2021年2月1日:ミャンマーのヤンゴンで感じたこと
ミャンマー激震中です。
忘れもしない2014年7月19日。
何も知らずその日からミャンマーに住み始めた私ですが、その日はミャンマー建国の英雄と言われているボージョー・アウンサン将軍の命日で祝日になっていました。
あれから6年半、まさか自分の住んでいる国が、アメリカ、そして日本からもクーデター認定されるような事になるとは思ってもいませんでした。
恣意的な事、主観が大きく入るような事は出来るだけ言わないでおきたいと思っています。
それはそれでまた別の場所ではやるかもしれませんが、ここでは控えます。
まさにこの2月1日の前日に仲間内で、今流行りのClubhouseを始める事になり、結果今も情報収集や発信に凄く使わせてもらっています。
そんな中noteの中の方にアドバイスいただける機会があったので今日はそれに沿って記事を書いていきたいと思います。
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それではようやく本題です。
前日、というよりこの5時間前まで私はClubhouseで仲間とバカ話をしていたのです。
で、朝起きたらクーデター?
もう訳がわからなくてとりあえず街の様子を捉えておこうと思いスマホのカメラを回しました。
ネットが繋がらない、繋がっていたとしてもいつ切れるかわからない。
そんな意味のわからない情報が飛び交っている中での事でした。
街はいつもと変わらぬように私の目には映りました。
そこから少し時間が経って、少し現状が飲みこめては来たのですが、相変わらず頭の中と心の乖離が止まらないような状態でとりあえずまたカメラを回しました。
今本当にそんな凄い事が自分が住んでいる国で起こっているのか?
各所からの連絡は止まりません。
インターネットは朝一時的に携帯では止まったのですが、私の家のWi-Fiはずっと使える状態で、この時には携帯のデータ通信も回復していました。
そんな時に14時でインターネットが切れるという情報が入りました。
これは正直本当にヤバイと思いました。
この状況でインターネットが切れてしまうとまさに独りキリで何もできないというような状況になってしまいます。
結果現在に至るまで何のかんのでネットを含めた回線などは何とか繋がっています。
今後はまたどうなるかはわからない状態です。
とにかく何が起こっているのかの状況もわかったようなわからなかったような状況のまま夜を迎えます。
そして更に時間は過ぎたころ異変に気付きます、そこまで遅くない時間なのに外に人気が無くなっていました。
どうやら20時以降外出が禁止になったという情報が入りました。
出歩いていると拘束されるというような風にも聞いたのでとにもかくにも家から出ないようにします。
これが定点で一日動画や写真を撮っていた時の心情も含めた様子です。
心配されることは沢山あり毎日色んな人と連絡を取り合っています。
今はただ平穏な日々が戻ってくるのを願って、静かに毎日を過ごしているところです。
今後こちらのnoteでも何がしかの発信をしていこうかと思います。
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