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6/12日:コミュニケーションの齟齬には信頼関係の構築を。
人間どうしのコミュニケーションは、うまくいかないことがしばしばである。そして、その原因も多様である。
自分自身の主張を相手が理解できない、理解してくれない、理解しようともしてくれない可能性。
相手の主張を自分自身が理解できない、理解しようと思えない可能性。
お互いが気を遣い合って、本当に思っていることを交換できていない可能性。
お互いがそもそも何を言っても無駄だと思ってしまっている可能性。
お互いの主張はそれぞれ論理的に筋が通っているとしても、論理の出発点たる大元の前提条件が異なる場合はそれぞれ全く異なる結論が得られ、それがぶつかる可能性。
また、このような意味内容に関わる原因だけでなく、方法論に関わる原因もあるはずである。直接話す場合や、文章を交換する場合など、どのような方法でコミュニケーションを取るかによってもお互いの理解度が変わってくるだろう。
そういったコミュニケーションに関する課題において重要なことは、そういった困難を承知でも、コミュニケーションを諦めないということだ。言い方を変えれば、「向き合う」ことをやめないということだ。
お互いが理解し合えていないという事実が目の前にある場合、それに蓋をしたり、避けたり、無視したりすることは簡単で楽なことである。そうすることで、その事実について考えなくて済むからである。
しかし、その事実が何かの課題を生んでいるとき、そこに向き合うことなしには課題解決はあり得ない。こうした「向き合う」意識を持つことこそが、コミュニケーションにおいて重要である。
しかし私は、本来のコミュニケーションの目的とは、決してこういった課題解決だけに主眼が置かれたものでは無いと思う。
私の思うコミュニケーションの目的とは、「信頼関係の構築」である。
どんなにコミュニケーションを重ねたとしても、お互いに譲れない部分があったり、イデオロギーが異なっている場合は、お互いの主張する内容に共感することはできないだろう。しかし、コミュニケーションを重ねることで、たとえその考えに共感はできなくても、「この人はこういう考えや思考法を持つ人なのだ」ということを理解することはできるはずなのだ。そして、そのお互いに対する理解を重ねることが、徐々にお互いの信頼関係を構築していくのである。
このように相手に向き合い、コミュニケーションを諦めないことは、本当に骨の折れる所業だ。しかし、そうして向き合ってくれる相手がいるということそれ自体は、幸せなことだ。それは、自分自身と一定の関係を築きたい、維持したいと思ってくれていることの表れだからである。
人間は、人間コミュニティの中で生きる社会的な動物であるからこそ、こういったコミュケーションを大事にしていかなければならないのだろう。
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