三度目の2月28日【第67回:ミャンマー言いたい砲台ラヂオ放送後記】
皆さんこんばんは。
メンタルブロックが外れて高い声が出たぜ!
っと喜んだのもつかのま、この間朝目覚めたらプチギックリ腰になってしまい。
腰痛の痛みはブロックしたいと思っている今日この頃です。
因みにシップを貼りつつ筋トレはしっかりやりました。
さて、トップの画像でもある通り、フラワー&バナナは大好評継続中です。
「良い事してんじゃん♪」
と面白がっていただけたら是非参加していただけたらと思います。
さて、前回の放送では3回目の2月28日について話しました。
アーカイブを聴きながら読んでいただければと思います。
2月の1ヶ月は2年前と同じように、毎日当時住んでいた家の窓から見える様子をTwitterにアップしつづけました。
因みに本日このシリーズが完結しました。
またnoteにまとめようかと思います。
間違いなく私の人生の中で最も衝撃的な出来事でした。
今、冷静に振り返れば生命の危険というのはほぼ無かった事なのかな?
位には思いますが
※ですが室内での催涙弾というのは死亡事例は存在します。
当時は本当に何が起こるかわからなかった状況です。
因みにこの事件の2日前に北角さんが取材中拘束されるという事件もありました(一度目の拘束事件です)
私は一緒に映画を作った仲間でもありますし、
「そのうち君も調べられるんじゃない?」
とは当時冗談交じりで何人にも言われました。
当時のリアルな状況はこちらに詳しく書いています。
これは沢山の方に読んでもらうことができ、後にワールドボイスで連載をするキッカケになったり、様々なメディアで取り上げてもらえるキッカケになったりもしました。
クーデターが始まった直後、私個人としては大人しくしていようと思いました。
正しく言うと自分がしゃしゃり出るのはおこがましいと思っていました。
たまたまミャンマーに残っている日本人というだけで知ったような顔であれやこれやと語るのは違うと思いましたし、何よりそういう人が出てくると思っていたのでその人たちと同類と思われるのが嫌だったのだろうと思います。
勿論自分の知り合いのミャンマー人にどんな被害が起こるかも予測しきれなかったというのはあります。
そういった考えもあり、クーデターが起こった直後の取材依頼などは断っていました。
しかし、ミャンマーに対しての想い、そして一言、言ってやりたい怒りは日に日に募っていたのだと思います。
ひっそり行動を続けていた自分ではありますが、この事件をきっかけに、もう黙っているのはやめにしました(多分それなりに黙ってませんでしたが)
それからは皆さんがご存じの通りの新町智哉がずっと吠えております。
吠えているとは敢えて言っていますが、皆さんも薄々気付いている通り、私はそんな大した事は言ってません。
おかしい事はおかしい
自分が言い続けているのはシンプルにそういう事なんだと思います。
間違った時は素直にさっさと認めて(これは中々難しいですが)
次に進んでいこうと思います。
とにかく黙らずにこれからも言いたい放題していきますので、是非皆さんもこの砲台に乗っかっていただければと思います。
それではまた来週。
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ミャンマー言いたい砲台ラヂオ【ヤンゴン放送局】
毎週水曜21:00(ミャンマー時間18:30)から定期配信中。
ミャンタメPと外大院生が、現地の情報やミャンマー関連の時事ニュース、ミャンマーへの想いなど、言いたい放題な放送を行っています。
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