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「部屋と催涙弾と私」ミャンマー非日常日記No.1

3月15日(月)

最近は朝起きるのが遅くなってしまっている。
そもそも寝る時間も遅い。
避難生活を始めてからしばらくは朝方の生活が出来ていてんだけど、なんでだろう。

夜中に寝たのが多分3時過ぎ。
特にそこまで夜更かしをしたい訳ではないんだけど、先週くらいに夜ヤンゴン市内で軍隊が夜の街に展開するという作戦を行うようになったことによって夜の緊張感はどうしても漂ってしまう。

夜間の軍展開作戦はヤンゴンのどこで行われるかは勿論わからない。
現在の避難してきている地域の近くで行われた事は今のところない。

だけど、
毎晩かならずどこかで行われるその作戦に、ヤンゴンの人々は抗議のデモ集会を行う。
それから毎晩だ。

現在は20時以降は夜間外出禁止令が出ている。
ただの禁止令ではない。
その時間帯に出歩いている人間には発砲して良いと言う指令書まで出ているらしい。

そんなとんでもない状況なのである。
にもかかわらず夜の20時以降、毎晩のように現在の避難先の近所の人々はデモ集会を行う。
その作戦が行われた最初の日。

夜間作戦を行っていた一部なのか、どこからデモを止める為に来たのか。
どちらにしろ近所のデモ集会をやめさせるために近くに警官隊か、治安部隊か、軍隊かわからないがとにかく武装勢力が来た。

そして催涙弾か、閃光発音筒か知らんがとにかく数発の発砲音がして辺りは静まり返った。
家の外を覗いてみると、いつもは近所の子供も遊んでいたりするんだが、真っ暗である。
全ての電気を消している。

これが武装勢力が攻めて来た時のマニュアルなのだろう。
慌てて私も同じように全ての電気を消す。
よく見るとたまに蛍の様にチラチラと灯りが観える。

自警団の人々がスマホの灯りを頼りに動いているようだ。
そのまま私もいざという時の用意を色々しながら息を潜めていた。
時間にすると2時間程だろうか。

何となく近所から物凄い緊張感というのが薄れたのは感じたが、とは言えすぐ寝れるかというとそんな事はない。
その日は何度も外の様子を伺いならが遅い時間まで眠れなかった。

近所の人が毎晩声を上げてデモをするのだって命懸けなのである。

これが先週の夜起こった事である。
それから毎晩夜にデモをやっている声が聞こえる。
あの時のような緊張感はそれ以来感じてはいないが、実際ヤンゴンのどこかで軍が展開しているのは間違いなく、そのことの抗議の意味で普段はやらない夜のデモ集会を毎晩やっているのだ。

しかも出歩けば実弾で撃たれてもおかしくない夜間外出禁止令の中である。
何ともハードなヤンゴン生活である。

そんな今日の一日は10年に一度のパスポート更新がこんな時にという話と、久しぶりに催涙弾が撃ち込まれた我が家に行ってみたという二本立てです。
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