6/28火:26歳の若造には素敵な言葉たちを。
今日、先日言った自己分析の内容のゼミ発表をしてきた。
自分がこの研究室に入ってからの5年間、何をして、何を考えて、何を獲得してきたか。そして今、自分自身が昔から考えていた疑問に照らして、今何を考えているか。それを踏まえて、今後何をどのようにやっていこうと考えているか。
これらの過去・現在・未来について、自分なりの整理を話してみた。
先生方は一体どんな反応をされるだろうか、と少し楽しみにしていた自分がいて、発表直後に各先生からコメントを頂いた。
准教授は、「相談されたときに言ったことが全てだ。頑張ってやりなさい」と言った。
ある先生は、「真面目なんですね。僕が博士に進んだときはもっとモラトリアムみたいな感じだったなぁ。やりたいことをやるのは素晴らしいことだ。ただし、もしやるなら徹底的にやった方がいい」と言った。
ある先生は、「まだまだ若いのだから、もっと視野を広げなさい。若手の先生たちにもよく言っているが、海外留学なども考えていいはずだ。この博士課程で学んでいるのは1つの思考法に過ぎない」と言った。
ある先生は、「年齢や環境、組織の中での役割によっては、今後やりたい研究ができない期間が出てくる可能性がある。そういう時期も見極めて、自分のやりたい研究をいつどのタイミングでやるか、ということも大事な観点だ」と言った。
ある先生は、「ゼミでこういう発表をしようという発想が素晴らしいと思い、おもしろく聞かせてもらった。博士を与えられるべき人というのは、単に研究力があるということではなくて、自分なりの哲学を持っている人なのだろうと思う。自分のやっていることの意味や社会との繋がりを考えていることが素晴らしいことだ」と言った。
そして研究室のボスの教授は、「自己分析をして、それを人に話すということは、勇気と覚悟が無ければできないものだ。そこについて敬意を表す」と言った。
ほとんどが50歳以上の人生の大先輩たちだが、どの言葉も、26歳の若造にとってはありがたい言葉たちだ。
今回の発表の結論を正直に言えば、特に何か強烈にやりたいことがあるわけではなく、自分自身の能力を高めるために今の研究し、学位を取ろうとしている、というものだったのだが、それを分かった上で、さらに素敵な言葉をかけてくださった。
この環境にいられること自体が幸せなことなのだが、自分のさらなる成長を目指したり、可能性を拓くためには、この環境に留まっているだけではダメだというのは察しがついている。
もうここを卒業して、また新しい学びを得るための新しい場所を自ら探しに行かなければならないのである。