「マジ革命」という歌とモメンタムへの道筋
薩摩会議2023でたくさんのインプットをしながら考えていたことを備忘録的に整理をしていきたい。文責は成田なので、誤植や勘違いあればこちらに。
ぼくが最終的に行き着いてきたまとめはこんな感じになりそう。
ぼくたちが生を授かり、死を臨みながら、何を全うしていくか。
薩摩会議ということで明治維新の話も引き合いに出る中で、
どういう風に人生を生きていくかについて考える機会を多くいただきました。
◼️前提:最小限の必然性と最大限の偶発性
大室先生からのコメントであった、こちらの言葉がこれからの中での前提になる。つまり、ゴールや目標を定めてバックキャスティングにいくには、そんな管理できるコントローラブルな世の中ではすでにない。むしろ、最小限のことだけ決めて設定して、残りは最大限偶発性をセレンディピティに身を委ねることが大事。
◼️新たなビジョン
その上で、木戸さんから指摘されたのが、みんなが考える「新たなビジョン」はなにか。
幕末に「尊王攘夷」を唱えるムードのなか、当時の「外国」と接して攘夷の難しさを感じ、新たなビジョンとして「尊王倒幕」にシフトした藩が二つあり、それが薩摩藩であり長州藩。薩摩藩は生麦事件を端にした薩英戦争で、長州藩は下関戦争で、攘夷が不可能であることが身体性を持って知ることにより、新たなビジョンを薩長という和解し難い関係の中でも共有し、明治維新に繋がっていった。
翻ると、今の時代の「新たなビジョン」がなんなのだろうか。
今までの、「軍事力」(軍事大国)・「経済力」(経済大国)を経てきた中で資本主義を過度にまで追求したり、核兵器や近代兵器を持つことが20世紀ビジョンであったかもしれないなかで、その限界も一部に表出しているときに、木戸さんからのアドバイスで「生命力」と示唆いただく。
ここに、「文明」のセッションでの山極先生の言葉も交差する。
山極先生がゴリラやサルの研究を深めることでの示唆や、屋久島での取り組みから見える、人間と動物の関係についても、この新たなビジョンを育むための重要なエッセンスのように思えた。家で好きな本読んだら、山極先生の推薦だった。笑
ビジョンではないけど、動物について2年前にまとめた記事があった。笑
◼️個人の逸脱・変容・脱藩
そんな大きなビジョンもありながらも、一方で個人としての変容が必要。ご多分に漏れず、動き出した人たちは何かしらの深い変容を行う。旅をして常識を壊したり、内省を深めたり、会社を辞めて独立したり、起業してチャレンジする。
様々あるが、幕末でいうと、脱藩は死罪。当時の坂本さんはそれくらいの覚悟だっただろうし、吉田松陰さんも外国船に飛び乗るし、西郷隆盛さんにも武士としての変容があったという。
そこにある、虚無感・違和感・危機感を、身体性をもって感じ、深い理解のもとに真っ当な感性を大事にする。
そうして、エンパワーメントされた一人一人が「個」として行動し出すことが重要。
◼️共有と蓄積
そうして、圧倒的な「個」が各地に生まれ、蠢き出す。その一つ一つの「個」を繋ぎネットワーク化し、「点」を「線」に「面」に「立体的」にする。
社交しながら人間関係もHOWのナレッジも共有し、蓄積していく動きが必要。恭平さんがSELFを立ち上げた時に使われる、オットー・シャーマーの共感知の言葉にも繋がる。
まさにぼくらの北海道のえぞ財団の取り組みもそうなっていくし、全国各地を繋ぐL47の取り組みもそのつもりです。リリースさんのCBCもそうですし。
緩やかなDAOと確固たる個からのエンタングルメントで、結果として、それが「文化」に繋がる。
◼️外圧
そして、そうした新たなビジョン生成や、個の変容にも影響する、どうしようもない現実。黒船。
現代の黒船はなんだろう。
身から出た錆な人新生、人類のインパクトがリニアにリアクションとして返ってきて、苦しむのか。
宇宙人がやってきたら、世界中がタッグ組んで変わるのか。
内発的に気づけるのか、気づく必要があるのか。
ここはまだ良くわからない。わからないけど、衝動的に動き出している人たちが、緩やかに繋がり、切磋琢磨し、未来を創っていけば、何かの希望になると信じて今日も動き出す。
◼️まとめ
こういう流れを汲みながら、ぼく個人としてできること、みんなと繋がってやりたいこと、そうして世界に世の中に社会にインパクトを与えること。
ひまさんにもアドバイスもらって、「革命」というストロングワードがあるけど、それは結果で、そして相手を倒すのではなく、止揚、アウフヘーベン。それがマドラーなのかなと。
そしてしんぺいくんや山極先生にもアドバイスをもらった、「マジ革命」という歌を歌いながら、ぼくの人生踊り続けて、諸行無常、次なる時代へと続いていく。