広島一人旅で平和への思いを新たにしたのです。
年末までに、学会や施設の見学会へ現地参加するため、いくつか国内出張が入った。鳥取県と鹿児島県にそれぞれ行く予定だ。特に、私にとって九州は初上陸になるから、今から楽しみだ。
これまでの学生生活において、旅行として遠出をしたことはいくつかあるのだが、高校生のときの修学旅行で沖縄に行ったのを除くと、一番遠かったのは広島県だった。
広島県に行ったのは、私が学部4年生として研究室配属される直前の2月である。その数日前に友人とたわいもない話をしているとき、明日から明後日の夕方まで空いていることを思い出して、不意に一人旅に行こうと思い立って、弾丸で行くことにしたのだ。
なぜ広島にしたのかというと、これから研究室に入って科学技術者として生きていくであろう人間であるにもかかわらず、人間の科学技術の粋を集めた結果として生み出されたとんでもない惨禍を、変わらぬ形として残してくれている「原爆ドーム」を、未だ肉眼で見たことが無かったからである。
今振り返って思い出したのだが、その当時、せっかく行くのだから旅行記でも書いてみようか、と思って、出発前と旅行中にいろいろとメモを残しておいたのだが、結局それが文章化されることは無かった。きちんと文章化しておけばよかったなぁ、もったいなかったなぁ、と思う。
ただ、その旅行時のメモは今でも見られるように保存してあって、原爆ドームや平和祈念資料館に行って何を考えたか、ということが書き記してある。
旅行記を書くつもりでその前書きだけはある程度の文章として綴ってあったので、当時学部3年生だった私が書いた当時の心境をここに引用してみる。
これを書いたのは今から6年前だが、昨今の情勢を見ると、あの恐ろしい核兵器が再び用いられようとする不穏な動きを感じざるを得ない。
戦争という、人類の生存や一人一人の個人の生活基盤を根本から揺るがしかねない事象が、一体なぜ起きてしまうのか?
誰の幸せにもならないことが、当然のように行われている事実をどう受け止めれば良いのか?
私にはまだわからない。