三月の紅葉
モミジは落葉するその直前に、ひときわ赤く鮮やかに色づく。
その赤は街や山々を彩り人々の目を楽しませ、いつしか去ってゆく。
ここにもまたそんな鮮やかな輝きを放った、強く素敵な選手たちがいた。
板野陽
試合前のひととき、コートの端から端へとゆっくり走る彼女を見るのが好きだった。さながら求道者のような空気をまとって自分の世界に入っている間、正直レンズを向けるのもはばかられることが多かった。
味方のゴールでチームが笑顔に溢れるときも、一番うしろから大きな声で指示を出して引き締めていた。自分のビッグプレーが出たときも、あまり笑顔は見せずに力強く控えめにガッツポーズする姿が僕の中で代名詞だった。
そんな陽さん(最後までさん付けだったなぁ笑)、一番の笑顔を見せるときは仲間のGKが好プレーを見せたときだったように感じる。GKはコートプレイヤーと違い、同時に二人以上がコートに立つことはない。ハンドボールを見始めた頃、同じポジションであるGKはライバル同士なのだと思っていた。もちろんそういう側面がないわけではないと思うが、メイプルを追っかけてハンドボールを見ていくうちにむしろチームの中にもう一つある「チーム」なのだと感じるようになっていった。
2019年のジャパンカップ。たまたま出張で幕張メッセに来ていた僕は、ここぞとばかりに代々木までおりひめJAPANを見に行った。陽さんの出場時間はあいにく多くはなかったのだが本当にかっこよかった。あらゆるスポーツの「日本代表」をこの時初めて生で見に行ったのだが、真奈ちゃんと共に日の丸を纏う姿を見て、自分の応援するチームから代表が出るってこんなに誇らしいんだと思った。試合後客席に向けてコートを一周する中、僕に気づいて笑顔をくれたのが嬉しかった。
最後のシーズンとなった2021-2022シーズンの終盤にかけて、今まであまり試合中に表情を崩すことのなかった陽さんが感情を表に出すようになったと感じた。自らのナイスプレーでベンチに向ける笑顔、ファインセーブでの叫び、日本選手権決勝での涙、シーズン最終戦の試合前に見せた、キャプテンを元気づけた笑顔。また、鈴鹿でのバイオレット戦で見せた7m阻止。僕がその想いに気付いた、その叫びを収めることが出来た写真は、数ある中でも記憶に残る1枚になった。
板野陽という、記録にも記憶にも残る選手を見て来れたことは、とても幸運なことでした。本当にお疲れさまでした。ありがとう。
堀川真奈
リーダーは本当に大変だと思う。言葉で大変だと思うというのは簡単だが、きっと本人やチームメイトにしかわからない計り知れないものがあるはずだ。
彼女もまた、最初はどちらかというとポーカーフェイスな印象だったが、だからこその笑顔が好きだった。
真奈ちゃんがキャプテンになってからの試合前の円陣、背の高い中山監督と真奈ちゃんの顔だけが観客席から見えることがよくあった。キャプテンが何事か述べたあと、中山監督の表情が緩むのを見るのが好きだった。
試合後のインタビューもキャプテンには課せられる。勝った試合のあとは笑顔で受け答えできようが、負けた試合の後の心中如何ばかりか。それでも気丈に受け答えする彼女の姿にキャプテンとしての姿を見た。
個人的な話になるが、僕が大学生の時にフラワーフェスティバルのよさこいパレードに参加した。僕の母校はそれまで連続で一番上の賞を獲得していた。僕らの代になった時、残念ながらその一番上には届かなかった。それまで強気で、ともすればオラついていたリーダーはその場に泣き崩れ、ごめん、ごめんと繰り返していた。比較できるような話ではないかもしれないが、そんな事も思い出した。かくもリーダーの重圧とは過酷なのだと。
僕の中で心残りがあるとするならば、彼女の務めるポジションはポストであり、ディフェンスでは3枚目。ともに相手との接触が多く激しいプレーになりがちで、写真に収める表情も崩れていることが多かった。撮ってもお蔵入りにならざるを得なかった写真もたくさんあり、見せてあげれた写真の枚数も他の人に比べてそんなに多くなかったかもしれない。でも、特にディフェンスで相手と対峙したその熱く鋭い眼差しが、ディフェンスの写真を撮る楽しさも教えてくれた、そんな気がしている。
本当に素敵なキャプテンでした。あなたが率いたこのチームが大好きでした。本当にお疲れさまでした。ありがとう。
三田未稀
人呼んで"笑顔のプリンセス"。
僕がハンドボールを、メイプルレッズを初めて見に行った2017年秋。そのシーズンのルーキーが石川紗衣、三田未稀、中村桃子の3人だった。だから僕は勝手に3人のことを同期だと思っている。
笑顔がよく似合う三田ちゃんだが、決して順風満帆な選手生活ではなかったはずだ。僕がメイプルの追っかけで全国を回りだした頃、彼女は大怪我で試合に出ることは叶わず、スタンドの上で映像を記録しながらチームメイトの戦いに目をやっていた。ふとした瞬間に見せた物憂げな表情と、それとは対象的なチームメイトやファンに見せる満面の笑みが、優しく強い彼女をよく表していたように思う。
プレーの面でも、チームの輪の中でも、バランサーのような役割だったように見えた三田ちゃん。彼女にしかわからない辛さや、こらえる物もきっと多かったのではないかな。
それでもチームメイトを紹介する映像を一生懸命作ったり、未来と一緒にWミキでPR活動に勤しんだり、その献身的だけどもそれを大きくは感じさせない、つとめて明るいキャラクターの三田ちゃんのおかげで、メイプルが気になった人、好きになった人はたくさんいたはずだ。
色んな痛みを飲み込んだその笑顔、今シーズン最終盤はひときわ大きく輝いた。にーちゃん(中村桃子)曰く「野性的な部分」というが、華やかさに力強さも加わった表情がレンズの中でたくましく光を放っていた。7mスローを任されることの多い彼女もまた、相当なプレッシャーが掛かっていたはずだ。そのプレッシャーさえ意気に感じるように、レギュラーシーズン大一番の試合と、プレーオフで任されたその全てを決めきり、今までの想いを解放するかのような叫びに胸が熱くなった。
選手生活にはここでピリオドを打つが、行く先できっとまた周りの人たちを魅了することでしょう。本当にお疲れさまでした。ありがとう。
山根楓
最近ではあまり会場に行って見なくなってしまったバスケ・Bリーグだが、数年前は毎試合のように行っていて、僕のツイートもバスケの比重が大きかった。そんな中で出会った島根のバスケファンのフォロワーさんが、僕のハンドボールツイートを見て、島根で行われたハンドボール国体予選に来てくれたことがあった。僕が撮った写真を見て「あの子推しですわ~!」とその方が言ってくれたのが楓だった。
相手のゴールに向かって走っていく楓の姿。あまり表情を変えず、軽やかに跳ねながら、6mラインでひときわ高く跳ぶ。全てがスローモーションのようにキラキラとした空気に満ちていた。
チームの中でも特に大人しい雰囲気に見えた楓だが、ゴールを決めると熱い叫びを見せてくれたことがある。それは何より自らの内に秘めた心に向かって叫んでいるように見えた。
あまり出場機会が多かったとは言えないかもしれない。登録外になることもそれなりにあった。そんな環境でも、その大きな目をコートに向け、仲間の活躍を祈るように視線を送っていたことを知っている。ハーフタイムの時間、ひとつひとつ確かめるように地道にシュート練習をしていたことも知っている。楓がコートを駆け上がり、シュートを決める姿をまた見たいと思わずにはいられなかった。
今シーズンのホーム最終戦。そのコートには赤いユニフォーム姿の楓の姿があった。速攻。独走を決め、あのキラキラとした空気を纏って、ひときわ高く跳ねる楓の姿に「どうか…!」と祈りながらシャッターを切った。心に残る一枚となった。
優しい笑顔の似合う楓。この先の人生がその笑顔で溢れるものになりますように。本当にお疲れさまでした。ありがとう。
河原畑祐子
人は得てしてなんとなくの印象でその人となりを想像し、決めつけてしまいがちだ。先入観ともいうが、それをポジティブに裏切られた時、その人のことをもっともっと好きになることがある。
祐子がメイプルに入団したのは同い年の選手から遅れること約1年。2019年の暮れだった。入団時のツイッター界隈の驚きや評価する声、その可愛らしいルックスから、勝手にスマートでツッコミどころのないプレイヤーなんだという先入観で見ていた。
ところが、彼女のプレーや醸し出す雰囲気はそんな先入観とはいささか違うものだった。何度弾き返されてもがむしゃらにシュートを打っていく姿、悔しい時の落ち込んだ顔、嬉しい時の飛び跳ねて喜ぶ姿、試合前の明らかに緊張した表情、ホッとした時にこぼれる笑み。両手を広げて喜びを体いっぱいに表現したり、こちらも手に力がこもるほどの気合いを込めたガッツポーズ。滴る汗に輝く笑顔は、びっくりするほど素直で、泥臭くて、実に人間臭い魅力にあふれていた。
河原畑祐子という人の魅力は、きっと文字では書き表すことが出来ない。でもあのひたむきで実直な姿を、その目で一度見たら絶対に好きになる、応援したくなる、そう自信を持って言える稀有な選手だった。
初得点は2020年2月頭、金沢での北國戦で決めた7mスローだった。その帰路、金沢駅で彼女と偶然出くわした。「初得点おめでとう、次はフィールドゴール期待してる!」と声をかけると「はい!頑張ります!」と返してくれた。この後感染症の流行に伴い、JHLも例外なく選手と直接言葉を交わすことは出来なくなっていく。祐子とはっきり直接会話をしたのは本当に数えるほどしかない。
だが近いようで遠いコートと観客席の距離も、そのキラキラした目と素敵な笑顔が幾分近づけてくれた。いつも一番最後に入場する背番号29。試合への胸の高鳴りを含んだ笑顔を振りまいて、レンズを見つけてはこちらへいつもエナジーを送ってくれた。
今回の発表で一番驚いたのが祐子だった。まだやれる、とこちらが思うのは簡単だがきっといろんな傷や想いを抱えて今日まで走ってきたのだろう。たった2年と少しだけど、そんなふうに思えないくらい祐子がこのチームにもたらしたものはきっと大きかった。本当にお疲れさま。ありがとう。
石田紗貴
メイプルをしっかり意識して応援し始めてから、最初に引退の報に触れたのが、2018-2019シーズン終わりの石田紗貴の引退だった。だからそのプレーをたくさん見れたわけじゃなかったが、彼女がシュートを決めた時にひときわ盛り上がるベンチは、いまだによく覚えている。引退するがチームに残りマネージャーとしてチームを支えていくと知ったときは素直に嬉しかった。
アップの時に選手が脱ぎ捨てたジャージを一個一個丁寧にたたむ姿、トレーナーさんたちとドリンクをボトルに入れるシーン、時には選手にアドバイスを送る一コマ。引退してもチームの中でその姿を見届けていられることがありがたかった。遠征先で、大きな中山監督と小さな紗貴ちゃんが並んで会場に入ってくる光景も好きなシーンの一つだった。
試合周りの役割と同時に、事務局の仕事も本当に大変だったと思う。特にこの不安定な情勢になってからの職務はさぞしんどかったことだろう。一ファンとして感謝してもしきれないぐらいだ。
イズミの広報さんが写真を撮ることもあるが、遠征先ではよくエンドラインに陣取って紗貴ちゃんがシャッターを切る姿を見ていた。隣にはプロのカメラマンさんたちが並ぶ中、小さなカメラを使って写真を撮っていた。
プロのカメラマンが撮る写真はやはり素晴らしい。でも彼女が撮る写真は、彼女にしか撮れない写真だった。それが正直羨ましくもあり、決して機械の良し悪しだけで良い写真が撮れるわけではないのだと言ってもらった気がする。刺激にもなった。
沢山身を削ったぶん、しっかり休んで下さい。選手時代から今に至るまで、長きに渡りチームを支えてくれて本当にありがとう。お疲れさま。
狩野弥生
今シーズンの終盤、やよがGKコーチに見えることが何度かあった。中山監督の隣で指示を送る姿やGKアップでボールを出す姿。無論、その時はシーズン終わりにこうなることは想像していなかったのだが。
彼女自身もメッセージに綴っていたが、決して出場機会に恵まれたわけではなかった。だが、それだけに出場した時の活躍ぶりには目を見張るものがあった。今シーズンの霧島・ソニー戦で見せた大活躍、その実況「板野だけではない、狩野弥生!」は、まさにであった。
だが、そんな活躍をした後も彼女は謙虚だった。チームメイト、そして板野陽のおかげだと言って憚らなかった。試合に出ることが叶わなかった時間が多かったからこそ、だからこそ繋いでくれた皆の思いが人一倍わかるのかもしれない。
そんなやよの一番の思い出は、少し辛いことを思い出すことになるかも知れないが、2019年の日本選手権に遡る。広島市で開かれたこの日本選手権、メイプルは初戦となった香川銀行戦でその姿を消すことになった。落ち込む選手たちが引き上げるのを見届けた後、何も言わずに帰ろうと思い体育館の出口へ歩を進めていた。
その時、後ろから呼び止められた。狩野弥生だった。目に涙を浮かべた彼女は謝罪と感謝の言葉を口にした。気の利いた言葉は何も返せなかったが、十分すぎるほどの想いに僕も熱いものがこみ上げたのを覚えている。
人の心に思いを馳せることのできる人は、きっと慕われる。来シーズンから彼女はマネージャー兼GKコーチとして選手を支える立場に回る。やよが入団してから一緒にGKとしての時間を過ごした先輩、妙子さん、陽さん、そしてにーちゃんはもういない。でもそのストーリーはきっとやよの奥底に息づいていて、そしてやよの想いを加えてまた受け継がれていくのだろう。
選手としてのやよに、ひとまずお疲れさま。そしてこれからもよろしく!
チームから巣立っていく人。立場は変わるがチームに残る人。思いを引き継ぎ戦い続ける人。
この先それぞれの場所で、このチームでのかけがえのない思い出をつないで前へ進み、あなたにしかできない素敵な変化を遂げ、さらに魅力的な人とチームになっていくことを願っています。
紅葉の花言葉
「美しい変化」「大切な思い出」