだまだ自分自身の自画像を汚していこうと思っています。
当初の想定より長くなってしまいましたが、これで完結とします。少しでも参考になれば幸いです。