春ねむりと修羅
先日(2023年1月10日)、春ねむりのバースデイライブをストリーミングで見た。春ねむりを知ったのは4年ほど前、2018年のアルバム『春と修羅』のリリースに関する記事だったと思う。
具体的にどんな経緯でどんな記事を読んだのかまで覚えてはいないのだが、もしかしたら、宮沢賢治について語っている、この記事だったのかもしれない。
言わずもがなだが、『春と修羅』は、賢治が大正13年(1924年)に自費出版した生前唯一の詩集の題名でもある。
2018 年の『春と修羅』
件のライブは、春ねむりの28歳の誕生日のライブとのことだった〈*1;記事本文後に補足あり、以下同様〉。セットリストは、昨年リリースされた『春火燎原』からではなく『春と修羅』の収録曲を中心としたものだった。賢治が詩集『春と修羅』を出版したのも28歳になる年だったようだが、そのことと関係があったのかどうかは知らない。
春ねむりのやっている音楽は、ジャンルとしては一般にポエトリーラップと言われる。そして、彼女のつくるトラックは、ハードコアパンクと呼ばれる激しい(烈しい)ロックミュージックのフォーマットを使ったものが多い〈*2〉。
先日のストリーミングのライブは60分程度だっただろうか。ラストの曲は、同アルバムから「ロックンロールは死なない(バンド・バージョン)」だった。曲前のMCでは(おそらく年末の紅白歌合戦に出場した50~60代の複数の演者を念頭に)、
「上の世代の方が、ロックンロールを終わらせたがってる気配、すげえ感じるんですけど。」
と自らの怒りを表明し、その上で、
「(自分は)やってっけど。ロック。」
と啖呵をきった。
そして、曲の終わりには、
「ロックンロールは死なないんだよ、くそが。」
と言い放った。これは、今だからこその春ねむりのステートメント(宣言)だったのだと、私は感じた。
私も春ねむりから怒りの矢を放たれた側の年代の一人ではあるのだが、あの紅白のステージの上の、彼女が念頭に置いたであろうミュージシャン達のアティテュードには正直なところロックもロールも感じることは出来ずに鼻白んでいた。彼女のように強い怒りまでを抱いたわけではなかったものの、その心情に共鳴するところは大きい。
このバースデイライブでの、ハードコアなトラック、激しい身体表現〈*3〉とスクリーム(叫び)は、この最後のステートメントのためにあったようにさえ思えた。
以前のインタビューで春ねむりは、
「この世はクソ」
「マジで怒ってるんだっていうのをわかってほしい」
と語っているのだが、彼女の表現の根底には「怒り」があり、それゆえのアルバム『春と修羅』であり、このスタイルは必然なのだということが、強く伝わるライブだった。
1924年の『春と修羅』
さて、もう一方の『春と修羅』を著した宮沢賢治は広く知られている詩人であり童話作家であるが、作品としてよく知られているのは、詩よりも童話の方だろうか。「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」などは、(たとえ読んだことが無くても)どのようなお話なのかを知っている方も多いだろう。
例外的に童話作品以上に知られているのは、「雨ニモマケズ〈*4〉」であろうが、あれは賢治の死後に発見された手帳に記されていた「メモ」であり、賢治が「詩」として書いたものなのかどうかは定かではない。(賢治の研究者の間でも、技巧的な意味ですぐれた詩とは見なされていないようだ)
さて、ここで一応明かしておくが、私は賢治の詩の熱心な読者ではない。近現代詩(中でも特に戦後詩)の領域で好きな詩人は幾人もいるのだが、「好きな詩人を5人選べ」と言われても賢治はそこから漏れる。「好きな詩を10編選べ」と言われても、賢治の詩はそこには入らない。
とはいえ、それは賢治の詩業を軽んじているわけではもちろんなく、単なる嗜好性の問題である。ロックミュージックのファンが「ビートルズよりもヴェルヴェット・アンダーグラウンドの方が好きだ」と言っているからといって、決してビートルズを軽んじているわけではないのと同じである。
ところで、日本の(広義の)ポップミュージックにおいて、何らかの形で賢治の作品へのオマージュを捧げる人は多い〈*5〉。例えば、峯田和伸(1977-)は、「銀河鉄道の夜」という楽曲を自らのバンドで演奏し続けている。(春ねむりにも賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュを表したと思しき楽曲があるのだが、それについては後で触れる)
賢治は、詩人、童話作家、宗教家、科学者、今でいう社会活動家(あるいはアクティビスト)と、多面的な顔を持つ人物であったが、クラシック音楽の熱心な愛好家でもあった。自らチェロを演奏していたこと、数は少ないが自作曲を発表していることもよく知られている。しかし文学作品とのつながりにおいては、詩集『春と修羅』の創作の契機がベートーベンの「運命」を聴いたことだったらしいことの方に、おそらく大きな意味がある。
そうした背景があるからなのか、賢治の文学世界から「音楽」を聴きとる人は多い。ドイツ文学者の高橋英夫(1930-2019)は、著書の中で賢治の詩について触れ、「この詩は結局音楽なんだなという直観に何回も襲われ」たと書いている。少し長くなるが引用する。
異なる位相にある「概念や知識」「絵画的なイメージ」「言語的な映像」が交錯し、詩行の間からこぼれだすように音楽が聞こえはじめる、と語る高橋の表現自体が充分に詩的であるが、このテクストを読んだうえで改めて賢治の詩を読むと、なるほどそういうことかと納得するところが大きい。
また、孫引きになるが、賢治を世に知らしめた詩人である草野心平(1903-1988)も、賢治の詩を「シムフォニー的である」としている。
そして、日本の「現代詩の母」とも呼ばれる詩人永瀬清子(1906-1995)は、賢治を「詩を必ずリズムとして心に想起した人」と評している。
もう一つ、これも孫引きになるのだが、詩人の菅谷規矩雄(1936-1989)は、賢治の詩のリズムを「十五音構成」「南無妙法蓮華経」「シンコペーション」にあるとしている。
賢治の詩が「音楽的である」ことについては、すでに多くの研究者や詩人が述べていることではあろうが、その中でも「春と修羅」という詩が「音楽」にとても近いということは、1924年と2018年の二つの『春と修羅』を語る際に、改めて強調しておいてもよいかもしれない。
ただし一応触れておくならば、春ねむりは、冒頭にリンクしたインタビュー中では、賢治の『春と修羅』を好む理由として、そこに表された「怒り」への共感を理由としてあげており、その詩の「音楽性・音響性」については、特に触れていない。
とはいえ彼女のようなタイプのミュージシャンが、賢治の詩の音韻的な魅力や言葉の音楽性・音響性に無自覚であることは考えにくく、(ひょっとすると無意識裡だっだとしても)それが、春ねむりを宮沢賢治に近づけた原因の一つであることは、おそらく間違ってはいないだろう。
交差する二つの『春と修羅』
春ねむりの楽曲「春と修羅」には、宮沢賢治の詩集『春と修羅』からの引用がある〈*6〉。自らの書いたリリックに、詩の朗読がインサートされる。やや薄く流れるギターのピックスクラッチ音、ベース音とバスドラムのビートにかぶせて朗読されるのは、「わたくしといふ現象は」で始まる賢治の『春と修羅』から「序」の冒頭部分である。
そして、「序」を読む音声が消えた後、無音の中で、詩「春と修羅」からの次の一節が朗読される。
「修羅」とは、仏教用語における「鬼神・争いの神」であり、「争い」そのものの意味で使われることもある。「おれはひとりの修羅なのだ」は、鬱屈した賢治の怒りと憂いの凝縮された、今でいう(俗にいう)「パンチライン」と言ってもよいかもしれない。
ちなみに、この詩について、私の手元にあった「宮沢賢治詩集」の解説文では、「よごれた俗世間に向かい昂然と怒りの肩を張る、 そんな青年の純真さ」との読みを提示している。私自身はこれを「クソな世界に中指を立てるティーン・スピリット」と訳してみたい衝動に駆られるが、これ自体がもう既に2020年代においては機能しない「古い現代語訳」になっているのかもしれない。
なお、アルバム『春と修羅』では、4曲目に楽曲「春と修羅」が置かれ、次の短い5曲目(SEとピアノのインスト)を挟んで、6曲目の「ロストプラネット」へ続く。この「ロストプラネット」は、上述した賢治の童話「銀河鉄道の夜」へのオマージュを捧げた作品だろうと、私は受け取っている。
リリックは、「ぼくら」を主語として「海を知っていた」「内緒話をしてた」「神さまを探した」などの述語があてられるかたちで、次々と情景(あるいは心象)が提示される。そこに散りばめられる言葉は、「教室」「金属製の心臓」「ユー・エフ・オーの軌道」「永遠の19歳」「逃避行」「銀河」「宇宙」「重ねた心電図」と、ミクロからマクロを行き来しながら、「ぼくら」の生と死そのものが表象化されている。そして、楽曲は次のように終わる。
この「ぼくら」が、私には現代のジョバンニとカムパネルラ(「銀河鉄道の夜」の登場人物)を描いているように思えたのである。〈*7〉
そして付け加えるならば、アルバム『春と修羅』の初回盤特典DVDに記録されたライブ映像で、この「ロストプラネット」の曲の終わりに春ねむりは、
「この、クソみたいな星で、わたしは、それでも、きみと、ずっと、ほんとうを探して、生き延びたい!」
と叫んでみせている。
ここで彼女が選んだ言葉である「ほんとう」とは、きっと、賢治がいくつかの作品で書き記した「ほんたうのさいはひ」のことだろう。
「銀河鉄道の夜」でも、最終盤でジョバンニが「みんなのほんとうのさいわいをさがしに行く」とカンパネルラに語りかけるシーンがあるが、「みんなのほんたうのさいはひ」は、創作活動あるいは実際の社会活動を通しての、賢治の終生のテーマでもあった。
2022年の春ねむり
2022年に、春ねむりは『春火燎原』というアルバムをリリースした。本人がインタビューで「ポップにしよう(ポップスになる)」ということを意識したと語っている通りに、前作と比べると明らかに開かれた作品が目指されている。
また、別のインタビューではインタビュアーの「ポップスの定義とは何でしょうか? 」との質問に対して、「他者が入る余地があること」と答えている。
彼女がここで言っていることは、「ポップス」をいわゆる「大衆性」や「ヒット曲」という観点でとらえているのではなく、「外部との交通(インターコース)の回路を開くこと」、あるいは平易な言い方をすれば「モノローグではなくダイアローグ」として捉えるということだろう。
こうした、インタビューから垣間見える批評性の高さは、春ねむりというアーティストの大きな特徴でもある。同じインタビューでは、楽曲の中で彼女が用いるスクリーム〈*8〉について、「叫び(という手法)って、言ってしまえばズルい」と語っている箇所があるが、こうしたメタ認知も、彼女の批評性の高さの表れのように思う。
そして、このアルバムには「Déconstruction」という現代思想用語をタイトルに冠した楽曲が収められてる。この曲は2021年にシングルとしてリリースされており、その時にインタビューで春ねむりは、Déconstruction(脱構築)という概念は、「(自分にとっての)パンクとわりと合致している」と語っている。また、そうした「パンク/ハードコアのメンタリティを大事にしたい」とも語っている〈*9〉。
このアルバムにおいて、彼女の「パンクのメンタリティ」を象徴しているのが「Déconstruction」だとするならば、一方の「ポップス」を象徴しているのが「生きる」という楽曲になる。
「生きる」では、現在の日本でおそらくもっとも有名な詩人である谷川俊太郎(1931-)の、よく知られた同名詩の一部が引用されて朗読されている〈*10〉。より詳しく言えば、谷川の詩「生きる」は、夭逝したポエトリーラッパーの不可思議/wonderboy(1987-2011)によって、(谷川の許諾を得た上で)サンプリングされアレンジされたリリックを用いて、同名の曲として2011年にリリースされてもいる〈*11〉のだが、春ねむりの「生きる」は、いわば谷川と不可思議/wonderboyの二人へのオマージュを表した作品でもある。
「生きる」は、軽快なハンドクラッピングと女声コーラスで始まり、マーチング風のビートにのせて、谷川の詩(そして不可思議/wonderboyのリリック)から引用された「生きているということ」というリリックが、リフレインされる。
そして、生きることへの諦観や無常観をかみしめた上で、それでも「How beautiful life is!」と、その、生きることへの肯定が宣言される。
春ねむりは、インタビューでこの「肯定」を歌うことのしんどさを語ってもいるが、それでもやはり、(ここで谷川の別の詩から引くことをゆるしてもらうならば)「生きてゆくかぎり/いなむことのできぬ希望」というものはあるのだと、私は強く思う〈*12〉。
なお、このアルバムについては、谷川の詩「生きる」の朗読だけではなく、宮沢賢治作品の朗読も『春と修羅』に続いて収録されている。
5曲目(曲名表記は「zzz #sn1572」)の収録だが、トラックのない無音の中での1分36秒の朗読である。読まれているのは、賢治の童話作品「よだかの星」の最終場面(よだかが星に向かって飛び続け絶命し「青い美しい光」になる場面)である。
これが、次に続く曲である「春火燎原」へのブリッジになっていることはそのリリックからも明らかだろう。「春火燎原」という楽曲は、「よだかの星」への単純なオマージュということを超えて、言わば「アンサーソング」と言ってもよいのかもしれない。あるいは、もう一歩踏み込んで、ここに「脱構築(déconstruction)」という概念を当てはめてもよいかのもしれない。〈*13〉
「春火燎原」という楽曲は、春ねむりが「ポップス」を志向した楽曲ではないだろう。しかし例えば、宮沢賢治が、内なる修羅を秘めつつ、純粋な自己表現としての「詩(心象スケッチ)」と、より開かれた「童話」を同時に創作していたように、春ねむりもこれからは、「パンク/ハードコアに根を張ったポエトリーラップ」と「ポップスとしてのポエトリーラップ」の2つを追求していくのだと思う。谷川の詩、そして賢治の童話へのオマージュととれる楽曲を聴く中で、そのような思いが、いっそう強まった。
おわりに
さて、この稿の冒頭に近い箇所で、私は宮沢賢治の熱心な読者ではないと書いたが、その私が、もっとも好きな賢治の書いた文章をあげるとするならば、次の「生徒諸君に寄せる」と題された一文になる。〈*14〉
これは、賢治が母校(盛岡中学校)からの求めに応じて書きかけていたとされる未完の文章である。賢治の死後、昭和21年(1946年)に発表されたもので、詩というよりは、年の離れた後輩たちに向けた檄文といった趣の文章になる。
そこから少しだけ抜粋する。
この文章が書かれたのは昭和2年(1927年)とされ、そこからすでに100年近くの年月が経っている。おそらくその間に「新たな詩人」は多く生まれたし、「新たな時代のマルクス」も生まれているのかもしれない。
しかしながら、「人と地球」は未だ「とるべき形」に至ってはおらず、世界は「素晴らしく美しい構成」に変わってはいないようだ。
あらためて、21世紀を拓く「新たな詩人」「新たな思想家」が出でることを待ちたいし、ひょっとしたら春ねむりは、その一人なのかもしれない。
(了)
注釈・補足
*1
本note記事公開(2023年1月15日)時点で、この春ねむりのバースデイライブはYouTubeで観ることができる。
*2
下記の引用記事では、春ねむりのデビュー当時のキャッチコピーが「ジャンルはたぶんヒップホップで、こころはロックンロール。」だったとの記載がある。
*3
春ねむりのステージ上での身体表現(パフォーマンス)については、ツイッター上で春ねむりが、アイスカハラさんからの質問に答える形での以下の言及があった。
*4
「雨ニモマケズ」について、私自身の思いを付け加えるならば、この「詩」は、高潔な人格者である賢治が平穏な心持の中で自らの理想像を描いたように捉えられることが多いかもしれないが、これが賢治が死を覚悟した病床で書かれていたらしいことは、もう少し知られてもよいように思う。
年譜によれば、「雨ニモマケズ」は昭和6年(1931年)の11月3日に書かれているとされているが、賢治は当時病床に伏しており、その直前の同年9月21日には両親と弟妹宛ての遺書を書いてもいる。亡くなるのは、その約2年後の昭和8年(1933年)9月である。
賢治の「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」とは、「サウイフモノ」として「私は生きていたい」という、自らの死期を悟った者の悲痛な祈りであり叫びだったような気が、私はしている。
(なお、賢治の年譜を中心にして一般向けに編まれた書籍には、「(十月から)十一月にかけて、病床で「雨ニモマケズ手帳」を書いたと思われる」との記載がある。一方、「雨ニモマケズ」を記した5日前の10月29日には、手帳に「疾すでに治するも近し」との記載もあり、11月初旬には、病床にあったとは言え小康状態にはあったようだ。)
以下、前掲書の「雨ニモマケズ」の「鑑賞」の部分を参考まで転載する。
*5
思いつくままにあげると、まず、久石譲(1950-)、吉良知彦(1959-2016)は、それぞれに賢治の童話世界を描いたアルバムを発表している。遠藤ミチロウ(1950-2019)は、『アメユジュトテチテケンジャ』というタイトルのアルバムを発表している(MICHIRO, GET THE HELP! 名義)。秋田ひろむには、賢治の「よだかの星」の一部を朗読した楽曲(楽曲名の表記も「よだかの星」)がある他、「スターライト」という楽曲には「片道切符は承知だジョバンニ」「愛する人は守れカムパネルラ」といったフレーズがある。佐藤千亜妃(1988-)も、「夜鷹」「春と修羅」と題する楽曲を書いている。米津玄師(1991-)も「カムパネルラ」というタイトルの曲を発表している。
本文中にもある通り、峯田和伸(1977-)は「銀河鉄道の夜」という楽曲を自らのバンドで演奏し続けている。最初のCD化は2001年であり、2014年には「新訳 銀河鉄道の夜」という異なる歌詞のバージョンも発表している(当初は「銀河鉄道の夜 第二章~ジョバンニに伝えよ ここにいるよと」とのタイトルが付されていた)。さらに付け加えれば、「夜王子と月の姫」という峯田の手による楽曲では「名前はカムパネルラ/翼溶けた夜王子」というフレーズも歌われる。
また、「雨ニモマケズ」に曲をつけ歌っているシンガーには、宇佐元恭一(1959-)、沢知恵(1971-)らがいるし、ヒップホップMCのShing02(1975-)もこの詩をトラックにのせた作品を発表している。
*6
アルバム『春と修羅』は春ねむりのファースト・フルアルバムという位置づけのようだが、これに先立って2017年にリリースされたミニアルバム扱いの『アトム・ハート・マザー』においても、「春と修羅・序」の朗読が収録されている(4曲目、楽曲名表記は「zzz」)。
*7
この記事を投稿した後に知ったのだが、フジファブリックの楽曲「銀河」には「U.F.O.の軌道に乗って あなたと逃避行 夜空の果てまで向かおう/U.F.O.の軌道に乗って 流れるメロディーと 夜空の果てまで向かおう」という歌詞があり、「ロストプラネット」がこの楽曲へのオマージュであることも確かだろう。なお、春ねむりはいくつかのインタビューでフジファブリックへのリスペクトを語っている。
*8
春ねむりの「スクリーム」については、この記事の論評が参考になった。
*9
個人的に書いておきたいから書いておくだけなのだが、「現代思想」と「ハードコア」という文脈で私が想起するのは、日本のハードコアバンドfOULとBEYONDSである(フロントマンは同一人物、谷口健)。例えばfOULには『Husserliana』というアルバムがあるし、BEYONDSの楽曲の歌詞には「MARX AND LENIN ARE LAUGHING, UNDER THE CEMETARY?」などというフレーズが出てきたりする。
春ねむりとのつながりでいうと、BEYONDSと春ねむりは2021年の9月6日に対バンをしている(未見)。昨年の夏頃にツイッターで、春ねむりの「暇だからこれから質問受け付けます」といったツイートを見かけ、気になっていたBEYONDSとの対バンの経緯を質問してみたところ、丁寧に、
「BEYONDSさんにお誘いいただきました!アルバム「春と修羅」を聞いてくださってのオファーだったと思います。大先輩にそういう風にお誘いいただいてとても嬉しかったです!」
との回答をいただいたことがある。
*10
谷川の「生きる」については、以下の記事が参考になる。ちなみに記事中でインタビュアーによって触れられている、「谷川が20代の頃に書いた、『生きる』という同じタイトルの別の詩」は、岩波文庫の『自選 谷川俊太郎詩集』に収められている。
*11
個人の方のブログのようだが、こちらの情報によれば、不可思議/wonderboyの楽曲「生きる」の音源リリースは2011年3月13日とのこと。この日に本人によってYouTubeにアップ&限定発売されたらしい。言うまでもなくあの大震災の2日後である。
https://mylittlesadalusuudo.hatenadiary.com/entry/2020/10/28/030257
*12
「谷川の別の詩」とは「今年」と題された谷川俊太郎の詩のこと。谷川には同名の詩が複数あるが、ここで触れた詩については別記事で取り上げているので、興味のある方は参照いただきたい。
*13
こう書いてはみたものの、もとより私が脱構築という概念を十全に理解しているわけではない。しかし浅学を顧みずにいうならば、賢治は、「生と死」という二項対立を「自死によるオルタナティブな生の獲得」(平易に言えば「自己犠牲による自己実現」)を現前させることで脱構築しようとした、と読めるようにも思う。一方、春ねむりは、この「賢治の脱構築」を肯定的に捉えていたのかといえば必ずしもそうは思えない。それは楽曲「春火燎原」の「炎に呑まれて溺れ続けるぼくを/憐れんだやつを端から殺してやる」「抗って抗って抗ってまたたく」というリリックの攻撃性からも明らかなように思う。おそらく春ねむりは「よだかの星」に、「修羅の不在」すなわち「暴力と抑圧に抗う意思の不在」をみている。「美談としての自己犠牲(の非暴力性)」を脱構築すること、あるいは彼女のリリックから引けば「生と死の間にあるマグマ」を現前せしめること。それが、この楽曲での春ねむりのアプローチのように思うが、どうだろうか。
*14
映画『コクリコ坂から』(監督 宮崎吾朗)の挿入歌である「紺色のうねり」は、賢治の「生徒諸君に寄せる」が原案とされている(「原案 宮沢賢治/作詞 宮崎駿/宮崎吾朗」とのクレジット表記)。
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