それ、投票する意味ある?
こちらは、株式会社レッドジャーニーのアドベントカレンダー16日目の記事です。
昨日は森實さんが、アバター生活について書いていましたね。おもしろい!
本編
みなさん、ドット投票やってますか?
今日は、タイトルにある通り、ドット投票 (Dot Voting)の話です。
ドット投票って?
ドット投票は、シールを用いた簡易な投票の手法です。このときに、小さくて丸いシール(ドットシール)を使うことが多いので、ドット投票と言われます。
チームでふりかえりをしたあとの、ネクストアクションを決めるとき、アイデアブレストをしたときに取り組む施策の優先順位をつけるときなど、気軽に使っている方も多いのではないでしょうか。
対象となる付箋(ふりかえりだとネクストアクションの候補、アイデアブレストだとアウトプットになる施策など)に対し、「一人何票」と決めて、一斉に投票します。
とても用意に行えますし、最近だとオンラインホワイトボードツールで丸いオブジェクトを使って投票することも簡単ですね。
ドット投票のいいところ
なんと言っても、簡単に行えることでしょう。なにかを「投票で決めよう」となったときに、"いつもの投票の型"として共通認識を持つことも容易です。
(もし共通認識がなかったら、都度、"投票の仕組み"を決めないといけない)
結果も一目瞭然ですし、リアル開催の場合は、全員が同じサイズ・色のドットシールを用いれば、基本的な匿名性もあります。
(もちろん、貼る瞬間を見られていたらバレますが、そんなことを気にするチームはあまりいないでしょう笑)
そして、なにより、「自分たちで決めた」という民主制が、選んだ結果に対するオーナーシップを生み出します。
たくさんあるネクストアクションを全部順番にやるのは無理ですので、一番大事なものを自分たちで選んだ、ということが自分ごと化させ、取り組みへの集中力を高めますよね。
先週の記事では、自分たちで「名前をつける」ということが、心理的オーナーシップを高める、ということを書きました。
この記事を書いたあとに、心理的オーナーシップについて考える機会が増えました。そんななか、ドット投票をするシチュエーションに出会ったことで、共通点に気付いたことが、今回のトピックをこれにしたひとつのきっかけです。
ドット投票をやるべきでないところ
それでは、なんでもかんでもドット投票が向いているのか、というと、そうではないシチュエーションがあると思います。
今回、この記事を書こうと思ったきっかけのもうひとつは、そんなシチュエーションを見たためです。
どんなシチュエーションだったかというと、そもそも投票してなにかを決めるべきでない場面でした。
チームが、プロジェクトのゴールを自分たちでディスカッション、言語化するワークショップ
ワークショップ冒頭で、「(チームのゴールではなく)個人として、プロジェクト終了時にどうなっていたいか」をメンバーそれぞれが付箋に書き出す
この付箋を対象に、ファシリテーターが、ドット投票を行った
(結果として、)最多投票を集めた人のゴールをチームの「目指す姿」としてそのまま設定した
ファシリテーターとしては、"共感するもの"を可視化したかったようです。
しかし、1人1票、というドット投票の形式を踏襲してしまい、明らかな得票数の差が生まれてしまいました。
ここで投票の対象にした付箋は、「メンバーひとりひとりの意志」でした。「自分がこうなりたい」という宣言であるため、誰かになにかを言われる必要もありませんし、優劣もありません。
もしかしたら、「あ、自分の目標はこれではだめなんだ…」「あの人みたいなことを書かなきゃいけなかったのかな…」などと感じたメンバーもいたかもしれません。
一方で、ファシリテーターの元の意図はよくわかるので、1人1票のドットを貼るのではなく、「共感するものに、好きなだけ"👍"を貼る」などの方が良かったと思います。
おわりに
ドット投票は、初めてでも理解もしやすいくらい、簡単・便利ですが、使い所が大事だと思います。
今まで、「なにを対象にするべき/しないべきか」はあまり意識するもなく、自然に行っていましたが、今回のシチュエーションから気付きを得ることができました。
いつも、いろんな現場から学ばせてもらっています。
関わってくださるすべてのみなさま、ありがとうございます。